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来るべき世界
Things to Come
    1936年、イギリス 
 監督   ウィリアム・キャメロン・メンジース 
撮影   ジョルジュ・ペリナル 
編集   チャールズ・クリクトン、フランシス・D・リヨン 
 セッティング・デザイナー   ヴィンセント・コルダ 
 美術副監督   フランク・ウェルズ、ジョン・ブライアン、フレデリック・ピュセイ 
    約1時間33分 * 
画面比:横×縦    1.37:1 
    モノクロ 

ケーブルTVで放映
* [ IMDb ]によるとこれはUSA版。UK版ではオリジナルは1時間53分、また1時間57分他の版もあるとのこと。下掲の北島明弘『世界SF映画前史』によると2時間10分(p.119)
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 タイトルからもうかがえるように、近未来の年代史というべきSFで、超自然現象はもとより怪物・怪獣の類も出てきません。ただ『メトロポリス』(1926)ともども、未来のそれをはじめとする都市空間のセットなどがなかなか面白いので、手短かにとりあげましょう。

 原作および脚本を担当したのは、ジュール・ヴェルヌと並ぶSF小説の確立者の一人、H.G.ウェルズです。原作も邦訳されているようですが、未見。そのあたりについては下掲の北島明弘『世界SF映画前史』を参照ください。ちなみに[ IMDb ]の Trivia によると、ウェルズはラングの『メトロポリス』を厭っており、本作がラングの作品とは反対のものになるよう要請したとのことです。
 製作のアレクサンダー・コルダの名は、一部のファンには『バグダッドの盗賊』(1940)によって知られていますが、井口壽乃『ハンガリー・アヴァンギャルド MAとモホイ=ナジ』(彩流社、2000)によると、「《第三の男》の製作者アレキサンダー・コルダは、ハンガリー一九一九年革命の映画指導者コルダ・シャーンドルと同一人物である」とのことです(p.260、またp.90も参照)。その縁あってか、本作の特殊効果の一部をモホイ=ナジ(モホリ=ナギ)が担当しています(下掲のD.アルブレヒト『映画に見る近代建築 デザイニング・ドリームス』、2008、pp.240-243。また Film Architecture : Set Designs from Metropolis to Blade Runner, 1996, p.118. 他に下掲の文献も参照)。
 監督のメンジースは『風と共に去りぬ』(1939、監督:ヴィクター・フレミング)で「劇的な色彩の使用に対して For outstanding achievement in the use of color for the enhancement of dramatic mood in the production of Gone with the Wind 」翌年のアカデミー賞特別賞を受賞した美術監督でもあり、また〈プロダクション・デザイナー〉という言葉自体、『風と共に去りぬ』におけるメンジースの働きを表わすために製作のセルズニックが作りだした言葉とのことです( 下掲フィヌオラ・ハリガン『映画美術から学ぶ「世界」のつくり方 プロダクションデザインという仕事』、2015、p.146)。先に触れた『バグダッドの盗賊』では共同プロデューサーもつとめましたが、他方メンジースは本作をはじめとして監督業も手がけています。その中には後にトビー・フーバーがリメイクする『惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!』(1953、リメイクは『スペースインベーダー』、1986)や『迷路 The Maze』(1953)といったジャンル映画も含まれており、とりわけ後者は、いかにも低予算ながら雰囲気を欠いてはいない古城映画だったとうろ覚えしております。日本版ソフトの刊行が待たれるところなのでした。


 大幅にカットされたUSA版を見たかぎりではありますが、物語は大まかに三部構成となっています。映画製作時から遠くない未来、1940年を起点に、世界戦争の勃発と1966年の終結後までが第一部、約23分から1時間3分まで、廃墟と化した舞台の都市での過渡期を描く第二部、そして新体制下での地下都市の開発と2036年における宇宙探検をめぐるエピソードからなる第三部です。

 1940年のクリスマス、エヴリタウン Everytown の街中の様子で映画は開幕します。しばしばアップになる新聞や張り紙には、いずれも「戦争 War」の語が記されている。それらを交えて、クリスマスに賑わう通りの人々を、カメラはしばしば仰角で、あるいは俯瞰し、アップや引きなど細かくカットを重ねて描きだします。その中に、画面左に大きな建物、その右奥にギリシア神殿風のファサードのある建物、さらに右奥にドームをいただいた建物を配したショットがある。この眺めはその後も幾度となく再現されるとともに、第二部でも変奏されることになるでしょう。
 合間に研究者ジョン・キャバル(レイモンド・マッセイ。『魔の家』(1932)にも出ていました)の家に若者ハーディング(モーリス・ブラッデル)や眼鏡のパスワーシー(エドワード・チャップマン)が訪れてくるさまが挿入されます。居間の奥に上への階段と玄関に通じるらしき空間が見え、そこから居間へは1~2段下りる。光はやや下から当てられています。
 約7分、空襲に動員令、ラジオでの開戦の報道を経て、エヴリタウンの街でも戦闘準備が始まります。冒頭同様、カメラは上から下から、引きにアップでカットを重ねていくことで、群衆の混乱を描写する。先に触れた中心街のショットも何度かはさまれます。
 高い壁が左右に伸びる前、パスワーシーの息子が小さく左右に行進の真似事をすると、壁に大きく行軍する兵士たちの影がかぶさるのでした。
 約14分、街も空襲を受けます。街が次々に瓦礫の山になっていく。パスワーシーの息子も崩れた壁に埋もれています。またしても横に伸びる壁、今度は行軍する兵士の影が二重三重に落ちる。


 舞台は平原での戦車戦に移ります。実在の戦車に混じって、丸みを帯びた新型戦車の姿もありました。
 ドーヴァーの白い崖の上空で、雲霞のごとき戦闘機が飛んでいきます。キャバルは複葉式のプロペラ機を操縦している。
 戦車が影で現われ、そこに大きく1945、1955、1960の文字が重ねられます。
 1966年の新聞には、戦争終結は近づいたものの、"the wandering sickness"、日本語字幕では夢遊病のガスが用いられたとある。

 約23分、廃墟と化したエヴリタウンが上空からとらえられます。次いでやはり崩れた中心街が映される。人々が円形の大きなトンネルの中で暮らしている様子もはさまれます。
 戦争は終結するも、世界中で「夢遊病」が猛威を振るったというテロップが流れます。
 かって若者だったハーディングは医師として活動しています。彼には娘のメアリー(アン・トッド。クリストファー・リーも出演したハマー・フィルムのスリラー『恐怖』(1961、監督:セス・ホルト)に準主役で出ていました)がおり、その知人リチャード・ゴードン(デリック・デ・マーニー)の妹も病に感染してしまう。前後して通りにふらふらと出てきた感染者が銃で撃ち殺される場面が描かれます。妹もまた同じ目に遭う。夢遊病患者はいわばゾンビのような存在と見なされているようです。
 1967年、テロップが行を少し重ねながら、奥に中心のある円筒状をなして回転します。

 約28分、1970年、「疫病は終わった」とのことです。街は賑わいを取りもどしており、廃墟に混じってバラック状の家屋も見えます。ここをチーフと呼ばれる人物が統率しており、「山岳民 Hill People」と対立しているらしい。
 リチャードは飛行機の修理に携わっています。しかしガソリンも部品もない。彼はメアリーと結婚したようです。
 チーフの名はルドルフ([ IMDb ]では The Boss、ラルフ・リチャードソン)、彼のそばには妻だか愛人だかの姿がある。日本語字幕には名前が出てきませんでしたが、[ IMDb ]で Roxana / Rowena(マーガレッタ・スコット)とあるのが彼女のようです。名前が2つあるのは、第1~2部と第3部でのキャバルの場合のように、カットされた部分で別の人物として登場したのかもしれない。間違っているかもしれませんが、とりあえずロクサーナとしておきましょう。


 約32分、新型飛行機が到来します。パイロットは大きな後ろだけのヘルメットだか立て襟のようなものをかぶり、黒ずくめのキャバルでした。髪は白くなっている。ハーディングと会います。
 ルドルフはドームの下の円形広間に陣取っています。ドームは一部破損している。キャバルは技術者グループがある、法と理性を代弁する者だとルドルフにいいます。日本語字幕では「翼の世界」に所属しているとのことでしたが、原語では Wing of the World だったかと思います、たぶん。新秩序は個人機を認めないともいう。バスラ支部からやって来た、独立国は廃止された。


 ルドルフが私室として使っているのは同じ建物内のようで、扉は応急の板張りですが、室内には豪華さの名残も見てとれます。
 やはり同じ建物の地下牢にキャバルは放りこまれる。手前から奥へ、低い位置でパイプが突きだしており、右上に窓がある。奥で上への階段があがっています。境目にはゆるいアーチをいただいている。階段は6~7段で踊り場となり、ここも上はアーチです。その先は幅が狭くなっているようです。後の場面で上に扉のあることがわかります。


 ルドルフは鉱山攻撃を計画していました。目当ては石油です。
 約41分、炭坑で戦闘が行なわれる。捲上塔が2基建っています。
 扉口の奥に上りの階段、10段ほどで右に折れます。壁に手すりの影が落ちている。そこからルドルフがおりてきて、扉口の手前に出れば円形広間でした。
 宴が催されています。ロクサーナは危機感を抱いているようで、一人地下牢におりてキャバルと話します。カメラは上からになったり下からになったりする。少ししてルドルフも入ってくる。やはりカメラは下から見上げます。


 キャバルの協力を得たリチャードが飛行機を飛ばします。それを窓から見ているメアリーは、なぜかロクサーナといっしょでした。いつ仲良くなったのでしょうか。
 約54分、リチャードはバスラ支部に降りたつ。真っ黒で巨大な飛行機があります。
 巨大飛行機群がエヴリタウンに向かい、形状が横長であることがわかります。大きなガラス窓らしきものもあります。「平和ガス」を投下する。しかしルドルフは死んでしまいます。ちなみに「登場人物はウェルズの哲学を表現する駒にすぎず」(下掲の北島明弘『世界SF映画前史』、p.120)とされる本篇中にあって、もっとも生き生きと描かれていたのがルドルフとロクサーナにほかなりませんでした。


 約1時間3分、近未来風の会議室を経て、廃墟化したエヴリタウンを遠景にとらえたカメラが右へ動くと、岩山が見えてきます。そこを先がドームになった横長円筒が台に乗せられて何やら作業している。円筒には側面に階段がついています。先端からは先すぼみのコイル状の口が突きだしており、ガスを吹きだします。それを数本の触角状アームが囲んでいる。アームが狭まると岩を掘削するのでした。一台がアップでとらえられた掘削機は、次いで何台もが群がって岩山を取り崩していることがわかります。
 約1時間5分、巨大工場がいくつものカットを重ねて描写されます。幾何学的な形状、巨大回転輪などに加えて、現存する部品のアップが挿入される。描く対象こそ異なるものの、カットの積み重ねによる描写法は冒頭での通りの群衆の際のそれに通じています。下掲のD.アルブレヒト『映画に見る近代建築 デザイニング・ドリームス』(2008)によると、この部分はモホイ=ナジの手になるという(p..243)。


 約1時間9分、2036年、エヴリタウンは地下都市として再生しました。おそらく中央部なのでしょう、少し前の場面では建造中だった巨大な吹抜の空間がある。配色は白が基本のようです。こうした吹抜自体は現在なら実際にありそうですが、空中を動く歩道やモノレールがいくつも伸びている点こそが肝要でしょう。

 アルカイック期のギリシア彫刻風の白い、おそらく巨大な彫像がアップになります。出来は芳しくありません。
 現状に不満を抱くのは芸術庁長官のテオトコプロス(セドリック・ハードウィック。『フランケンシュタインの幽霊』(1942)にフランケンシュタイン博士の次男役で、また『謎の下宿人』(1944→こちらを参照)にも出ていました)でした。彼は〈進歩 progress〉至上主義に反対しています。とりわけ月を目ざす宇宙砲計画が標的になっている。


 少女と祖父がモニターで歴史を勉強しています。祖父はパスワーシーの子孫です(同じくエドワード・チャップマン)。
 他方現在の議長キャバルもジョンの子孫です(やはり同じくレイモンド・マッセイ)。キャバルの娘キャサリン、パスワーシーの息子モーリスはともに宇宙砲計画の志願者でした。


 反進歩派の演説に続いて暴動が起こります。キャバルたちは白い新型ヘリコプターに乗りこみ、宇宙砲のもとへ急ぐ。白い数段からなる巨大な筒が聳えており、最初はロケットかと思ったのですが、これは文字どおり砲身なのでした。隣に巨大なクレーン塔が建っています。これが小ロケットを砲身の先端に嵌めこむ。ロケット内部の操縦席周辺は俯瞰で映されます。乗り場付近には空中通路がいくつも走っています。
 発射場は窪地になっているようで、暴徒たちが押し寄せたのは横に伸びる高い崖の上でした。
 息子の安全を懸念するパスワーシーをよそに、打ち上げは成功します。やはり先行きを懸念するパスワーシーに、キャバルはこれは始まりに過ぎない、個人には休息があるが、人類は進歩し続ける他はないと語るのでした。


 進歩至上主義というイデオロギーや未来予測はさておき、本作の見所は視覚面を強調した画面造り、とりわけ第1部での街並みのセット、第2部でそれが廃墟化したさま、そして第3部での地底都市の様相、そしてそれらを描写する上になり下になり引きになりアップになるカットの積み重ねでしょう。とりわけモホイ=ナジによる第3部冒頭の工場建設の場面での、大きなものと小さなものを交錯させるシークエンスは印象的でした。
 下掲の Film Architecture : Set Designs from Metropolis to Blade Runner, 1996, p.118 によると、ジャーナリストのアリステア・クックは当時、「ヴィンセント・コルダが作品のヒーローだ」と記したとのことです。後のハマー・フィルムの『吸血鬼ドラキュラ』(1958)におけるバーナード・ロビンソンについてのクリストファー・リーの発言(→こちらを参照)や、『アッシャー家の惨劇』(1960)におけるダニエル・ハラーについてのロジャー・コーマンの発言(→こちらを参照)が思い起こされるところです。

Cf.,  北島明弘、『世界SF映画前史』、2006、pp.119-121

D.アルブレヒト、『映画に見る近代建築 デザイニング・ドリームス』、2008、pp..239-245

L.モホリ=ナギ、大森忠行訳、『ザ・ニュー・ヴィジョン ある芸術家の要約』、ダヴィッド社、1967、p.151
にも「『来るべきもの』の空間効果」なる図版が掲載されていました。
また
『モホイ=ナジ 視覚の実験室』、神奈川県立近代美術館、京都国立近代美術館、DIC川村記念美術館/国書刊行会、2011、pp.164-165。


Film Architecture : Set Designs from Metropolis to Blade Runner, 1996, pp.118-121

美術監督としてのメンジースの名は
Juan Antonio Ramírez, Architecture for the Screen. A Critical Study of Set Design in Hollywood's Golden Age, 2004
の索引で山のように挙げられています。とりわけ pp.34-36 を参照。
また本作について pp.192-194

メンジースについてはまた;
フィヌオラ・ハリガン、石渡均訳、『映画美術から学ぶ「世界」のつくり方 プロダクションデザインという仕事』、2015、pp.146-148:「LEGACY 偉大な先人たち ウィリアム・キャメロン・メンジース」


H.G.ウェルズに関連して→こちらも参照(<「ロマン主義、近代など(18世紀末~19世紀」<「宇宙論の歴史、孫引きガイド」)
 2016/1/30 以後、随時修正・追補
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