ホーム 宇宙論の歴史、孫引きガイド 古城と怪奇映画など 美術の話 おまけ
バンパイアの惑星 *
Terrore nello spazio **
    1965年、イタリア 
 監督   マリオ・バーヴァ 
 撮影   アントニオ・リナルディ、マリオ・バーヴァ、アントニオ・ペレス・オレア 
編集   ロマーナ・フォルティーニ、アントニオ・ジメノ 
 セット装飾   ジョルジョ・ジョヴァンニーニ 
    約1時間27分 
画面比:横×縦    1.85:1***
    カラー 

VHS
* TV放映時の邦題は『恐怖の怪奇惑星』
** 手もとのソフトは英語版。英題は Planet of the Vampires
*** 手もとのソフトでは1.33:1
………………………

 マリオ・バーヴァによる宇宙SFで、TV放映時やヴィデオ化時の邦題から察せられるように怪奇色の濃い作品ですが、細かい点を気にしなければ、SFとしての結構は整っていると見てよいでしょう。下掲の北島明弘『世界SF映画前史』(2006)によると、「レナート・ペストリニエロが"Oltre il cielo"誌の60年6月号に発表した小説"Una notte de 21 ore"を基に5人のイタリア人脚本家が脚色。AIPのルイス・M・ヘイワードは脚本を読んでひどいと思って、イブ・メルキオールに手直しを依頼し、65年1月18日に出来上がったものがイタリアに送られ、そこでまた手直しされ、4月から撮影がスタート」とのことです(p.329)。メルキオールは『巨大アメーバの惑星』(1959)を監督したことで一部の記憶に刻みつけられた脚本家でもあります。
 宇宙SFとあって舞台は宇宙船内と問題の惑星のみ、全篇がセットでの撮影となります。このサイトでこれまで見てきたバーヴァの作品-『血ぬられた墓標』(1960)、『知りすぎた少女』(1963)、『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(1963)、『白い肌に狂う鞭』(1963)、『モデル連続殺人!』(1964)のいずれも、大半が夜の場面で占められていたとして、多少は昼間の戸外などが挿入されていたものですが、本作では、夜といっていいのかどうかよくわかりませんが、ともかく終始薄暗い。それがしかし、色彩を排することにならないところがバーヴァのバーヴァたるゆえんで、お城はおろか階段すら出てこないものの廊下は登場しますので、手短かに取りあげることにしましょう。以下ネタバレがあります。

 宇宙船の司令室でしょうか、けっこう広い空間から物語は始まります。広さの割に配された装置類はさほどの面積を占めず、これまでの作品における古々しい室内とは違って装飾を排した近代的なデザインであってみれば、なおさら肌寒さが漂うのでした。
 すでにいささか薄暗いのは、壁面が暗いことも与っているのでしょう。暗めの青灰色の縦長パネルが周囲を囲んでおり、パネルとパネルの境は白っぽく見えます。床と装置類は紫がかった灰色です。これに加えて搭乗員の制服が全身黒革というもので、手袋も黒ならば、人によっては頭部も覆っています。そして皆高い襟を立てている。黄のラインが入っていることでかえって黒さが強調されるという次第です。カメラは左から右へとドリーしますが、いささか寒々とした、あまり居心地のよくなさそうな感触を憶えずにはいられません。
 ただし画面の調子が寒色系に統一されているわけではない。人物の顔の部分はきちんと暖色で、寒暖の対比はむしろ強調されています。この対比があってこそ、青のあざやかさ、透明感そして密度がいっそう際だつわけです。
 なお後の場面で、船外に出る際着用するヘルメットは黄色でした。またやはり後に、オレンジと青灰色の制服も出てきます。また配色の効果で多少は目をつむらせてくれるとはいえ、装置はいかにもちゃちに見えます。

 ある惑星からの通信らしきものが探知され、調査するために二隻の宇宙船が派遣される。先行して着陸した一隻からの通信は、しかし途絶えてしまう。後を追うもう一隻ですが、操縦の制御が効かなくなるは、重力が急増するはで乗員たちは気を失なうも、なぜか目的地の惑星に無事着陸します。と思ったら乗員同士が気でも狂ったかのように互いを襲いはじめるのでした。

 司令室を囲むパネルの一つには半円アーチの扉口があいており、向こうから黄色い光が射していました。
 そこから出ると、廊下が回廊状に司令室を取り巻いているようです。柱は斜めだったりします。人物たちは奥の方を動くので、廊下の広さが強調されます。廊下の大切さが実感されるのでした。

 乗員の一人が船外に飛びだします。追う船長(バリー・サリヴァン)たちはちゃんとヘルメットを着けますが、呼吸できるのでした。
 地表はやはり薄暗く、地面に霧が這っています。霧の奥から光が発している。小塔状の岩がいくつか立っています。


 何とか収拾をつけた船長たちは、先行して着陸した船を探しに出かける。画面右手に、少し傾いた背の高い岩がそびえ、その下から左に暗がりが伸びています。その上は濃い赤のひろがり、さらにその上はあざやかな暗青色の空です。左の方に紫がかった白い霧が出ている。よく見ると右下、傾いた岩の陰に何人か人物がいます。前景における暗がりは伝統的なルプソワールの役割を律儀に果たしている。あたかも16世紀あたりのネーデルラントの地獄絵か何か、たとえばボスの《干草車》や《悦楽の園》(双方プラド美術館、マドリード、後者は→こちらに載せています)のともに右翼背景、あるいはパティニールの《ステュクス川を渡るカロン》(同館)のやはり背景右側、また伝パティニール《ソドムとゴモラの崩壊のある風景》(ボイマンス・ファン・ブーニンゲン美術館、ロッテルダム、→下の「おまけ」ないし→こちらの拡大画像参照)などが連想される構図でした。この構図は後にもう1度登場することでしょう。
 続く場面でも赤と青の対比は継続し、やや近景、人物のクロース・アップになると赤は左、青は右に配されることになります。


 先行船にたどり着くと、入口付近に争って共倒れになったらしき亡骸が見つかります。
 中に入る。画面手前の上方に、換気扇でしょうか、大きな器具が左右で緑に照らされています。続く廊下では、曲線をなす柱が所狭しと手前に配され、随所が青、緑、紫になっています。バーヴァ印です。これがなくては始まらない。
 船外には見張りが一人残ります。先行船でも主人公たちの船でも同じセットを用いているのでしょう、宇宙船の脚部はがに股というか相撲の四股を踏む足の形をしています。着陸時は模型でいささか頼りなさげなのですが、おりてしまえば人物に対してけっこう大きい。見張りは自分の名を呼ぶ声を聞きます。その前後に地面に何やら細長い、刃物のようなものが3本立っているのが映されます。
 先行船内の司令室では、座席の背は緑でした。
 3本の刃物のようなものが一つずつ倒れていきます。地面に伏せてあった方形の蓋が上へ開き、中から透明なビニールのようなものに包まれた人物が起きあがります。ビニールを外す。


 別の船が発見されます。オレンジです。近くに巨人の骸骨が倒れています。人間の3倍はあるだろうという。
 船内の廊下は、いくつもの円が横切る形になっています。円の側面が奥から明色、緑、手前で褐色になっている。一番奥の円の向こうは青です、手前で右に緑、その下に赤い何かがあります。船長と通信技師のサニヤ(ノルマ・ベンゲル)が奥から手前へ進む。またしてもバーヴァ印です。SFだろうと古風な怪奇映画だろうとおかまいなしです。すばらしい。
 動力室でしょうか、巨大な赤い円錐が上から下からいくつも伸びています。なかなか面白い光景でした。
 その奥にはやはり巨大な骸骨が机に突っ伏した部屋がありました。船長が軽率にも何か装置をいじったため、円が閉じてしまい、船長とサニヤが脱出に苦労するという、本筋にあまり関わらない挿話が展開します。その間巨大骸骨がずっと背景にあるのが素敵です。


 墓暴きが行なわれます。先だっての刃物のような何かが墓碑らしいと、やっとわかります。

 『モデル連続殺人!』(1964)でも約1時間7分ほどにして殺人犯の正体が明かされていましたが、本作では約1時間3分ほどで真相が告げられます。先立つ場面で人物たちの前を横切ったいかにも安っぽい、何色かの光がこの星の住人だというのです。太陽が終末を迎えようとする惑星系から脱出したいけれど、からだがないので宇宙船を建造できない。そこで通信で他の星に呼びかける。テレパシーの能力を持つ彼らは、からだを乗っとるのに便利なので互いに争わせて殺しあわせた。自らの種族の生き残りこそが最優先なわけです。巨大骸骨の船も同じ目にあったのでした。
 日本語字幕によると「寄生などさせない」という船長の言葉に、「寄生ではない、共生だ」と答えますが、寄生された側の意志は奪われるので、あまり説得力はありません。憑依するのに必ずしも相手が屍体でなければならないというわけではなく、生きたままでもよい。また邦題に反して、吸血鬼のような伝染性はないようでもありますが、この点はやや曖昧でした。いずれにせよ無気味さを演出するには死者の方がよい。真相開示のきっかけは、シャツをめくると胸から腹にかけてが朽ち果てていたという、『血ぬられた墓標』のクライマックスと同じモティーフなのでした。


 その後ドンパチがあって、無事脱出したかに見えた船長とサニヤはしかし、すでに乗っ取られていました。この点に伏線がないので、いささか唐突の感は拭えませんが、着陸時にサニヤは船長に襲いかかっていましたから、この時点で接触されてはいるわけです。もっともあの時点では船長一人は正気だったのですが。いずれにせよラストを導くために不可欠だったのでしょう。コーマンの『怪談呪いの霊魂』(1963)のところでも記した、一件落着、しかしその実……という終わり方の、ポランスキー『吸血鬼』(1967)に先立つ一例ということになるでしょうか。
 さて、航行に支障をきたした宇宙船は、母星には帰れないので近くの星に向かうことになる。望遠鏡でのぞいた先に映ったのは、地球の近代都市でした。ここで例によって例のごとき思い違いです。昔TVで見て以来ずっと、彼らが到着することによって吸血鬼の伝説が生まれたというオチだと思いこんでいました。しかし望遠鏡に映ったのが近代都市である以上、これは通らない。中世風の蒼古たる城郭だったならと、あらためて思う次第です。ちなみに下掲の北島明弘『世界SF映画前史』(2006)によると、「メルキオール版では最後はエデンの園風に、マーカレーとサニヤがアダムとイヴになるものだったが、バーヴァはこれを退けて、地球には20世紀の摩天楼が建っていたというラストになった」とのことです(p.329)。
 顧みるに、これまで未来の地球人だと思ってみてきた登場人物たちが、実はそうではなかったという点のみが印象づけられるべきところなのでしょう。行き着いた先が地球だということを一目で了解させるには20世紀のビル街の眺めがいっとうわかりやすい。エデンの園云々では彼らが人類の始祖になるという発想は面白いものの、言葉による説明が必要になるので、バーヴァはこれを退けたのかもしれません。
 いささか深読みすれば、船員たちの制服、黒革に黄のライン、高い襟という、いささか安静感を欠いたそのデザインは、彼らが地球の人間とは異質なものであることを暗示していたと見なすこともできるかもしれません。時間の節約のためか、乗員たちが飲食する場面もありませんでした。途中から船長とサニヤが黒革に比べれば落ち着いた感触のオレンジと青灰色の制服に着替え、最終的にこの二人だけが生き残るのは、二人が地球の人間の間にまぎれこむことを先取りしていることになると解せるでしょうか(追記:衣裳について下掲 Tim Lucas, Mario Bava. All the Colors of the Dark, 2007, p.618 も参照)。

Cf.,  ジョン・L・フリン、『シネマティック・ヴァンパイア 吸血鬼映画B級大全』、1995、pp.128-129/no.076

北島明弘、『世界SF映画前史』、2006、pp.328-330。

José María Latorre, El cine fantástico, 1987, pp.319-336:"Capítulo 20 La escuela italiana del terrori" より p.334

Troy Howarth, The Haunted World of Mario Bava, 2002/2014, pp.73-77, etc.

Tim Lucas, Mario Bava. All the Colors of the Dark, 2007, pp.598-631

バーヴァに関して→こちらも参照
おまけ 伝パティニール《ソドムとゴモラの崩壊のある風景》
伝パティニール《ソドムとゴモラの崩壊のある風景》
1521頃


* 画像をクリックすると、拡大画像とデータが表示されます。

 2015/6/22 以後、随時修正・追補
   HOME古城と怪奇映画などバンパイアの惑星 1965