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レポート、1984年2月

ギュスターヴ・モローの制作過程を巡って

石崎勝基
2017年の前置き
  本文 
  参考文献追補
2017年の前置き

 羞恥恥辱含羞!いけない見本シリーズその3となります。その1略称「セリオ」君(1983)同様、修士論文(1985)準備の一段階として書いた、翌年の年度末レポートにあたります。略称は「モロかて」としましょう。400字詰め原稿用紙32枚+註6枚という元気さはともかく、「マネ鏡」(1986)とそのおまけ「歌麿鏡」(1984)に続いて4本目ともなれば、大ざっぱだな粗っぽいないい加減だな……と人ごとのように嘆じつつ、もうええわ、好きにやってえなといった感なしとしません。修論の大枠でも作るつもりだったのでしょうか、つまるところ無意識の前提に回収されることになるにせよ、個々の作品の具体的な局面をねちねちとなぞるのだけが取り柄にもならないアリバイなのに、と思ってしまうのでした。
 想い起こせば早幾歳、このサイトの本題である怪奇映画古城巡りが、ちょっとした言い訳をきっかけに、しかしその後はただただ怠惰ゆえ、1970年代前半まで辿りついたところで休止状態になってしまった中、国立西洋美術館でシャセリオー展が開かれているといそいそと出かけ、何の因果か昔のレポートを引っ張りだし、山川草木悉皆仏性、有象無象も通りゃんせ、穴埋め水増し賑やかしは世の習いと始めたこのシリーズ、まだ幾つか続く予定です。
 誤字脱字、作品タイトルを《 》で囲んだこと、固有名詞や文献の表記などを除いて、原文には変更を加えていません。元のレポートには図版をつけていませんでしたが、個々の作品を扱っていないこともあって、ここでも省きます。もしいずれーいつかーきっと-たぶんーできれば-もしかして修論を載せることがありましたら、そちらに並べますので、ご寛恕ください。
 2017/4/30
 J.キャプランが1972年にコロンビア大学に提出した学位論文で、先年公刊された『ギュスターヴ・モローの芸術 理論・様式・内容』(1)は、まずモローが書き残したものからその芸術観を再構成し、次いでその作品を観察して、様式と内容の展開を辿ったものである。特に中期、後期、晩年それぞれの代表作である《オイディプスとスフィンクス》、《ヘロデ王の前で踊るサロメ》、《ユピテルとセメレー》の三作については、形態及び主題の上でモローが参照したと思われる典拠をできる限り突き止め、多くの準備習作を通して完成作が形成される過程を追っており、今後の研究の基礎になるものと思われる。ただ、一読した後、代表作の形成過程を辿るにあたって、そこで果たした油彩習作の役割が充分述べられていない印象が残った。あるいは油彩習作が言及されていても、構図上の展開について観察されることが主で、色彩面についてはさほど注意が払われていない感があるのだ。これはキャプランの側からすれば、論旨がモローが完成と見做した作品によってその芸術上の展開を辿ることにある以上当然であろう。そこでは習作は完成作に対する関係からのみ捉えられざるを得ない。一方読む側としては、モローが非常に多くの未完成の作品を残したということ、そして少なくとも今日の嗜好からする限り、そういった習作、未完作の方が、しばしばわずらわしいまでに細部を担わされた完成作よりも、自由で生気が感じられるということから、そちらの面についてもっと語って欲しいと思うことになる。畢竟ここにはできる限り作者の意図を尊重することによって、その本来の姿を再建しようとする歴史家の立場と、今日の目で価値を判断しようとする批評の立場とが対置されていると言えよう。こうした対立は、モローの〈抽象画〉を巡る議論に明確に現われている(2)。   1. Julius Kaplan, The Art of Gustave Moreau. History, Style, and Content, Michigan, 1982

2.
以下については主に、Susan Freudenheim, “Gustave Moreau and the Question of Abstraction”, Marsyas, no.20, 1979-80 参照
 モローの〈抽象画〉が注目を集めるようになったのは、主に1960年にパリの装飾美術館で開かれた『アンタゴニスム』展と、1961年ニューヨークの近代美術館で開かれた『ルドン、モロー、ブレスダン』展からである。モローの〈抽象画〉を積極的に取り上げる者の支えとなるのは、まず何よりもそこに何ら具体的な対象が見出せないことだが、更にモローがこれらの作品を丁寧に額に入れ、時に署名したこと、そしてモロー自身の芸術観ある。即ち、「ある事柄が私の内で大きな力を持っている、抽象化への大いなる牽引と熱情である。人間的感情、人間の情熱は確かにとても興味深いものだ;しかし私はこういった魂と心の動きを表現すること以上に、言わば内なる閃光を目に見えるようにすることに惹かれる、それは何に関係づければよいのかもわからないものだが、見かけの無意味さの内に何か神的なものを有しており、純粋な造形の驚くべき効果によって表わされると、真に魔術的な地平を開くのだ、至高なと言ってもよかろう」(3)といった発言である。
 モローについて本を一冊公にしたような著者たちは皆、上の如き議論に対して異議を差し挟む。その際の決まり文句は類似は表面的なものであって、モロー芸術の文脈の内でこれを見なければならない、というものである。まず具体的な対象が見られないということについては、19世紀のアカデミックな芸術においては、丁寧に仕上げられた完成作に対して、下絵習作の類が非常に自由な外見を呈するのは通例のことであって、モローの〈抽象画〉にも幾つか主題なり、構図の配置を見抜くことができるものがあるし、「こういった比較の作業を時と労力をかけて続けていけば、多かれ少なかれ読み解くことができるだろう」(4)。次に、これらの作品を額に入れたのは、P.-L.マテューによれば、モローの遺言執行者であり、モロー美術館創設に尽力したH.リュップである(5)。署名については、署名があるのはモロー美術館のカタログで見る限り、全て題名をつけることのできるものであって、(一見)非対象の《エボーシュ》には署名のことは記されていない(6)。それにモローは最晩年美術館を作ることを考えて、多くの素描に署名を施しており、署名のあることがイコールそれを独立した作品と見做したということにはならない。個人美術館というものは、モローの遺言によれば、「芸術家のその一生の、仕事と努力の総計を認めることを常に許すような全体としての性格を保つ」(7)べきもので、個々の作品を集めたものというよりは、「一つの綜合作品」(8)であるとホーフシュテッターは言う。最後に〈抽象〉という言葉は、ベルナール、ゴーギャン、ゴッホ等19世紀後半の反写実主義的、観念主義的芸術家たち一般に用いられていたもので、今日言う〈抽象〉とは内容が異なる(9)。
 以上のような議論をまとめた後で、S.フロイデンハイムはモロー以外にも、ターナー、ユゴー、アンソールといった画家の作品が抽象の先駆として取り上げられたのが全て1960年代、即ちアメリカ抽象表現主義が市民権を獲得した時期に当り、抽象表現主義の地盤を過去に探ろうとする60年前半の共通の問題意識に根差している、と〈歴史化〉している(10)。
 
  3. モローのノートより、同上、p.75 に引用

4.
同上、p.74

5. Pierre-Louis Mathieu, Gustave Moreau. Sa vie, son œuvre, catalogue raisonné de l'œuvre achevé, Paris, 1976, p.186

6. Musée Gustave Moreau, Paris, 1974,
カタログ番号 1133~1154, 1168~1179

7.
同上、p.5 に引用

8. Hans H. Hofstätter, Gustave Moreau. Leben und Werk, Köln, 1978, p.151

9.
二見史郎、『抽象の形成』、紀伊國屋書店、1970、pp.22-24, 30

10. Freudenheim, ibid., pp.71, 75-76
 さて、モローの〈抽象画〉が本来後に仕上げられるべき作品のために、色彩の配置を研究する習作であるというのはその通りであるとしても、それだけでは何も言ったことにはならない。それを文脈の中に戻さねばならないと言うなら、文脈というのがどういったものであり、その中でどういった意味を持つのかを具体的に検証すべきであろう。また芸術作品においては、〈表面〉というのは決して簡単に片付けられるものではない。下絵習作の類が完成作よりも造形的価値を有していると判断されるのならば、それにはそれだけの意味があるのであって、その意味をより明瞭にすることが結局はより正確な歴史を組み立てることになるはずである。作品と作者の意図は必ずしも一致しない。モロー自身「画家の人格がその作品の背後に完全に消えてしまうことを望んだ」(11)のではなかったか。更にモローの振舞いも矛盾に満ちている。絵自身の語る力を信じながら詳細な註釈を記し、絵の解釈は視る者の自由であると言いながら、個々の細部に寓意的な意味を付し、未完作を美術館に保存するに値すると考えながら、生存中公にしたのは完成作のみであり、その様式は絵画的と線的の間を振幅し、その主題は霊肉の二元性であった(12)。モロー自身己が矛盾を意識して次のように記している、「そして忘れてはならぬ、私はフランス人であり、フランス的良識の名において、幻想の、理想の夢の、大胆の方向での、稀なるものの追求を、この絶壁に面し、泥沼と茨に満ちた道で手ひどい非難の鞭を受けずに、己に許すことはできなかった。私はいつも耳のすぐ傍に、健全で公正な批判の声を聞いた。それは私に私の試みてきたこと全てを疑わせ、私の想像力は気違い沙汰と耄碌に接していると告げるのだ。それ故、ある制作者がその芸術の試みにおいて、励まされないにしても放って置かれれば与えられたであろうことを評価するのは、不可能と言わぬまでも大変難しい」(13)。この矛盾がモローの画業を観察するに当って、常に念頭に置かねばならぬ点である。更にこの矛盾はモロー個人に留まらず、19世紀絵画全体が担う矛盾でもあった。    11. Mathieu, ibid., p.22

12. Kaplan, Gustave Moreau, Los Angeles, 1974, p.53

13.
モローのノートより、Mathieu, ibid., p.147 に引用 
 
 先に触れたように、19世紀アカデミスムの伝統においては、完成作と習作ではその様式がはっきりした対照を示す、ということは一般的であった(14)。筆の跡、ひいては作者の感情の動きを示さないよう丁寧に、滑らかに仕上げられた完成作に対し、習作では粗い筆触で、完成作において平坦に均される光と影の推移が強く対比される。19世紀の絵画史はこの習作の様式、ガントナーの言う〈プレフィグラツィオン〉(15)の、A.ボイムの言う〈産出段階〉(16)の領域が〈フィグラツィオン〉、〈制作段階〉に侵入して行く過程として捉えられ、それだけに両者の緊張が高まった時期でもあった。習作の様式はまず絵画の伝統的な位階では低い位にある風景画に現われ、七月王政期には〈中道派 juste milieu 〉として市民権を獲得する。これは古典派とロマン派の妥協の産物だが、ボイムによれば当時〈公的〉芸術とはこの中道派のことであって、〈アカデミック〉な芸術とは区別されていた(17)。習作の様式が好まれた背景には、ロマン派の〈効果(エフェ)〉(18)、〈独創性〉(19)の教義がある。また都市化の進行への反作用としての自然への関心は、風景画の展開を促し(20)、ブルジョワジーの擡頭が引き起こした社会階層の崩壊―ドストエフスキーは「上も下もブルジョワ」だと叫ぶ(21)―は、アカデミシャンの習作様式の批判―画面の至る所が、人間も物も同じ比重で描かれている(22)―に読み取れる作品の全体性を平行する。事実アカデミー側の反発も強くなるが、一方前衛的な画家、例えば「19世紀の芸術家中、習作-完成の葛藤に集約的に巻き込まれた最初の一人」(23)に属するドラクロワは、「絵を仕上げる時、それは少しばかり損なわれる」(24)ことを意識しながら、絵を完成することを決して否定し去りはしなかった(25)。〈出来た(フェ)〉と〈仕上がった(フィニ)〉を区別するボードレールに弁護されたコロー(26)、更にはコンスタブルやターナーもその点は同様であった。このような習作の様式と完成作の様式は、印象派の成立にある結論を見ることになる。ただその傍にはアカデミスムの伝統が途切れること無く流れており、両極を折衷しようとする〈中道派〉も生まれて来る。印象派以後には再び習作-完成の対置が現われるだろう。ここで注意しておくべきことは、印象派と、それ以前のマネに至るまでの、習作及び習作風の絵画―しばしば〈印象派的〉と形容される―とは様式として区別されるということである。印象派以前の絵画ではいくら筆触が粗放に画面に残っていても、そこで目指されているのは光と影の対置であり、それによって描かれる対象が肉付けされ、三次元的な奥行のイリュージョンが生じる。仕上げられた画面においては、連続的に移行すべく均される光と影が、習作の様式では非連続に強く対比される。色彩が原色の輝きをもって現われることがあっても、それは光と影の関係の内で浮き、沈むのであり、画面の構造そのものが色と色の対比によって形造られるということはない。筆触が画面の主要なモティーフと背景との境界を曖昧にし、習作であるが故に画面のモティーフが線遠近法的な図式によって整理されていないため、奥行が浅くなることはあるにしても、基底をなしているのは明暗法の論理に従った遠近法的な空間の把握である。
 こういった空間像を印象派の色調分割は破壊してしまった。これは印象派において風景画が主体であったことと関係している。風景画において奥行のイリュージョンを形成するのは、曲りくねった道や川であるとか建築物といった線遠近法的な道具立て以上に、空気遠近法と色彩遠近法が大きな役割を果す。それが習作様式において通用しなくなることは、既に1837年のローマ賞コンテスト、就中七月王政期の風景画興隆の際に気付かれていたが(27)、色調分割の補色の対比は空気遠近法や色彩遠近法を犠牲にして画面の明るさを得る。G.シュミットによれば、それ故逆に印象派の画面の線遠近法的骨組が課されることになる(28)。ピサロやシスレーにおいてはそれは未だ穏当を得たものであるが、既にブーダンの海浜の情景を描いた作品に見られる平面化は、モネによってその極にまで押し進められる。モネの画面にはしばしば、地平線水平線や、岸辺等の地形、橋や建築物が非常に図式的、幾何学的な線として現われる。これらの線が骨組となって、画面が〈霧と靄〉に溶け去って了うのを防ぐ中、筆触が画面を満たしてゆく。以前の習作様式の筆触が、どちらかと言えば幅広くなって、運動感を与えようとする傾向があるのに対し、色調分割の筆触は細くなって、大気と光の揺らぎを伝えようとする。ここに習作様式においては後に来る完成作が念頭に置かれているのに対し、印象派では習作がそのまま完成作と考えられている、という態度の違いを読み取ることができるかもしれない。細くなりゆく筆触は一方で、新印象派の点描に繋がり、他方長く伸びることによってモネ後期の〈書〉的(カリグラフィック)な線に達する。画面の骨組を形造る幾何学的な線の方は、筆触分割による平面化と相俟って、図と地の区別を廃したモンドリアンにおける黒枠の機能を予告するものだが、水面というモティーフを得ることによってその役割を解かれ、ここに画面内に天と地の位階(ヒエラルキー)を有さない、平面そのものが無限の拡がりを暗示するような、オールオーヴァーな空間が現われるだろう。
  14. Albert Boime, The Academy and French Painting in the Nineteenth Century, London, 1971 参照

15.
ヨーゼフ・ガントナー、「近世美術における未完成の諸形式」、中村二柄訳、J. A. シュモル編、『芸術における未完成』、岩崎美術社、1971 所収

16. Boime, ibid., p.87
等、及び p.202 note 42

17.
同上、p.15

18.
同上、p.166 以下

19.
同上、p.173 以下

20.
同上、p.165

21. Peter Hahlbrock, Gusutave Moreau oder das Unbehagen in der Natur, Berlin, 1976, p.70
に引用

22. Boime, ibid., p.94

23.
同上、p.90

24.
同上、p.93

25.
同上、pp. 10, 91-92

26.
同上、p.155

27.
同上、p.145 及び p.214 note 56

28.
ゲオルク・シュミット、『近代絵画の見かた』、中村二柄訳、社会思想社、1961、pp.39-40
 モローの習作は、上の区別に従えば、印象派以前の習作の様式に属している。いくら個々の色が強く己れの権利を要求しても、それは常に何らかの彩度-明度の関係によって全体に調和させられており、あくまで地の上の図に留まっている。ただ光は色彩の外にあって、明るさの程度によって色彩の輝きを定めるのではなく、全体の仄暗い調子の中で、色彩に内在し、色彩そのものの内なる輝きとして与えられる。これがモローの〈宝石細工〉である。油彩においてはマティエールは筆触の動きとして画面の流れに従属するよりも、稠密に凝り固まろうとする傾向がある。これはパレットナイフの使用や、チューブから絵具を直接画布になすりつけたりといった技法にも至るのだが、それがしばしばモローの習作を習作以外の何者でもないものにする粗さや重苦しさの印象を与える一方、水彩でも同じだが、色彩とマティエールの関係、色彩相互の関係が、画面が造形的には完成していると判断せしめるような水準に達していることがある。「それが物質的に完成しているか未完成であるか、そのいかんにかかわらず、美術的な完成の状態を読みとること」(29)のできる眼を養わなければならない。    29. ガントナー、ibid., p.72
  
 以上の如き習作-完成の対立は、言うまでもなく19世紀に限られたものではなく、西洋近世近代の芸術史を覆うものである(30)。少なくとも現在に残されている限りでは、中世末期からルネサンスにかけて、人格性の目覚めと共に〈プレフィグラツィオン〉と〈フィグラツィオン〉の対立が表面に浮かび上がる。レオナルドとミケランジェロにおいてこの対立は、心中に抱かれたイデーとそれを実現することの不可能、作品の未完成という形ではっきり意識される。バロックからロココにおいては、対立する両極は接近するが、その間にも様々な段階がある。特にフランスでは古典主義の擡頭が、プッサン派とルーベンス派の対立を招く。しかも完成作では古典主義的作風を示すプッサンが、素描類では光と影を強く対照したバロック様式を見せてくれるのである。
 バロック、ロココから19世紀絵画への展開について、ボイムはロココから印象に至る展開においてダヴィッドの革命はアナクロニスムであって、「この運動がなければ、習作-完成のカテゴリーが19世紀にとって関連を持ったかどうか疑わしい」(31)と言う。ことはさほど単純ではないにしても、ダヴィッドの登場が19世紀絵画に大きな緊張をもたらしたことは確かだろう。
 一方、習作の様式を鑑賞する嗜好の歴史も、決して19世紀に始まった訳ではない。古典期の伝承は置くとしても、ルネサンスに、ヴァザーリがきちんと仕上げられたルカ・デ
ラ・ロッビアの作品と未完成風のドナテロの作品を比較して、遠くから見た場合ドナテロの方が映えることを記している(32)。同様の観察は晩年のティツィアーノやミケランジェロに対してなされ、18世紀後半にレイノルズがゲインズボローの絵画について、想像力を巡らすことで視る者は、きちんと仕上げられた場合より満足を味わうのだとやや不満げに語っていることが(33)、こうした嗜好が一つの伝統を形造っていることを物語っている。また1967年にコロンビア大学で開かれた『酔った絵筆の巨匠たち』展についてL.スタインバーグは(34)、そこに展示されたルーベンスからティエポロまでの、スピーディーな筆の動きを示す小サイズの油彩スケッチは、制作過程の単なる一段階の記録ではなく、バロック期の芸術家の地位向上に応じて、巨匠的技巧の見せ場として、また王侯貴族にも比すべき芸術家の力の現われとして、意識的に習作の様式で描かれた作品と見做している。 
  30. 同上、参照

31. Boime, ibid., p.204 note 123

32. E. H. Gombrich, Art and Illusion, London, 1968(3), pp.162-163
(瀬戸慶久訳、『芸術と幻影』、岩崎美術社、1974、pp.267-268)

33.
同上、pp.167-168, 及び 163-167(邦訳、pp.275-276 及び 268-275)

34. Leo Steinberg, “Deliberate Speed”, Art News, 1976.4

 
 このような嗜好の伝統を知ってか知らずにか、19世紀の末にモローはある學生に助言する(35)、「単純にすること、滑らかできれいな仕上げから遠ざかること。現代の傾向は我々を方法の単純化と表現の複雑化へと導く。…(中略)…芸術においては今後、未だはっきりしない大衆の教育が少しずつ進んでいくように、もはや完成したり、注意深い仕上げにまで進める必要はなくなるだろう、文学においても我々の修辞やよく仕上げられた総合文を好まなくなるだろう。…(中略)…最小の方法で多くを語ることを我々は望む。それ故来たるべき芸術は―既にブグローその他の方法を告発している―我々にただ、指示、粗描き、しかしまた多様な印象の無限の変化を要求するだろう。まだ完成することはできよう、しかしそれは完成の見かけなしにである」。
 モローの制作過程は19世紀アカデミスムの伝統の枠内にあり、若い頃美術学校で学んだ方法に一生従っていた。一つの作品を仕上げるのに多くの準備習作を、素描、油彩、更に水彩を製作する(36)。
 まず素描で全体の構成を模索する。それに続いて、あるいは平行して油彩ないし水彩で色彩の関係を研究する。構図が定まった後モデルを使って部分の習作をし、細部を定めて行く。細部が決まると、最終作と同じ大きさの、方眼を引いたカルトンでそれを透写する。
 素描は制作が進むほど、アカデミックな相を強める。モデルによる細部習作は輪郭を取って、それに線影か擦筆で影を施し、肉付けしたもの、最終素描も堅く精確な線的様式による、新古典主義的なものである。これらは多く対象の細部、あるいは完成という理念に捉われてしまった生気のないもので、「モローがアングルやドガのような生まれついての素描家ではない」(37)ことを物語っている。そうして描き出されたアラベスクは流暢なものではなく、完成作においても、彼が繰り返し描いた裸婦像の曲線などは、多分に観念的で微妙さを欠いたものが少なくない。彼女たちの腰がしばしば重くふくらんでいるのには、精神分析的な解釈を与えることすらできるだろう。
 こういった傾向が進んで、先の尖ったペンで、肥痩が無く肉付けも殆んど施されていない、筆の進みのゆっくりと一様なアラベスクを描き出す素描群がある。筆の動きにゆとりがない、強張ってさえいるが、それが却って奇妙な魅力を醸し出しており、時にマティスのアラベスクを思わせる。これらの素描は、油彩の習作で色彩を大きく配した上に、色彩の配置とは独立して墨で輪郭を描く〈入墨〉に類するもので、最終作の油彩の画布に線を移す直前の段階を示しており、特に細部を積み重ねる傾向の強くなる後期に属するものだろう。
 なお、形態が強張った、プリミティヴなものになる傾向は、ゴーギャンやスーラら後期印象派によって積極的な意義を与えられる以前、モロー以外にもシャヴァンヌやロセッティ、更にジェリコーその他にも見出される。これは確かにあらゆる時代を通じて、大衆的、通俗的(ポップ)な芸術の領域において、あるいは不器用な芸術家の作品に認められるものだが、19世紀においてはそれが、前衛的な芸術家のみならず保守的な芸術においても進行していた平面化の傾向と軌を一にしていた。
 
  35. Anne Prache ed., “Souvenirs d'Arthur Guéniot sur Gustave Moreau et sur son enseignement à l'École des Beaux-Arts”, Gazette des Beaux-Arts, no.1167, 1966.4, pp.235-236

36. Matheiu, ibid., pp.193-206
及び Kaplan, The Art of Gustave Moreau の本文で挙げた各作品の分析を参照

37. Mathieu, “Rôle et techniques du dessin dans l'œuvre de Gustave Moreau”, Musée Gustave Moreau. Catalogue des dessins de Gustave Moreau, Paris, 1983, p.10
 さて、上に述べた制作の進んだ段階における素描に対して、それ以前の段階の素描はよりはっきりと画家の内部の動きを表わしている。モデルを使って細部の精密な研究を行なう以前に、彼は殴り描きに近いクロッキーから始めて、構図の全般的な配置、あるいは主要な人物のポーズを模索する。先の尖ったペンにたっぷりインクを浸して、かなり荒々しい動きで線を重ねる。時に線が画面全体を覆ってしまうことがある。あるいは先の柔かい木炭や鉛筆を擦りつけるようにして光と影を表わす。制作が少し進むと、明暗の諧調を研究するため、線をできるだけ減らし、濃淡だけで画面を構成することがある。これらの素描の構図は大旨完成作よりも自然で、動きを孕んでいる。
 これらの構図は、水彩あるいは油彩の小品に移され色彩の関係が研究される。また作品によっては賦彩習作の方が先行、少なくとも素描に平行していると思われるものがある。A.ルナンの証言によると。「往々にして彼は、何らかの偶然でパレットの上に配された、あるいは板に並べられた色調の対比あるいは調和の内に、ある固有の言語の明確な意味を捉え出した。これら故意になされた、あるいは思いがけず見出された調子を細心に彼は保ち、それが呼び起こす感触の内に完全なものにまで推し進める、そうすると彼の覚めた眼に、次第にそこから彼の夢の形態が立ち現われるのだ」(38)。P.ハールブロックが指摘するように(39)、このような制作法は既にレオナルドによって報告されている。即ち壁のしみをじっとみつめていればそこに様々な具体的な形を見つけ出せるというものである(ただしレオナルドはボッティチェ
リに反論して、それを絵画にまで仕上げる腕が必要だとも述べている)(40)。ハムレットとポローニアスの雲を見ての問答を思い起こすこともできよう。同様の観察はヘレニズム期にも、中国にも見出される(41)。A.カズンズはそれを『風景画の独創的な構想を描く際の創意を助ける新しい方法』にまで高めた(42)。20世紀にはエルンストの〈フロッタージュ〉がある。
 モローは語る、「色彩を思考し、その想像力を持たねばならない。想像力を持たないならば、決して美しい色彩は生じないだろう。…(中略)…色彩は考えられ、夢見られ、想像されねばならぬ…」(43)。モローの〈抽象画〉もこのようにして制作されたものだろう。今日最も評価されているのも、制作過程のこの段階の所産である。そしてこれらが造形的にそれなりの完成に達していると判断されるならば、画家自身もそれを意識していたと考えてはいけないのだろうか?「私はとても自分の芸術を愛しているので、自分だけのために制作する時しか幸福ではないだろう」(44)。
 
  38. Hahlbrock, ibid., p.157 に引用

39.
同上、p.186

40. Gombrich, ibid., pp.159-160
(邦訳、pp.261-263)

41.
同上、pp.154-155, 158(邦訳、pp.254-255, 261)

42. 同上、pp.155-158
(邦訳、pp.257-259)

43. Edouard Michel ed., “Gustave Moreau et Henri Evenepoel“, Mercure de France, no.161, 1923.7.15, p.392

44.
モローのノートより、Matheiu, Gustave Moreau, p.147 に引用
 若い頃モローはフロマンタンへの手紙で、「私は最も難しいことから始める、即ち線と内側の肉付けだ、それにとても力強くアクセントをつけ、それから思い切り自由に色の流れで覆い、全てを恐れず掃き、物を粗描きとして扱うのだ」(45)と述べている。キャプランは後期になるとモローは線の枠組を省いて、直接画布に色彩で当たるようになる、と考える(46)。他方マテューは、非常に自由な画風の作品でもX線写真で見ると、はっきりした素描が絵具の層の下に認められることから、若い頃の制作の手順は後に至るまで変わらないと見る(47)。これは恐らくケースバイケースではないかと思われる。
 このようにして制作された油彩習作の色彩の上から重ねるようにして、しかしきっちりとは重ならずにずれを示して、スピードも肥痩も無い線が細かく描き込まれた習作が幾つかある。これが先にも触れた〈入墨〉である。作品が完成にまで進められた時には、これは厚く盛り上げられた「色の宝石を嵌め込む台」(48)となる。完成作でも、細部によっては〈入墨〉の跡が残っている場合がある。ここに示されているのは、モローにおいては線と色彩、マティエールが有機的に交渉し合いながら習作から完成へという過程を辿るのではなく、線と色彩が別々に展開し、それがある時点で、丁度モローがしばしば過去の巨匠から借りたモティーフを充分消化せずに画面に持ち込んだのと同じように、別々のものとして画面に配されたということである。ここにモローの〈矛盾〉の最も顕著な現われの一つを見ることができよう。他方このような形で放置された画面は、一種奇妙な魅力を放っている。鮮やかな輝きを放つ色彩の上に、動きの無い線が二重写しのように重ね合わされている。部分的な例を別にすれば、このようにはっきりした形で現われた先例は、恐らくあまり(少なくとも)残されていないのではないだろうか?
 
  45. Barbara Wright et Pierre Moisy, Gustave Moreau et Eugène Fromentin. Documents inédits, La Rochelle, 1972, p.87

46. Kaplan, Gustave Moreau, p.50

47. Matheiu, ibid., p.202

48.
同上、p.178
   
 以上のような過程を経て制作される作品はしかし、しばしば未完のまま残された。未完作の多さの理由としてはまず、素描や賦彩習作に非常な手間、時間をかけるということ自体から、完成作の数があまり増えないということになる(49)。次に、そして何よりも、「学校の美術とは違った、叙事詩的芸術を造りたい」(50)という宿願にもかかわらず、彼が「記念碑性と単純さの感覚を有していなかった」(51)ということがその最大の理由であろう。言い換えれば細部への固執である。既に見たように、彼はある作品を制作するに当たって、大凡の構図が決まると、モデルを使って細部の研究を行なう。できるだけ精確であろうとするが故に、それは非常な手間を要求し、結果的にはそれらの習作から、ひいては完成作からさえも生気を奪ってしまう。ここにキャプランの言うように、「19世紀アカデミスムと共有する妄執」(52)、更に時代の帰納法的実証主義との接点を見ることができよう(53)。
 「各細部の研究が全体と同じ重要性を持つ制作方法をもってしては、稀にしか完成に至らない」(54)ことに加えて更に、「豊富な装飾的定式で絵を取り囲むことは主題を高めることで」あり、「豪奢な調度や装飾品そのものが一連の抽象的な主題を補強する」(55)と信じるが故に、彼は絶えず装飾的細部を増殖させて行く。一旦中断された作品を後になって再び取り上げ、画布を拡張し、そこに細部を描き込んで行くこともしばしばである。これが最晩年の《ユピテルとセメレー》に代表される、もはや細部に付された寓意的意味ではなく、細部が無尽に積み重ねられている、という造形それ自体が表出性を帯びるという、「美術の歴史において稀有でもあれば袋小路でもあるような作品」(56)に至らしめるのだが、一方では作品の完成をますます困難にしたのである。
 言葉を換えればこれは、作品に対して抱かれたイデーと、それを実現することの困難さという問題であろう。モローが残した作品の註釈に読み取れる思考は、そのことを納得させる。モローの註釈は、耳の悪い母親のために書かれたものか、個人美術館を作ることを考えるようになった最晩年にか、そうでなければ収集家の要請によって書かれた(その場合彼はしばしば、作品に説明は必要ないのだと付け加えている)(57)ものであって、作品の制作と時を同じくするものかどうかは必ずしも判然とせず、むしろ絵画とは独立平行した造形活動の所産と見るべきものだが、それだけにその思想の壮麗さは絵画の枠を顧慮せず高く羽搏たこうとする。
 既に若い頃モローはフロマンタンへの手紙で、「焦れる渇望を実現から分かつ莫大な距たり」(58)について、同じ問題に悩むフロマンタンに「もし私たちがもう少し呑気に、私たちの夢見る完成に悩まされないでいられるならば、私たちはそこに達さんとするための力をもっと持っていられるでしょう」(59)などと、互いに力づけ合っている。モローのある友人は、「君の付き合う芸術家は皆、君から最も高き芸術への欲望を得てくる、それはたやすくは満たしえないので、彼らをとても不幸にするのだ」(60)と語る。イタリアから帰ったドガは、モローが「芸術家という仕事をとても難しくしてしまった」と嘆いたと言う(61)。ドガもまた完成-未完成の問題に憑かれた画家であったことは、ヴァレリーの伝える如くである。この問題はモローらに留まらず、ルネサンス以後の西洋美術に関わる問題であり、就中19世紀にその緊張が高まっていたことについては既に述べた。
 
  49. 同上、p.200

50. Jean Paradilhe, Gustave Moreau, Paris, 1971, p.10

51. Mathieu, ibid., p.88

52. Kaplan, ibid., p.35

53.
同上、pp.46, 49, 53

54. Mathieu, ibid., p.264 note 342

55.
モローのノートより、同上、p.178 に引用

56.
同上、p.184

57.
同上、pp.182, 361. カタログ番号413 の解説に引用

58. Wright et Moisy, ibid., p.137

59.
同上、p.68

60.
同上、p.39 note 68

61. Mathieu, ibid., p.75

 
 最後にレプリカとヴァリエイションの問題に少し触れておこう。愛好家の求めに応じて製作されるレプリカの習慣は、ルネサンスにおいて中世の「細密画家たちのアトリエでは馴染みの再製作の延長」(62)として登場し、近世の間ずっと広まっていた。収集家もレプリカやコピーを厭わず、古い文献ではオリジナルとの区別はなされていないという(63)。この区別が重要視されるようになったのは新古典主義の時代からだが(64)、就中19世紀末から20世紀にかけて、写真の登場や独創性が基本的価値と見做されたのと相俟って、コピーやレプリカの価値が貶められ、他方贋作の隆盛を招くことになる(65)。しかし「唯一なる創造の世紀を開くと見える」(66)19世紀においても、「繰り返しという現象は過小評価」(67)すべきではない。「神経質なタッチとヴィジョン、その直接性は同じ主題の繰り返しなどには無縁と思われるドーミエ」(68)すら多くのレプリカを作っている。シャヴァンヌも自分の大装飾画については、殆んど全てレプリカを作製している(「実の所なぜなのか?」と研究者は問う)(69)。
 モローも収集家の求めに応じて、自分の人気を博した作品のレプリカを少なからず制作している。油彩、あるいは水彩やペン・デッサンであることもある。サイズは縮小され、背景や細部に変更が加えられることがある。レプリカの常として、決定作に比して制作は粗くなり、人物の形態も堅い、硬張ったものになる(恐らく色も強くなる)が、時に丁寧に仕上げられた決定作より魅力的である。この他に、サロンで成功した大作を元にするのではなく、小品に変更を加えながら繰り返したものもある。これらはレプリカというよりはヴァリアントと呼ぶべきか。
 先に述べたように、モローは制作の初期の段階で構図を模索するために、様々なヴァリアントを制作する。レプリカに加えられる変更はここに由来するものだろう。この段階に根を持つと思われる系列で他に、ある主題、例えばスフィンクスの物語であるとかサロメの物語などの、決定作に対して物語の時間的に先行あるいは後に来る場面を描いた〈連作〉がある。これを評者はモローの制作原理の一つとして、〈継起〉の原理と呼んでいる(70)。ただここで注意すべきは、物語の時間は連続していても、舞台、画家の視点、更には絵の内容まで変化することがあり、単純な一続きの物語としては捉えられず、ある観念をそれぞれ独立した異なる角度から表現したものとでも見るべきだろう。
 けだし、モローの画業を観察するのに、完成された大作を中心に置くだけでは充分とは言えない。これは個々の作品をなおざりにして全体の流れのみを捉えようと言うのではなく、一つ一つの作品を評価することによって、より深くモローの内部に入ることができると考える。それはまた、キャプランやマテューの仕事がそのための基礎を提供してくれるからでもあろう。
 尚、このレポートでは具体的な作品の観察は全く行なわれなかった。美術史の作業としては最も忌避すべきところであろう。これは修士論文に譲りたい。

 
  62. “Copies, répliques, faux : Éditorial”, Revue de l'Art, no.21, 1973, p.15

63.
同上、p.21

64.
同上、p.23

65.
同上、pp.29-30

66.
同上、p.24

67.
同上

68.
同上、及び K. E. Maison, “Daumier's Painted Replicas”, Gazette des Beau-Arts, 1961 参照

69. Catalogue de l'exposition Puvis de Chavannes 1824-1898, Paris, Ottawa, 1976-1977,
カタログ序文, p.12

70. Ragnar von Holten “Le développement du personage de Salomé à travers les dessins de Gustave Moreau”, L'Œil, no.79-80, 1961.7-8, p.72. José Pierre, “Gustave Moreau au regard changeant des générations”, Paradilhe, ibid., p.110

 
モローについての文献はその後いろいろ出ており、そのほんの一部を見る機会がありましたが、それらはいずれーいつかーきっと-たぶんーできれば-もしかして修論を載せることがあればそちらで挙げるとして追記 修論こと『モロ序』も結局載せました→こちら、文献追補は→あちら)、

・〈習作/完成作〉および〈完成/未完成〉問題の枠組みを呈示してくれたガントナーについては、註15の論文以外の邦訳として;

ヨーゼフ・ガントナー、中村二柄訳、『人間像の運命-ロマネスクの様式化から現代の抽象にいたる-』、至成堂書店、1965
(註15の論文も収録)


中村二柄編訳、『ガントナーの美術史学』、勁草書房、1967

ヨーゼフ・ガントナー、中村二柄訳、『レンブラント』(美術名著選書 6)、岩崎美術社、1968

ヨーゼフ・ガントナー、中村二柄訳、『レオナルドの色彩』、岩崎美術社、1975

ガントナー、中村二柄訳、『心のイメージ 美術における未完成の問題』、玉川大学出版部、1983

ヨーゼフ・ガントナー、藤田赤二・新井慎一訳、『レオナルドの幻想(ヴィジョン) 大洪水と世界の没落をめぐる』、美術出版社、1992

また

中村敬治、「プレフィグラツィオンと様式-ヴェルフリンからガントナーへ-」、『美学』、no.54、1963.9

中村敬治、「未完成の問題と日本芸術」、『美学』、no.55、1963.12

高階秀爾、『美の思索家たち』、新潮社、1967、pp.154-170:「『人間像の運命』 ヨーゼフ・ガントナー」+「書誌案内」中の p..252

中村二柄、『美術史学の課題』、岩崎美術社、1974、「第5章 表象形式より先形象へ」

・いわばガントナーの問題を19世紀に適用した、註14の文献(この本はたしか、担当教官に教えてもらった)はその後邦訳されました;

アルバート・ボイム、森雅彦・阿部成樹・荒木康子訳、『アカデミーとフランス近代絵画』、三元社、2005
  モローも図68、69、141、142 で登場します。


・モローにおける〈完成/未完成〉について;

M. Luisa Frongia, "«Finito» e «Non finito» nell'opera di Gustave Moreau", Commentari, no.23, 1972

また

Pierre-Louis Mathieu, "Gustave Moreau et la création du tableau", L'information d'Histoire de l'Art , no.10. 1965

・モローの〈抽象〉問題については、その後下記の3図録でラファエル・ローゼンベルクが取りあげました;

Catalogue de l'exposition Gustave Moreau. Mythes & Chimères. Aquarelles et dessins secrets du musée Gustave-Moreau, Musée de la vie romanrique, 2003
  Jérôme Godeau, "L'assembleur de rêves"
  Marie-Cécile Forest, "Le musée Gustave-Moreau à cent ans. Les coulisses d'une ouverture"
  Marie-Cécile Forest, "L'insoupçonnable cabinet des dessins"
  Luisa Capodieci, "La lyre et la croix. Le testament pictural de Gustave Moreau"
  Raphael Rosenberg, "Hasard et abstraction. Les palettes d'aquarelle de Gustave Moreau"
  Luisa Capodieci, "Biographie d'une «peintre héroïque»

Catalogue de l'exposition Paysage de rêve de Gustave Moreau, Monastère royal de Brou à Bourg-en-Bress et Musée des Beaux-Arts de Reims, 2004-2005
  Marie-Cécile Forest, "La nature en deuil"
  Geneviève Lacambre, "Paysage et peinture d'histoire dans la France du XIXe siècle"
  Peter Cooke, "Pour une théorie de la nature et du paysage chez Gustave Moreau"
  Luisa Capodieci, "Gustave Moreau au pays où fleurit le citronnier : promenades romaines"
  Marie-Anne Sarda, "Sources et développements de Gustave Moreau pour l'art du paysage"
  Raphael Rosenberg, "Taches ou paysages? Les peintures non figuratives de Gustave Moreau"
  Catalogue : Luisa Capodieci, "Paysages d'Italie, d'Honfleur et d'Étampes"
         Marie-Anne Sarda, "Paysages d'après nature?"
         Marie-Anne Sarda, "Paysages de la mythologie et de l'histoire"
         Raphael Rosenberg, "Entre paysage et abstraction"
        Marie-Anne Sarda, "... Vers un paysage symboliste"
  Louis Boisse, "Le paysage et la nature dans l'œuvre de Gustave Moreau"(1917)


Katalog der Ausstellung Turner Hugo Moreau. Entdeckung der Abstraktion, Schirn Kunsthalle, Frankfurt, 2007-2008
  Max Hollein, "Vorwort"
  Raphael Rosenberg, "Einleitung / Die Wirkungsãsthetik / Zufall und Abstraktion / J. M. William Turner / Victor Hugo / Gustave Moreau / Abstrakte Bilder vor 1900 in Literatur, Karikatur und Edoterik / Epilog : Kandinsky und die »Erfindung« der abstrakten Kunst"


・さらに;

Catalogue de l'exposition Gustave Moreau. Vers le songe et l'abstrait, Musée Gustave Moreau, Paris, 2018-19
  Marie-Cécile Forest, "Avant-propos" et "Gustave Moreau «L'au-delà abstrait»"
  Véronique Sorano Stedman, "Le Triomphe d'Alexandre le Grand. L'abstrait dans le figuratif"
  Emmanuelle Macé, "Les «essais de couleur» sur papier de Gustave Moreau"
  Cécile Debray, "Gustave Moreau, grand-père de l'abstraction?"
  Dario Gamboni, "Abstraction, matière et imagination dans l'œuvre et la pensée de Gustave Moreau"
  Rémi Labrusse, "Un travail de deuil?"
 Catalogue : Le Triomphe de'Alexandre le Grand. La fabrique de l'œuvre
    La tache qui fait sens
    Le bleu comme support
    En deçà de la figuration
    Le paysage, science des valeurs
    La peinture comme champ coloré
    «Les merveilleux effets de la pure plastique»

・関連して、とても面白かった憶えがある次の本の「第6章 世紀の転換点にて」中に「モロー、ドガ、セザンヌ」の節がありました(pp.197-212);

ダリオ・ガンボーニ、藤原貞朗訳、『潜在的イメージ モダン・アートの曖昧性と不確定性』、三元社、2007

  追補:上掲 Gustave Moreau. Vers le songe et l'abstrait, 2018-19 にも寄稿

・モローの《エボーシュ》(モロー美術館 cat.no.1141)が一点だけ掲載されています(p.43 / no.16);

Richard R. Brettell, Catalogue of the exhibition Impression. Painting Quickly in France 1860-1890, The National Gallery, London, Van Gogh Museum, Amsterdam, Sterling and Francine Clark Art Institute, Williamstown, Massachusetts, 2000-2001

・モローが出てこないのでがっくりした憶えがあるものの - (1)〈未完成〉;

Catalogue of the exhibition Unfinished : Thoughts Left Visible, The Metropolitan Museum of Art, New York, 2016

ついでに

Nico van Hout, The Unfinished Painting, Ludion, Antwerp, Abrams, New York, 2012

千足伸行、「未完成のなかの完成」、『美術手帖』、no.422、1977.7:「特集 セザンヌの誘惑」

Catalogue of the exhibition Cézanne: Finished - Unfinished , Kunstforum, Wien, Kunsthaus Zürich, 2000


・モローが出てこないのでがっくりした憶えがあるものの - (2)〈先抽象〉;

Otto Stelzer, Die Vorgeschichte der abstrakten Kunst. Denkmodelle und Vor-Bilder, R. Piper & Co Verlag, München, 1964

Catalogue de l'exposition Aux origines de l'abstraction 1800-1914, Musée d'Orsay, Paris, 2003-04

となるとやはり、上のシュテルツァーの著書を出発点としつつ(pp.324-325)、モローも含む

坂崎乙郎、『抽象の源流 その先駆者たち』、三彩社、1968

  を忘れるわけにはいきますまい。思えば→こちらで挙げた

坂崎乙郎、『幻想の建築』(SD選書 35)、鹿島出版会、1969

  およびその姉妹篇

坂崎乙郎、『幻想芸術の世界 シュールレアリスムを中心に』(講談社現代新書 189)、講談社、1969

  は、語り口に波長をうまく合わせきれなかったのではありますが、欠かせない糸口ではありました。

マルセル・ブリヨン、『幻想芸術』、紀伊國屋書店、1968

  の訳者であることも落とせない。
 そもそも『抽象の源流』にはモロー以外にも、その後ずっと気になり続けた作家が何人も扱われています。その意味で澁澤龍彦とは別の形で、坂﨑が敷いたレールからいまだ離れられないでいるような気がするのでした。なので目次も記しておきましょう;

序 - 抽象 イメージの展開/レオナルド 迷宮模様と世界の没落/アルトドルファー アレキサンダーの戦い/アルチンボルド 偏執狂の顔/ブオンタレンティ グロッタ/セーヒェルス 生ける大地/モンス 黙示録の廃墟/ラ・トゥール 幾何学的抽象と神/スターン 純粋抽象とユーモア/フリードリッヒ 象徴の風景へ/ターナー 光と影/ユーゴー 幻想的抽象/モンティセリ 母岩に埋もれた宝石/モロー 孤独な騎士/ドガ 秋のエチュード/モネ 眼/ルドン 赤い屛風/ロダン 運動・象徴・未完成/ストリンドベルク 地獄/ロッソ マダム・X など、384ページ。



・モローとは別に、註62、68などにつながる〈レプリカ〉の問題に関わって;

土生和彦、「昭和初期の木彫小品と同型作品 - ふたつの『筍』をきっかけとして」、『近代彫刻の天才 佐藤玄々〈朝山〉』、求龍堂/福島県立美術館、碧南市藤井達吉現代美術館、日本橋三越本店、2018-19、pp.156-160

 なお註62や68に挙げた文献では、〈レプリカ〉は作者自身による複製・再制作・変奏といった意味で用いています。『新潮 世界美術辞典』(新潮社、1985)で「レプリカ replica(伊)」の項を見ると、「原作者(あるいは少なくとも同一*工房)の手によって制作された原作(→オリジナル)の写しのこと。コピー(*模写、模刻、模造)の一種であるが、原作と写しとの関係は模写の場合のように厳密ではなく、作家の手控えとみなした方がよい場合もある。なお広くは、コピーないし*複製と同義に用いられる場合もある」(p.1613)とありました。
 ちなみに「複製
reproduction(英、仏)」の項では、「一般に複製は原作者以外の手になるが…(後略)」(p.1248)。また「模作 copy(英), copie(仏), Kopie(独)」の項(p.1480)とともに「模写」の項があり、「コピー(copy[英], copie[仏], Kopie[独])の訳語として、彫刻・工芸品の*模作や*レプリカを含むこともある。…(中略)…なお印刷などによる多数の複本は*複製(reproduction[英、仏])という」(p.1480)。
 とまれ、主として〈複製〉の意味で使われているのが;


『レプリカ 真似るは学ぶ』(INAX BOOKLET)、INAX出版、2006

また;

『再制作と引用』展図録(シリーズ・ ART IN TOKYO No.5)、板橋区立美術館、1993

『西洋美術研究』、no.11、2004.9、「特集 オリジナリティと反復」
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