レポート、1983年2月 | ||||||||||||||||||||||||||||||
テオドール・シャセリオーに就いて石崎勝基 |
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2017年の前置き 2017年2月28日から5月28日まで上野の国立西洋美術館で『シャセリオー展』が開かれるという、そのちらしを元の勤め先で見た時にはおのが目を疑いました。もっとも顧みれば、これまでまとまった紹介のされたことがなかった作家の展覧会が催されるのは、必ずしも珍しいことでもない。ユベール・ロベール、ハンマースホイ、スピリアールト……。敏感に反応したのは、昔の研究テーマがシャセリオーに関わるところがあったからなのでしょう。 当方が卒業論文(1981)、修士論文(1985)で扱ったのはギュスターヴ・モローなのですが、そのモローや、またピュヴィス・ド・シャヴァンヌに大きな影響を与えたとされるのがシャセリオーです。さらに新古典主義の領袖アングル門下で神童として将来を嘱望されながら、その宿敵と見なされていたドラクロワとロマン主義の陣営に与した画家でもあります。その点にも関連して、いわゆるオリエンタリズムの流れに棹差しもした。何よりその作品では、人物は男女問わず眼がむやみに大きく、からだは丸みを帯びて柔らかさと硬さがない交ぜになった奇妙な雰囲気をまとっています。 卒論(→こちら)でもしょっぱなでシャセリオーの作品を引きあいに出したのですが、大学の図書館にシュヴィヤールとマルセル&ラランのモノグラフィー、サンドスのカタログ・レゾネが収められていたこともあって、そういえば修論の準備段階の一つとしてシャセリオーについての年度末レポートを書いたことがあったっけなと、担当教官の朱で真っ赤になったそれを引っ張りだしてみれば、冷や汗だらだら、全身をかきむしり、壁に頭を10度ほど打ちつけ、七転八倒匍匐前進、床をゴロゴロしたくなるような代物ではありました。書いた本人から見てという条件つきではあれ、ここまでくればいっそ面白がるべきではないかと、何を血迷ったか恥の上塗り世の情け、シャセリオー展で興味を持った人がアクセスしてくれるかもという助平根性も手伝って、ここに掲載する次第です。 とはいえ、モロー美術館目当てにほんのひと月ほどパリに初めて赴いたのは1984年のことですから、この時点では下の日本での展覧会図録抄にも挙げた大阪・梅田はナビオ・ギャラリーでの 『フランス近代絵画 女性美の饗宴』展(1983)に出品された《聖処女》(1839)くらいしか実物は見ていないはずです。大学の図書館で見当たらなかったベネディットの二巻本も読んでいない。文中何度か色が判らない等と記しているのは、色刷りの図版があまり見つけられなかったためでした。シャセリオーの全体像をとらえているとは言いがたく(とりわけ壁画の問題)、今にすればあれあれおいおいぐげげげげ……という箇所もひとつならず見受けられます。なのできちんとしたテクストを読みたい方は、西洋美術館の『シャセリオー展』図録をご覧ください。 |
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誤字脱字、鉤括弧の上下*、作品タイトルを《 》で囲んだこと、固有名詞や文献の表記などを除いて、原文には変更を加えていません。また元のレポートには図版はつけていませんでしたが、ここでは附しておきます。その内いくつかは(額ないしその一部が映りこんでいる)、33年前に実物から撮ったもので、ぶれていたり歪んでいたりてかっていたり黄ばんでいたりなどなどしますが、ご容赦ください。きちんとした図版を見たい方は下掲の画集・図録類やウェブでお探しください。例によって画像の上でクリックすると拡大画像とデータのページが表示されます。 | * このレポートは横書きの400字詰め原稿用紙に書いたのですが(文献こみで30枚、元気だ)、その際鉤括弧は 「 」 ではなく ∟ ˥ としていました。そういうものだと思っていたわけです。担当教官も気になったらしく、後にどんな風に調べたのか、大阪(市?)の慣習らしいとわざわざ教えてくれたことが思いだされたりするのでした。 | |||||||||||||||||||||||||||||
2017/4/2 | ||||||||||||||||||||||||||||||
1.年次まず、目安となる年代を幾つか記して置く。テオドール・シャセリオーは、1819年に生まれ、1856年37才で没す。1830年の末にアングルのアトリエに入り、1836年に初めて |
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2. 初期の女性像シャセリオーの個性が最初に形を取るのは、1839年の官展に出品された《海のウェヌス》(1)(図1)と《水浴のスザンナ》(2)(図4)に於てである。 《海のウェヌス》は、 完成作の為の習作(7)(図3)を見て置くと、 同じ年出品の《水浴のスザンナ》(図4)も頭をやや傾げた、物思わし気な女性を中央に配している。モローの《オルフェウスの首を抱くトラキアの娘》(9)(→こちらを参照:当該作品の頁)の源はここだろう。 この二作が、「ノスタルジー」「物憂げな」「悲しみ」「夢の中」云々と形容されるシャセリオーの一連の女性像の発端を成す。何よりモローに直接繋がるのは、シャセリオーのこの部分である。後の幾つかの作例を見て行こう。 1842年の官展に出品された《エステルの化粧》(14)(図6):右側の黒人の侍女はルーベンスの《ウェヌスの化粧》(15)(→こちらを参照:当該作品の頁)からその儘もたらされた。ドラクロワの《アルジェの女達》(16)も思い出される。エステルの腕輪や首飾りの豪奢な効果は《スザンナ》の延長であると共に、ルーベンスや、ルーベンスの源であるティツィアーノの《鏡を見るウェヌス》(17)(→こちらを参照:当該作品の頁)にも由るのだろう。前景に人物を大きく三人配し、その直ぐ後ろはクッションで埋めている為、殆んど奥行が無い。それ故、光と影で空間を満たす必要が無くなり、画面は先の二作よりずっと明るい。個々の色がはっきり顕われ、豪華な、清新な調子を醸す。しかし、三人の躰が豊かな 髪の毛は世紀末芸術の 1845年オデオン座休憩室に展示された《アポロンとダフネ》(20)(図8)では女性の |
1. パリ、ルーヴル、M. Sandoz, catalogue raisonné、no.44(以下、M.S.cat. と略) 図1 《海のウェヌス》 1838 2. ルーヴル、M.S.cat.48 3. エディンバラ、スコットランド・ナショアル・ギャラリー寄託 4. シャンティー、コンデ美術館 図2 アングル《 5. パリ、ロベール・ルベル・コレクション、etc. 6. H. Focillon, La peinture au XIXe siècle, p.294 7. パリ、個人像、M.S.cat.45 図3 《海のウェヌス(習作)》 1837-38頃 8. M. Sandoz, ibid., p.441-445 図4 《水浴のスザンナ》 1839 9. ルーヴル、etc. 10. ルーヴル、M.S.cat.49 11. M.S.cat.267 図5 《水浴のスザンナ》 1838-39 12. ルーヴル 13. ロンドン、ウォーレス・コレクション 14. ルーヴル、M.S.cat.89 図6 《エステルの化粧》 1841 15. リヒテンシュタイン、ヴァドゥス美術館、M. Sandoz, ibid., p.32, 188 16. ルーヴル 17. ワシントン、ナショナル・ギャラリー 18. パリ、個人蔵 19. 鉛筆。パリ、装飾美術館 図7 アングル《シャルル・ルティエールの肖像》 1818 20. ルーヴル、M.S.cat.99 図8 《アポロンとダフネ》 1845 21. M.S.cat.269 22. ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク 23. ロンドン、ナショナル・ギャラリー 24. V. Chevillard, Théodore Chassériau, p.86 25. id., p.87 26. Hugh Honour, Romanticism, New York, 1979/1981, p.308 |
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3. 人体の表現 etc.シャセリオー描く女性の特徴の一つはその官能性に在るが、それは女性の躰が豊かな この シャセリオーの周囲で女性の表現に重きを置いたのはまずアングルだが、アングルの女性が影の無い、従って空気の無い平面上のアラベスクとして描き出されたのに対し、シャセリオーの女性は身に大気を纏っている。ドラクロワの画業の中では女性は必ずしも大きな位置を占めていない。しかし、ドラクロワの女性の屡々被害者的な気分はシャセリオーに近い物がある。ただ、ドラクロワの肉付けはもっと複雑で、画面の持つ状況によって変化する。それだけ画面全体に溶け込んでいるのであり、ドラクロワの空間はシャセリオーより遥かに広い。その内では、初期の《サクレ・クールの聖母》習作(29)の肉付けなどやや近い(ここで、前景の左右の人物を躰の半ばで切っているが、是はシャセリオーのサン・メリ教会の《 形の単純化、 |
27. シャセリオーの覚え書より、V. Chevillard, ibid., p.224 28. Julius Kaplan, Gustave Moreau, Los Angeles, 1974, p.11 29. フランス、個人蔵 30. M.S.cat.94A 図9 上:《エジプトの聖マリアの回心》、下:《エジプトの聖マリアの埋葬》 1843 31. 《十字架降下》、1842年、ロワール、サン・テティエンヌ、ノートル・ダム教会。M.S.cat.92 32. M. Sandoz, ibid., p.168, 320. id.,“Chassériau (1819-1856), quelques œuvres inédites ou peu connues publiées à l'occasion du centenaire de la mort de l'artiste”, 1958/2, p.111 33. Kenneth Clark, The Romantic Rebellion, New York, 1973, p.177 34. ルーヴル 35. J. J. L. Whiteley, “Light and Shade in French Neo-Classicism”, The Burlington Magazine, no.873, 1975 36. ルーヴル 37. ルーヴル |
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4. 眼の表現《エステル》(図6)の画面を統一しているのは、何よりも 肖像画を除けば、一般にシャセリオーの人物はその大きな眼を絵を観る者に直接投げ付ける事は少なく、視線を有らぬ方へ向けて物思いに耽っている様に見える。主題画の女性像に是がよく当て嵌るが、アルジェリア旅行以後の 肖像画では《ラコルデール》(44)(図11)や《二人の姉妹》(45)(図10)等で視線の強さが目立つ。所で肖像画では「シャセリオーはアングル派であり続け、仕上げの伝統的な美しさを気に掛け、大胆な制作には走らない」(46)とは云え(但し筆の動きを見せる《Dの肖像》(47)、《アンヌ・マルコット・ド・キヴィエール》(48)は例外)シャセリオーの肖像画はアングルに比べると光と影、大気に気を使っている事、人物の形態の垂直性が強い事などから、人物は己れの周りに或る空間を纏っている。 美術の歴史の内で、大きな眼に何らかの表現上の役割が担わされたのは、まず モローに成ると、シャセリオーの《ウェヌス》や《アポロンとダフネ》に見られた、眼を伏せている物か、登場人物同士が画面と平行に視線を交わし合っている物が多く成る。大きく開いた眼が現われるのは晩年の《ユピテルとセメレー》(50)(→こちらを参照:当該作品の頁)だが、ここでは当時の象徴派絵画と共に、眼はこの世ならざる物の示現と成る。 |
38. 断片、ルーヴル。M.S.cat.113G 39. J. Alazard, L'orient et la peinture française, p.107 40. V. Chevillard, ibid., p.251 41. ルーヴル。M.S.cat.218 42. 断片、ルーヴル。M.S.cat.113H 43. id., M.S.cat.113I 44. ルーヴル。M.S.cat.72 45. id., M.S.cat.95 図10 《二人の姉妹》 1843 46. M. Sandoz, ibid., p.248 47. パリ、外務省。M.S.cat.156 48. 所在不明。M.S.cat.213 49. ルーヴル 50. パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 |
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5. 空間先に取り上げた幾つかの作品は、平面的に成って了わない限りで、餘り広くない空間を作り出していた。《ラコルデール》(図11)では人体や顔の形態、背景も単純化され、色も全くの この様にシャセリオーの画面は、餘り深くない空間に、 モローやシャヴァンヌに成ると、人物は画面全体に対して小さく成り、シャセリオーの人体が持っていた 1840年の官展に拒否された《アクタイオンに驚くディアーナ》(62)(図14)はシャセリオーとしては奥行を強調した例外に属する。前景に背を向けた人物を配する構図は、後の幾つかの画面に現われ、またフリードリッヒが屡々用いた所である。背を向けたディアーナの裸体は、頭の向き以外ヨルダーンスの《豊饒の寓意》(63)からその儘持ち来られた。またルーヴルには中央に背を向けた女を二人配したフォンテーヌブロー派の《ディアーナとアクタイオン》がある。ただ両作とも餘り奥行は持っていない。シャセリオーでは前景のディアーナと侍女が視線を左奥の鹿と化したアクタイオンに向ける事によって、奥行を作り出している。ただ、前景とアクタイオン迄の距離がかなり大きい事、左方に躰を曲げた侍女が画面の左右を切り離し、更に画面右側のニンフ達が皆頭を垂れて右方を向いている為、空間が分裂し、非常に奇妙な印象を与える。背の高い、細っそりした垂直性の強い人体の繰り返し、背に光を負って鹿頭の異形が遠くからこちらへやって来る事などが、画面に一種密儀的な雰囲気を与えている。色は判らないが、ゴーティエは「沈む陽の効果」(64)と記している。画面の左右を結び付けるのは、右前景で水から上がろうと腕を挙げ、眼を左方に向けているニンフだが、顔の下半分を腕が隠し、大きな眼の役割を強めている。是に近い 《ディアーナとアクタイオン》と同じ年に制作された《 |
図11 《ラコルデール》 1840 51. ヴェルサイユ宮。M.S.cat.101 図12 《アリ・ベン・アーメド、コンスタンティンの 52. M.S.cat.227 53. クレルモン・フェラン市美術館、M.S.cat.252 54. 焼失。M.S.cat.90 55. M.S.cat.244 図13 《十字架降下》 1855 56. M.S.cat.174, 216 など 57. M. Sandoz, ibid., p.186, 298 58. J. Alazard, ibid., p.111 59. M.S.cat.86 60. パレ・ル・フルズィル城、M.S.cat.217 61. M. Sandoz, ibid., p.352 62. パリ、私蔵。M.S.cat.62 図14 《ディアーナとアクタイオン》 1840 63. ブリュッセル、王立美術館。M. Sandoz, ibid., p.30, 160 64. M. Sandoz, ibid., p.31, 160 65. ルーヴル 66. id. 67. K. Clark, ibid., p.25 68. id., p.220 69. ルーヴル 70. id. 71. M. Sandoz, “Les peintures de la renaissance à Fontainebleau et le maniérisme italien”, 1970 72. パリ、私蔵。M.S.cat.64 図15 《 73. M.S.cat.10, 13 など |
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6. 色彩、制作過程《ウェヌス》(図1)《ラコルデール》(図11)《コンスタンティンの教主》(図12)と云った作品の色は、どれも 《アポロンとダフネ》(図8)では更に、筆触が画面に現われ、色の熱気を高めている。1850-51年の官展に出品された《サッフォー》(77)(図16)では筆の跡が更にはっきりし、絵具を厚く盛り上げ、画面の熱気、人体の重さを強調している。この熱気、 一般には「習作の、それ故私用の様式でしかない物が、芸術家の公の様式と成る」(78)。同じ年出品の《デスデモーナ》(79)(図17)に対して、終始シャセリオーを弁護してきたゴーティエでさえ、「制作の粗雑さ」(80)を嘆いている。シャセリオーがはっきり斯様な作風に移って行くのは、アルジェリア旅行以後である。彼の覚え書には、「まず 1853年の《 シャセリオーの死の年の《スザンナと長老達》(90)(図22)では、赤、緑、黄、肌色の対比がかなり強く、全体も明るい。仕上げは丁寧で、人体も単純化され、 |
74. V. Chevillard, ibid., p.224 75. V. Chevillard, ibid., p.239 76. M. Sandoz, ibid., p.442 77. ルーヴル。M.S.cat.128 図16 《サッフォー》 1849 78. M. Sandoz, ibid., p.262 79. ルーヴル。M.S.cat.119 図17 《デスデモーナ》 1849 80. M. Sandoz, ibid., p.65 81. V. Chevillard, ibid., p.238 82. id., p.104 83. M.S.cat.117, 134, 180, 181, 182, 184, 186 など 84. ルーヴル。M.S.cat.139 図18 《バルコニーのユダヤ娘たち》 1849 85. id. M.S.cat.140 図19 《モロッコの踊り子たち》 1849 86. id. M.S.cat.146 図20 《ハーレムでの入浴》 1849 図21 《テピダリウム》 1853 87. ロンドン、ナショナル・ギャラリー 88. ルーヴル 89. ギュスターヴ・モロー美術館 90. ルーヴル。M.S.cat.262 図22 《スザンナと長老たち》 1856 91. id. M.S.cat.265 図23 《ハーレムの内部》 1856 |
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7. 主題シャセリオーの描いた主題は、肖像画以外には、旧約、福音書、聖人伝、神話、古代史、シェイクスピア、それに会計検査院の寓意図で、現代に取材した物は、 |
92. V. Chevillard, ibid., p.246 93. id., p.262 94. id., p.260 95. id., p.263 96. J. Alazard, ibid., p.112 97. V. Chevillard, ibid., p.263 98. id., p.259 |
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参考文献Chevillard, Valbert, Un peintre romantique. Théodore Chassériau, Paris, 1893Chevillard, V., “Théodore Chassériau”, La Revue de l’art ancien et moderne, 1898/5/10 Marcel, Henri et Laran, Jean, Chassériau, (L'art de notre temps), Paris, 1914 Guiffrey, Jean, “Les peintures décoratives de Chassériau à l’ancienne Cour des Comptes”, Beaux-Arts. Revue d’informatioon artistique, 1926/9/15 Linzeler, André, “Les peintures de la Cour des Comptes dans l'œuvre de Chassériau”, id. Focillon, Henri, La peinture au XIXe siècle. Le retour à l’Antique - Le Romantisme, Paris, 1927 Alazard, Jean, L'orient et la peinture française au XIXe siècle, d’Eugène Delacroix à Auguste Renoir, Paris, 1930 Ternois, Daniel, “Les collections d'Ingres”, Art de France. Revue annuelles de l’art ancien et moderne, no.2, 1962 Sandoz, Marc, “Chassériau (1819-1856), quelques œuvres inédites ou peu connues publiées à l'occasion du centenaire de la mort de l'artiste”, Gazette des Beaux-Arts, 1958/2 Sandoz, Marc, “Les peintures de la renaissance à Fontainebleau et le maniérisme italien, sources possibles de Théodore Chassériau et des premiers romantiques français”, Gazette des Beaux-Arts, 1970/1 Sandoz, Marc, Théodore Chassériau 1819-1856. Catalogue raisonné des peintures et estampes, Paris, 1974 Haskel, Francis, “'Théodore Chassériau 1819-1856. Catalogue raisonné des peintures et estampes' by Marc Sandoz“, The Burlington Magazine, no.882, 1976/9 |
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・その後見る機会のあった文献; Aglaus Bouvenne, Théodore Chassériau : Souvenirs et Indiscrétions, Les amis de Théodore Chaséériau, Paris. 1884/2011 Préface de Carmen Miranda-Levy et avertissement de Jean-Baptiste Nouvion Ary Renan, “Théodore Chassériau et les peintures du Palais de la Cour des Comptes”, Gazette des Beaux-Arts, 1898/2 Léonce Bénédite, Théodore Chassériau. Sa vie et son œuvre, 2 tomes, Paris, 1931, manuscrit inédit publié par André Dezarrois Catalogue de l'exposition Chassériau 1819-1856, Musée de l'Orangerie, 1933 Préface de Jean-Louis Vaudoyer Catalogue de l'exposition Théodore Chassériau 1819-1856. Dessins, Musée du Louvre, Cabinet des Dessins, 1957 Jacqueline Bouchot-Saupique, "Les dessins de Théodore Chassériau au Cabinet des dessins du Louvre" "Extraits d'unn conférence sur Chassériau" G, M. Doyon, The Mural Painting of Théodore Chassériau, Ph.D. Dissertation for Boston University, 1964 Gérard Maurice Doyon, “The Positions of the Panels Decorated by Théodore Chassériau at the Former Cour des Comptes in Paris”, Gazette des Beaux-Arts, no.1200, 1969/1 André Devèche, L'Eglise Saint-Philippe du Roule de Paris, Paris, 1975 Jay M. Fisher, Catalogue of the exhibition Théodore Chassériau. Illustrations for Othello, The Baltimore Museum of Art, 1980 Catalogue sommaire illustré des peintures du musée du Louvre et du musée d'Orsay. Ⅲ École française. A-K, Éditions de la Réunion des musées nationaux, Paris, 1986, pp.128-135 Louis-Antoine Prat, Dessins de Théodore Chassériau 1819-1856, (Musée du Louvre, Cabinet des Dessins . Inventaire général des dessins. École française), 2 tomes., Paris, 1988 Louis-Antoine Prat, Théodore Chassériau 1819-1856. Dessins conservés en dehors du Louvre (Cahiers du dessin français - no.5), Galerie de Bayser Éditeur, Paris, 1988 (*以下、Prat dehors cat. と略) Théophile Gautier, Critique d'art, Extraits des salons (1833-1872), Textes choisis, présentés et annotés par Marie-Hélène Girard, Séguier, Paris, 1994, pp.93-110 (1844, 1852, 1853) 喜多崎親、「パリのサン=ロック聖堂洗礼盤礼拝堂壁画に就いて―テオドール・シャセリオーの宗教画に見るオリエンタリズム―」、『美術史研究』、no.32、1994/12 (喜多崎親、『聖性の転位 一九世紀フランスに於ける宗教画の変貌』、三元社、2011、「第二章 オリエント化されるキリスト教世界 テオドール・シャセリオーのサン=ロック聖堂洗礼盤礼拝堂壁画に見る性差と人種」) 橋秀文、『ドラクロワとシャセリオーの版画』(双書 美術の泉 84)、岩崎美術社、1995 Louis-Antoine Prat, “Théodore Chassériau : œuvres réapparues”, Revue de l’art, no.125, 1999/3 Christine Peltre, Théodore Chassériau, Paris, 2001 Catalogue de l'exposition Chassériau. Un autre romantisme, Galeries nationales du Grand Palais, Paris, Musée des Beaux-Arts de Strasbourg, The Metropolitan Museum of Art, New York, 2002-2003 Le commossariat de l'exposition, "Introduction. La minute heureuse" Louis-Antoine Prat, "L'Indien et le Chinois, ou les deux Byzantins" Stéphane Guégan, "Entre Paris et Alger : un croyant obstiné?" Christine Peltre, "Résurrection et métamorphose : Chassériau autour de 1900" Catalogue Vincent Pomarède, "1819-1843 Un talent précoce, un jeune homme pressé", "1844-1848 Les annés de la Cour des comptes", "1849-1856 Un jeune dieu chargé de tristesse" Chassériau. Un autre romantisme, (Louvre. Conférences et colloques), Paris, 2002, Actes du colloque organisé par le musée du Louvre, le 16 mars 2002 Jonathan Ribner, "Théodore Chassériau and the Anti-Heroic Mode under the July Monarchy" Bruno Foucart, "Chassériau et le thème du Christ au jardin des Oliviers. Entre romanticisme et orthodoxie" Loui-Antoine Prat, "Notules graphiques" Bruno Chenique, "Chassériau : la haine des femmes" Valérie Goupil, "Peinture et parure" François Mélonio, "Le choc des civilisations : Chassériau et Tocqueville en Algérie" Sarga Moussa, "Arabes et Juives. Mythes et représentations" Christine Peltre, "L'armée d'Afrique" Todd Porterfield, "Les Baptêmes de Chassériau" Peter Benson Miller, "Models from the Atlas. Théodore Chassériau's La Défense des Gaules and the 1855 Exposition universelle" Stéphane Guégan, "L'Algérie au cœur. Note sur un tableau perdu" 『シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才』展図録、国立西洋美術館、2017 ジャン=バティスト・ヌヴィオン、「熱く気高き心」 陣岡めぐみ、「異国の香り-テオドール・シャセリオー」 ヴァンサン・ポマレッド、「『この季節の空はすばらしく、海は凍てついたように静かだ』-テオドール・シャセリオーと自然」 ステファヌ・ゲガン、「アルジェリアを心に-失われた絵画についての覚書」 カタログ →こちらでも挙げました:「ギュスターヴ・モロー研究序説 [14] 」の頁の「文献追補」中の「日本での展覧会図録抄」 モローとの絡みで; Catalogue de l'exposition Quand Moreau signait Chassériau, (Carnet d'études 3), École nationale supérieur des beaux-arts, Paris, 2005 細目は→こちら:「ギュスターヴ・モロー研究序説」[14]の頁の「文献追補」中の「展覧会図録ないしそれに準じるもの」 Martinho Alves da Costa Junior, "A presença de Chassériau em Moreau (La présence de Chassériau chez Moreau)", Revista de História da Arte e Arqueologia, número 14, julho-dezembro/2010, pp.5-19 →そちらにも挙げました:「ギュスターヴ・モロー研究序説」[14]の頁の「文献追補」中の「論文、単行本など」 Christine Peltre, "La Sulamite et 《Marie la Noire》. De Théodore Chassériau à Gustave Moreau", Catalogue de l'exposition La Sulamite dévoilée. Genèse du Cantique des cantiques de Gustave Moreau, Musée des beaux-arts de Dijon, 2011 掲載図録の細目は→あちら:「ギュスターヴ・モロー研究序説」[14]の頁の「文献追補」中の「展覧会図録ないしそれに準じるもの」 以下、ロマン主義、オリエンタリズムその他で気がついたもの; Donald A. Rosenthal, Catalogue of the exhibition Orientalism. The Near East in French Painting 1800-1880, Memoriaal Art Gallery of the University of Rochester, Neuberger Museum, State University of New York at Purchase, 1982, pp.57-61 / fig.57-61 (出品作は fig.59, 60=cat.nos.10-11) Catalogue de l'exposition L'aquarelle en France au XIXe siècle. Dessin du musée du Louvre, Musée du Louvre, 1983, pp.23-28 / cat.nos.21-27 Mary Anne Stevens ed., Catalogue of the exhibition The Orientalists : Delacroix to Matisse. European Painters in North Africa and the Near East, Royal Academy of Arts, London, 1984, p.61, p.120 / cat.no.8 Catalogue de l'exposition Les mots dans le dessin, Musée du Louvre, 1986, pp.93-96 / cat.nos.102-104, pp.98-100 / cat.nos.108-109, p.105 / cat.no.116 Catalogue de l'exposition Copier créer. De Turner à Picasso : 300 œuvres inspirées par les maîtres du Louvre, Musée du Louvre, 1993, pp.96-97 / cat.nos.40-41, p.147 / fig.89B Catalogue de l'exposition Les années romantiques. La peinture française de 1815 à 1850, Musée des Beaux-Arts de Nanates, Galeries nationales du Grand Palais, Palazzo Gotico, Plaisance, 1995-96, pls.101-103, 132, 136, 148, 162-163, pp.343-347 / cat.nos.26-33, p.454 Gérard-Georges Lemaire, L'univers des orientalistes, Éditions Place des Victoires, Paris, 2000, pp.223-227 Catalogue de l'exposition Manet Velázquez. La manière espagnole au XIXe siècle, Musée d'Orsay, Paris, The Metropolitan Museum of Art, New York, 2002-2003, p.248 / fig.149, p.364 / cat.no.46 Catalogue de l'exposition L'Europe des esprits, ou la fascination de l'occulte, 1750-1950, Musée d'Art moderne et contemporain de la Ville de Strasbourg, et Zentrum Paul Klee, Berne, 2011-2012, p.80, p.86 |
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・目に止まった範囲内でしかありませんが、シャセリオーの作品が出品された日本での展覧会図録; まず、これは未見なのですが、『シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才』展図録、国立西洋美術館、2017、p.148 (cat.nos.55, 58) によると、 『フランス美術展』、東京国立博物館、他、1954-55 に cat.no.34 《アレクシ・ド・トクヴィルの肖像》、1850, M.S.cat.155 が出品されたとのことです。 『19世紀フランス巨匠名品展』、東京銀座サン・モトヤマ本店、1968 cat.no.7 《キリスト教徒の殉難》、M.S.cat.70 『19世紀フランス巨匠展』、東京日本橋高島屋6階美術画廊、1970 cat.no.3 《キリスト教徒の殉難》、M.S.cat.70 『フランス近代絵画 女性美の饗宴―フラゴナールからルノワールへ―』、大阪・梅田、ナビオ・ギャラリー、1983 cat.no.絵画18 《聖処女》、1839、M.S.cat.51 『モローと象徴主義の画家たち』、山梨県立美術館、神奈川県立近代美術館、三重県立美術館、1984-85 pp.40-41/cat.no.9 《ヘロとアンドロス》、1849以後、M.S.cat.185 『サン・ドニ美術館名品展』、東急東横店アートホール、エンドーチェーン、熊本県立美術館、ナビオ美術館、北九州市立美術館、岡山県総合文化センター、1986-87 pp.44-45, 163/cat.no.14 《若い女》、c.1840、額に”Attribué à Chassériau” pp.46-47, 163/cat.no.15 《バンクォーの亡霊》、1854、M.S.cat.237 『ル・アーブル美術館展』、倉敷市立美術館、ナビオ美術館、豊橋西武、佐賀県立美術館、、熊本県立美術館、東急本店、1988-89 pp.28-29/cat.no.6 《アラブの水飼い場》、1851、M.S.cat.176 『ボストン美術館展 19世紀フランス絵画の名作』、京都市美術館、1989 pp.37、139 / cat.no.15 《水から上がるヴィーナス》、1842、リトグラフ、M.S.cat.266 『ル・サロンの巨匠たち フランス絵画の精華』、福岡市美術館、京都国立近代美術館、1989 pp.113, 244-246/cat.no.83 《カバリュス嬢の肖像》、1848、M.S.cat.115 『リヨン美術館特別展 栄光のフランス近代美術』、東京都美術館、北九州市立美術館、1989-1990 pp.62, 200-201/cat.no.28 《コンスタンティーヌの水飲み場に寄るアラブの騎手》、1851、M.S.cat.170 『オルレアン美術館所蔵 フランス素描・水彩名作展 16世紀から20世紀まで』、神奈川県立近代美術館、栃木県立美術館、船橋アート・フォーラム、1990 pp.89, 150-151/cat.no.114 《「サッフォー」のための女性の習作》、鉛筆、Prat dehors cat.159 『サンフランシスコ美術館名品展』、東京都美術館、福岡市美術館、大阪市立美術館、そごう美術館、1992 p.176/cat.no.76 《アレクサンドル・ムルシ》、18550、黒鉛、Prat dehors cat.210 『フランス絵画 黄金の19世紀 ルーアン美術館展』、三越美術館・新宿、福岡市美術館、芸術の森美術館、静岡県立美術館、千葉そごう美術館、川崎市市民ミュージアム、近鉄百貨店阿倍野店・近鉄アート館、1993 pp.82-83, 176-177/cat.no.34 《ローマ皇帝アウグストゥスとその奴隷》、1855-56、M.S.cat.261 『ルーヴル美術館200年展』、神戸市立美術館、横浜美術館、1993 pp.176-177/cat.no.62 《アラブ騎兵の戦い》、1856、M.S.cat.144 『19, 20世紀ヨーロッパ美術にみる 物語の世界』、群馬県立近代美術館、1996 pp.33, 87 / cat.no.I-19 《オセロー》(全16点より6点)、1844(1900刊)、町田、M.S.cat.275, 276, 279, 281, 283, 284(図版は no.279) 『ヒューストン美術館展 ― ルネサンスからセザンヌ、マティスまで ―』、愛媛県美術館、千葉県立美術館、三重県立美術館、福岡市美術館、1999 pp.162-163/cat.no.55 《羊を伴ったコンスタンティーヌの女性と少女》、1849、M.S.cat.138 (→下の「おまけ」を参照) 『オルレアン美術館展 ― ロココからエコール・ド・パリまで ―』、宇都宮美術館、横浜・そごう美術館、北海道立函館美術館、呉市立美術館、大丸ミュージアム・梅田、北九州市立美術館、1999 pp.132-133/cat.no.50 《バッカスの巫女とサテュロス》、1840-41、M.S.cat.132 『ウィンスロップ・コレクション フォッグ美術館所蔵19世紀イギリス・フランス絵画 夢想と現実のあわいに』、国立西洋美術館、2002 pp.96-97/cat.no.15 《仲間の死体を運ぶアラブの騎兵たち》、1850、M.S.cat.174 pp.98-99/cat.no.16 《アラブの騎兵の戦い》、1855、M.S.cat.143 +p.262(作家解説) 『ヴィクトル・ユゴーとロマン派展 ユゴー生誕200周年記念』、東京富士美術館、サントリーミュージアム[天保山]、2004-05 p.196/cat.no.4-14 《…嬢の肖像》、1848、M.S.cat.115 『ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 ― 新古典主義からロマン主義へ』、横浜美術館、京都市美術館、2005 (pp.213-214) pp.56-57/cat.no.12 《海から上がるヴィーナス》、1838、M.S.cat.44 pp.92-93/cat.no.28 《風呂から上がるムーア人の女》、1854、M.S.cat.148 pp.94-95/cat.no.29 《アラブの騎士の戦い》、1856、M.S.cat.144 pp.112-113/cat.no.37 《白馬の左側面》、M.S.cat.168 『ルーヴル美術館展 ― 地中海 四千年のものがたり』、東京都美術館、2013 表紙、pp.214-215/cat.no.251 《バルコニーにいるアルジェのユダヤ女性たち》、1849、M.S.cat.139 p.216/cat.no.250 《モロッコの踊り子たち:薄布の踊り》、1849、M.S.cat.140 |
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・やはり漏れは多々あることでしょうが、画集、定期刊行物の類から; 森口多里、『近代美術』、東京堂、1937、p.69 リヒヤルド・ムウテル、木下杢太郎譯、『十九世紀佛國繪畫史』(甲鳥學書 6)、甲鳥書林、1943(初版:1919、pp.54-57)、pp.44-46 図12 《姉妹》、M.S.cat.95 図13 《Hennet 夫人》(図版頁では《Hannet 夫人》と表記)、素描、Prat dehors cat.45 図14 《マクベスと三妖女》、M.S.cat.239 図15 《Ahasver 王の為に装う Esther》、M.S.cat.89 大岡信、「フランス・ロマンティシズム 〈4〉」、『藝術新潮』、1963/8 p.129 《化粧するエステル》、1842、M.S.cat.89 (大岡信、『装飾と非装飾』、晶文社、1973、pp.27-32;「ロマン主義の領土 - フランス・ロマン主義絵画を中心に」の「4」。p.33 に対面して《化粧するエステル》のモノクロ図版あり) 坂本満、坂崎乙郎、佐々木英也、『近代世界美術全集 1 近代絵画の先駆者たち』(現代教養文庫 451)、社会思想社、1964 pp.82-83 《エステルの化粧》、1842、M.S.cat.89 (坂崎乙郎、「三 ロマン派」内の挿図) pp.184-185 《水浴のスザンナ》、1839、M.S.cat.48 (「名作鑑賞」内、坂崎乙郎) 近藤不二、『カローラ版 世界美術全集 第8巻 アングル/ドラクロワ他』、河出書房、1967 no.75 《バルコニーのユダヤ人》、1849、M.S.cat.139 no.76 《サッフォー》、1849、M.S.cat.128 no.77 《スザンナと長老》、1856、M.S.cat.262 +p.117(作品解説) 同ページに挿図 《コサックの酋長マゼッパの死》、1851、M.S.cat.131 『世界の美術館 28 シカゴ美術館』、講談社、1970 no.6 《サラセン人と十字軍》、c.1840-50、M.S.cat.E no.107 《シャセリオー男爵夫人の肖像》、1846/7月、素描、Prat dehors cat.144 馬杉宗夫、『ファブリ-研秀 世界美術全集 第8巻 ダヴィッド/アングル/ドラクロワ/ジェリコー/シャッセリオー』、研秀出版株式会社、1977 no.64 《海のヴィーナス》、1838、M.S.cat.45 no.65 《ラコルデールの肖像》、1840、M.S.cat.72 no.66 《アハシュエロス王のもとへ行かんとするエステルの化粧》、1842、M.S.cat.89 no.67 《モロッコの踊り子たち》、1849、M.S.cat.140 no.68 《二人の姉妹》、1843、M.S.cat.95 no.69 《コンスタンティンの教主(カリフ)》、1845、M.S.cat.101 no.70 《ハーレムの内部(習作)》、1856(未完成)、M.S.cat.265 +p.95(作家解説)、 p.105(作品解説) 大島清次、『週刊朝日百科 世界の美術 3 ドラクロワ アングル ジェリコー』、朝日新聞社、1978/4/16 p.5-78 《エステルの化粧》、1842、M.S.cat.89 『全集 美術のなかの裸婦 3 神話・神々をめぐる女たち』、集英社、1979 no.31 《アポロンとダフネ》、1846以前、M.S.cat.99(p.102;高橋裕子) 『全集 美術のなかの裸婦 9 風俗と女性たち』、集英社、1979 no.26 《テピダリウム》、1853、M.S.cat.218(p.100;湊典子) no.49 《後宮での入浴》、1849、M.S.cat.146(p.108;馬渕明子) 『全集 美術のなかの裸婦 1 神話・美の女神ヴィーナス』、集英社、1980 no.7 《海からあがるヴィーナス》、1838、M.S.cat.44(p.91;馬渕明子) 『全集 美術のなかの裸婦 5 聖書の女性たち』、集英社、1980 no.40 《スザンナと長老たち》、1839、M.S.cat.48(pp.106-107;馬渕明子) no.43 《エステルの化粧》、1842、M.S.cat.89(p.108;馬渕明子) 『世界の美術 4 人物Ⅲ(裸体/自画像)』、株式会社ぎょうせい、1980 no.11 《海より上がるヴィーナス》、1838、M.S.cat.44(p.22;小林利延) 『世界の美術 5 人物Ⅳ(群像)』、株式会社ぎょうせい、1980 no.33 《ふたりの姉妹》、1843、M.S.cat.95(p.66;小林利延) ジャン・クレイ、高階秀爾監訳、『ロマン派』、中央公論社、1990 p.51 《自画像》、1835、Ms.cat.14 p.134 《海のヴィーナス》、1838、M.S.cat.44 《アポロンとダフネ》、1844、M.S.cat.99 p.135 《エステルの化粧》、1841、M.S.cat.89 髙橋明也、「画家とモデル十選 西欧の近代絵画から ⑦ テオドール・シャセリオー『泉の傍らで眠る浴女』」、『日本経済新聞』、1997/2/7 1850、M.S.cat.154 諸川春樹監修、『【カラー版】西洋絵画の主題物語 Ⅰ 聖書編』、美術出版社、1997 p.48 《エステルの化粧》、1841、M.S.cat.89 エリー・フォール、與謝野文子訳、『美術史 5 近代美術[Ⅱ]』、国書刊行会、2009、pp.74-75 p.74/図215 《歴史》、M.S.cat.113H 図216 《葡萄の収穫》(部分)、M.S.cat.113L 気谷誠、『西洋挿絵見聞録 製本・挿絵・蔵書票』、アーツアンドクラフツ、2009、pp.108-110:「デスデモーナのハンカチ ロマン派編」 p.109 《オセロー(Oh! Oh! Oh!)》、M.S.cat.284 春燈社編、『怖くて美しい名画』、辰己出版、2020 p.025 《エステルの化粧》、1841、M.S.cat.89 p.056 《アポロとダフネ》、1846、M.S.cat.99 山田五郎、『魔性 闇の西洋美術史〈2〉』(アルケミスト双書)、創元社、2021 p.40 《アポロンとダフネ》、1844、M.S.cat.99 |
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おまけ上のレポート(略称「セリオ」君、略称の由来は『シャセリオー展』展図録、国立西洋美術館、2017、p.135 参照)の後、 年度末レポートもう一本をはさんで(→こちらに載せました:「ギュスターヴ・モローの制作過程を巡って」、1984)、 修士論文『ギュスターヴ・モロー研究序説』、1985.1.16、神戸大学大学院文学研究科提出 「シャセリオーからギュスターヴ・モローへ」、『美術史』、no.122、1987.3 「マティスからモローへ - デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない」、『研究論集』、no.4、2005.3.3 就中 pp.50-54:「4-1. モローからシャセリオーへ」 と続くわけですが、修論こと略称『モロ序』と「シャセモロ」についてはまた考えるとして、「マティモロ」は元の勤め先のサイトに掲載されていますので、関心がありましたらご覧ください(→そちら[ < 三重県立美術館のサイト ])。 (追記 『モロ序』も結局載せました→あちら。「シャセモロ」は→ここ) ここでは上にも挙げた『ヒューストン美術館展』(1999.7.17~8.22)が元の勤め先で開催された際(→そこを参照[ < 同上]、またあそこ(フェラーラ派《ソロモン王とシバの女王の会見》(1470-73頃)の頁)、共催の新聞に載った作品解説を; Cat..no.55 テオドール・シャセリオー 『羊を伴ったコンスタンティーヌの女性と少女』 1849年、油彩・板 29.4×37.1cm 中近東の風物をエキゾチックな色彩で描いた画面は、十九世紀のオリエンタリズムの典型的な所産である。ところでエドワード・サイードは、オリエンタリズムなるものが、現地での生活・他者の現実を省みることのない、つまるところ西欧の植民地主義的な欲望の投影に他ならないと批判した。この作品も、そうした制約の外に出るものではない。 ただ、ドラクロワを例外に、当時流布していた多くの絵はがき的な同類からこの画面を区別する点があるとすれば、それは、濃密な色彩とそこから生じる抒情性であろう。 シャセリオーはしばしば、新古典主義の領袖アングルの線と、ロマン主義の旗頭ドラクロワの色彩を綜合しようとした画家と位置づけられる。そうした図式がどこまで作家の全体像をとらえうるかは問題だが、うねる線による柔らかく、同時に単純化された量感の表現は、ある程度まで先の形容をうなずかせなくもない。 しかしこの画面の核をなすのは、何よりも、濃密な色彩であろう。無地に近い茶色の壁と黒い帽子を上部の歯止めとして、そこから流れだすかのように、さまざまな色が、凹凸や模様をともなって配される。床の軽快な処理は、色を手前に流れださせずにいない。濃 く暖かい色の交響は、温度の高さと空気の密度を伝え、彼が描く人物特有の大きな目と相まって、見る側の視線を射かえすような存在感をもたらしている。 (県立美術館学芸員・石崎勝基) 『讀賣新聞』(三重版)、1999年8月4日、「欧州600年の美 ヒューストン美術館展-③」 →こちら(『マクベス』(1948)の「おまけ」)や、あちら(『オセロ』(1952)の「おまけ」)にもシャセリオーの作品を載せました |
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