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『蟋蟀蟋蟀』、no.6、2000.2.26、pp.20-21
剣に生き・剣に斃れ
虚空無想の巻 − いっぱいがいっぱい


石崎勝基


宇宙がまったく収縮させられなかったころには、実質的にその多様性すべてに依存して生
きている生命形態 − 各固体が全固有状態の相当な部分にわたって広がり、人類には相
反すると思える可能性世界にまたがって生きる生命形態 − が存在したのかもしれない
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       グレッグ・イーガン(山岸真訳)『宇宙消失』

 
チェシャ猫の冒険

 名鉄常滑線の古見駅から、地図を見ながら歩いて約二十分、一度は道をまちがえつつ、ある角をわきにそれてすぐ、竹内綿布の旧工場を見つけることができた。開いてあった戸口から仄暗い中に入っていくと、もとは荷解き場だったのだろうか、奥に深い土間がのびている。左手の窓には青緑の薄い幕がかけてあり、右には暗い戸口がならぶ。帳場ででもあったのか、奥の右手、壁から張りだして宙に浮いたかっこうの小部屋は何だろうといぶかしみながら次の部屋に入れば、斜めになった天窓から光が射し、かつて使われていたであろう織機が据えてあるすぐ手前、右側に戸口があって、紗で覆われていた。覗きこむと驚いたことに、白い梁と柱が、下方ずいぶん深くまで掘りさげたものか、地下にずっと下っていくのだった。工場というより採掘場ででもあったのかと、ピラネージの『牢獄』(→こちらそちらなどを参照)を思いうかべつつ、織機や、工具やアルバムをのせたテーブルを回りこんで奥にあるもう一つの戸口の前までいけば、からっぽの広い部屋の床はしかし、一面水に覆われていて、そこに白い染と柱が映りこんでいるのである。紗ごしに見ては水面がそれとわからず、しかも紗の白さが光を散乱させるせいもあって、巨大な地下空間がうがたれたものと錯覚されたわけだ。
 床は水浸しになったというよりは、入口からの二部屋同様、全体に古びているので、むしろはじめから池だか沼であったかのごとくだが、壁に沿って渡し板が置いてあって、ぐるりと一周することができる。広間はからっぽに空けられて、奥の壁まで見通せるのに、何やかや、いろいろなものがここにはある。まずは水の匂いと冷気・湿気、そして具体的な挨というよりは、埃によってしめされるような、時間が降りつもった堆積の匂いが感じられずにいまい。渡しの上を歩いていけば、板を踏むぎしぎしというきしみも、聴覚触覚あわせて意識に滑りこむことだろうし、そんなはぎまに、水面に水滴が落ちるぽとりという音が、時として聞こえることもあるだろう。ふりかえれば、水輪がひろがるのを見ることができるかもしれない。
 手前から奥へ進むにつれ、水面に映るやはり斜めの天窓の反映は、数が増えてくる。これを鋸屋根と呼ぶらしい。紗ごしに見た時に比べれば、梁と屋根の間などに暗がりが淀むにしても、他方水面で反射する明るみもあって、光と影のからみあいは一筋縄ではいかない。壁は漆喰で、その中にも古い部分新しい部分がある。さらに油が滲みたり、崩れ落ちていたり、落書きが刻んであったりした。むかって左の中ほどでは井戸が錆びついているし、左奥には物入れだろうか、小部屋があって、覗きこめば屋外の道に面した小さな窓がある。梁の上にも、通風孔だの機械が残されている。透きとおった水底を見れば、細かな凹凸が走り、凹んだところには苔だか水草が生え、ところどころかたまりをなし、あるいは羊歯が一本顔を出していた。
 訪れた者は、これらさまざまな物にそのつど、足をとめることもあれば、やりすごすこともあるだろう。たとえば壁の落書きを拾ってみれば、「渡哲也」や「石原裕次郎」の名が連呼されていたり、相合い傘に名前が並べてあったり、「宮崎県……」と出身地が記されていることもあれば、「女は三界に家なし」と書いてあったりする。この広間で作業していた職員のほとんどが女性であったらしいこと、彼女たちが作業の合間にこれらを刻んだこと、あるいは渡哲也や石原裕次郎がアイドルであった時代の痕跡などが読みとれるという次第だ。
 いずれにせよこれらの物たちは、それぞれ固有の時間を抱えている。それゆえそこから受ける印象は、工場が稼働していた時期と、使われなくなり、水の溜まった現在との間の時間の幅に重なりながらも、そうした全体としての時間の落差の内におさまりきってしまうわけでもあるまい。現在の状態自体、時刻や天気によって光が変化するという幅を宿している。たとえば日が暮れると、照明がないので真っ暗になるという。むしろ、さまざまな時間の錨が寄り集まって、押しのけあうことなく、仮りそめに現われた姿といえるだろうか。それでいて、それぞれの時間の錨は、決して浅くはない。こうしたありようは、床を浸す水と、光を反射する柱・梁の白さに、そのわかりやすい例をしめしているといえるかもしれない。
 固体でも気体でもない液体としての水は、確実に存在しながら、その上に立つことはできない。鏡同様、何かの姿を映しても、それは反映でしかない。水は、表面と深さという二重の層を、二重のままにはらんでいるのだ。白い梁と柱は、広間全体を支える構造物でありながら、周囲の古さとは対照的に、時間の流れからはずれたかのような、また物質性を減じられたかのような白さに輝いている。水や柱・梁のこうした二重性は、時間と空間、現前と不在、自然と人為との二重性でもあり、それは実のところ、広間全体にいき渡っていると見なすことができるだろう。そしてこの二重性自体が、さまざまに具体的な相で、身体と意識のさまざまな感覚・非感覚に働きかける。それでいて、水面と天井、壁と壁、柱と柱の間はからっぽのままなのだった。

二十面相変幻

 以上は、昨九九年九月に開かれた栗本百合子展《The ground》のおおよそである。この中で栗本が手を加えたのは、掃除等を別にすれば、柱と梁を白く塗ったこと、窓や戸口に白か青緑の幕をかぶせたこと、広間の壁沿いに渡し板を置いたことの三点にかぎられる。広間の床を浸していた水は、工場が閉鎖されてから十三年の間に、雨水が溜まったものだという。
 鋸屋根、木造に漆喰による建造など、現在ではこうした工場が新しく建てられることはないだろうという点もあわせて、この場を訪れた時の印象は、何よりも、場所が経てきた時間の堆積によって決定されるといってよい。そこから訪れた者は、さまざまな方向に連想をさまよわせずにはいられないことだろう。現在は使われなくなった建物のありさま、住宅でも商店でも公共施設でもない工場というあり方、そこで働いた人々との関係 − この点では、前の部屋に置かれていたアルバム等も証人となる − 、また落書きからうかがわれるように、職員の多くが女性であった点からすれば、フェミニズム的な問題をひきだすこともできる。現実に基づくものであれ虚構であれ、さまざまな相での歴史性がここには宿っているのであり、それらがいったん実用から離れた現在、現在と当時とのへだたりを糧にしつつ、栗本の作業は、そうした歴史性が現前するための引きたて役に徹しているかのようだ。
 一九八九年以来の栗本の仕事は、既存の建築空間からその一部を選びだし、それをあらためてつけ加えることで、空間自体の表情を浮かびあがらせるというものだった。この意味では、今回も方法自体に変化はないというべきだろう。ただ、ロンドンやヴェローナでの作業(ともに九二年)、九三年の屋根裏部屋(《The loft》→こちらを参照)を別にすれば、出発点となった空間がこれまでは、大まかには近代的と呼びうる範疇に属していたことが多かったため、引きだされた表情の歴史的な性格は、少なくとも前面には出てこなかった。対するに今回は、空間自体の表情がきわめて強いので、その歴史性が主題として大きな位置を占めることとなり、極端にいえば、栗本によって手を加えられた部分がなかったとしても、ただこの場を選び、呈示しただけでも、そこから受ける印象はほとんど変わらなかったかもしれない、と思わせるほどである。他方その印象は、受ける側によって大きく変化するだろう。
 訪れた者がどんな世代どんな階層に属するか、男性か女性か、あるいは日本人か外国人か。外国人ならどの国の人か。受け手自身の歴史性と建物の歴史性とが、相互作用をひきおこすわけだ。これはもとより、どんな作品にもあてはまることだが、ここでは受容者側の反応もまた、通例以上の大きな比率でもって作品に組みこまれているのであり、さらにそうした反応を、特定の方向に誘導しようとした形跡は認められない。
 以上がもともと栗本の作業に内包されていた要素であるとしても、単純に方法ないし本質は変わっていないといってすますのは、作品がもたらす感触に忠実とはいえまい。そしてこの時、一方で、歴史性・社会性の介入を評価する立場があるとともに、他方逆に、作品の内在的構造という点からすれば、そうした因子を外在的なものへの依存だと批判したり、そうした作業をおこなう作り手に対し、歴史性を搾取したという批判を浴びせることもできる。もっとも、内と外を線引きすること自体も問題視できよう。その上で、作り手の介入を最小限に抑えることで、一つの場所がはらむ歴史的積層を解放しえていると評価する立場もあれば、逆に、時間の中で変化していく場所を作品として呈示することで、特権的な聖域・超時間的な美術館に化してしまったと、批判する立場もありうる。さらに、イデオロギーとの交差を消去するのではなく、宙吊りにすることで、これら相反する立場をもろともに許容し、あるいは誘発しうるだけの容量を作品の構造がもっているのだと見なすことも、いずれの立場に対しても曖昧にとどまる、中途半端なものだと見なすことも、できなくはない。
 どの立場にもっともリアリティを感じるかは、受けとる側の条件によって変化するはずで、一義的には定めがたい。いずれを選ぶにせよ、その時もう一度、あの場所で水や光、漆喰、白い柱と梁、鋸屋根、落書きや錆びついた器具、幕をかけた窓・戸口などが、個々としても集合としても、どのような見えよう、匂い、音、手触り、そして気配を発していたか脳裡に思いおこしてみて、そこから生じた感触なり評価とどのように結びつくかを確認することが、各自に委ねられるのだとだけは、いってよいだろうか。その際、物自体を神秘化するわけにはいかないのと同じだけ、上記のような諸言説を最終審級と見なすこともできまい。
 たとえば水のひろがりは、不可侵のものとして絶対化されてはいない。見ればそんなに深くないのだから、濡れることさえいとわなければ、足を踏みいれてもよかったのだろう。といって、渡り板が置いてある点からして、水の中に入ることが、特権的な体験として指定されているわけでもない。いずれかを選択すること自体が、選択に委ねられている、すなわち選択しなくてもよいのであって、少なくともこの段階では、当為ではないのだ(ただしこの機会が、私有財産を栗本が借りたことに基づいている以上、即物的な意味で、復元不可能な形に改変することは許されまい)。
 最後に、ここでの選択を記しておくなら、別の作品について別の場所で書いたことのくりかえしになるが(『A&C』二三号、一九九四、六〜七頁、『眼差しのゆくえ − 現代美術のポジション一九九七』展図録、名古屋市美術館、一九九七、三八頁→こちらそちらを参照)、栗本の手が加えられるという事態は、あってもなくてもよかったのかもしれない。ただ、たまたまあった時、あったということを実体として絶対視することなく、ゆえになかったことと等価と見なすかぎりで、そこに、錯覚上の地下空間もふくめて、なかった時との差異の裂け目が走ったことを、評価したいのだった。

いしぎきかつもと
(三重県立美術館学芸員)

 
Cf., (昇)、「栗本百合子展(美術)」、『中日新聞』、1999.9.9(夕)

栗田秀法、「栗本百合子(展評)」、『美術手帖』、no.780、1999.12、p.168

鈴木敏春、「戦後50年 〈美術〉から見えるもの 11」、C&D、no.120、1999冬、pp122-123

井上昇治、「栗本百合子 記憶がしみ出る不在の空間」、『展評』、no.2、2000.1、pp.66-68


『美術館を読み解く 表慶館と現代の美術』展図録、東京国立博物館、2001.1.23-3.11
p.33 に図版


『変身願望。− いま、表現とは?』展図録、福井市美術館、2002.9.7-10.14
「Yuriko KURIMOTO」中の〈掲載作品〉図2


「Artist talk 01 栗本百合子」、REAR、no.2、Spring 2003、p.5
の挿図3

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