ホーム 宇宙論の歴史、孫引きガイド 古城と怪奇映画など 美術の話 おまけ
甲賀屋敷

    1949年、日本 
 監督   衣笠貞之助 
撮影   杉山公平 
編集   西田重夫、沼崎梅子 
 美術   平川透徹 
 照明   平田光治 
    約1時間26分 
画面比:横×縦    1.33:1 
    モノクロ 

ケーブルテレビで放映
………………………

 超自然現象は起きません。タイトルに「甲賀」とありますが、黒装束で手裏剣を放つ忍者が出てくるわけではなく、もとより奇怪な忍術を駆使したりもしません。他方タイトルの「屋敷」どおり、とりわけ前半は篇中で「世阿弥(よあみ)の屋敷」とか「甲賀屋敷」と呼ばれる屋敷が舞台で、末尾では炎上までしてくれます。登場人物の台詞に曰く、「抜け穴だらけ。まるで化物屋敷」とあるくらいで、なかなか入り組んだ造りになっていますので、手短かに取りあげることにしましょう。
 原作は吉川英治の『鳴門秘帖』とのことで、タイトルには「第一部」と出ますが、続篇は製作されなかったようです。タイトル部分はクレジットの記された紙だか布を手が一枚一枚繰るというもので、他にもいろいろ類例はあるのでしょうが、コクトーの『美女と野獣』(1946)で黒板に書いては消し書いては消しという体裁だったのが連想されたりしたことでした。

 冒頭、町人風の男が塀を乗り越えて、屋敷の敷地に忍びこみます。庭はすすきがぼうぼうと生え放題の状態で、屋敷も雨戸が閉ざされています。ちなみに本作品で、塀や門、それに後に出てくる濠状の部分をのぞけば、屋敷自体の外観が映されるのはこの雨戸の閉まった軒先だけで、全体の姿は不明のままです。どのくらいの広さかも見当がつかない。
『甲賀屋敷』 1949、約2分:塀の向こうに屋敷の軒先 『甲賀屋敷』 1949、約3分:軒先と扉のある少し出っ張った部分
 さて、件の軒先の先に、少し出っ張った部分があって、そこに細めの扉がついています。そこから入ると、中は暗がりで、奥の方に小さな窓、脇に上への階段などが何とか見てとれる。滑車のようなものがあってそれを操ると窓を開ける仕掛けになっているのでした。  『甲賀屋敷』 1949、約4分:天井附近に滑車
 蹴上げのない木の階段をのぼると中2階で、手前には金網が張ってあるようです。
『甲賀屋敷』 1949、約4分:中二階への階段 『甲賀屋敷』 1949、約4分:金網越しに中二階と小窓
そこの窓から見下ろすと、まず、太い梁ごしに引き戸のある出入り口から浪人風の男が入ってくるのが見えます。この男は左の方に進み、そちらは書庫で、棚に平積みで本類がたくさん置いてある(追補:→「怪奇城の図書室」の頁でも触れました)。   
『甲賀屋敷』 1949、約4分:書庫の入口、中二階から俯瞰 『甲賀屋敷』 1949、約5分:書庫
 男が気配に気づいて書庫から上を見上げると、戸口の上に中2階の窓が見えます。このショットでは、窓の桟や壁の梁と、それらの影が交錯していました。  『甲賀屋敷』 1949、約5分:書庫から中二階の小窓を見上げる
 気づかれた町人風の男は、急いで戻ります。薄暗い中2階には、随所で天井から紐が垂れさがっており、その内のいくつかには錘がつけられています。右の方には滑車を操作する仕掛けの車輪らしきものものぞいている。これらの仕掛けによって上げ下げする揚げ戸のような類のものが、下の階にはいくつもあるということなのでしょう追補:→「怪奇城の隠し通路」の頁も参照)。  『甲賀屋敷』 1949、約5分:中二階、いくつもの錘
 階段をおりようとすると、階段自体がどうにかなったのか、驚く男をカメラは下からとらえる。男には格子の影がかぶっています。後の場面で、階段は軸で上下に回転するようになっていることがわかります。  
『甲賀屋敷』 1949、約5分:回転する階段 『甲賀屋敷』 1949、約6分:回転した階段
 男は床を突き抜けたのか、1階よりさらに下の地下へ落ちる。太い柱と石積みの壁、床には水が溜まっています。右の方へ進むと、胸くらいの高さで石垣に穴が開いている。そこは上に狭い台形状の木組みがある坑道のような通路で、突きあたりで屋外に出るようです。そこを進む男の背をカメラが映します。ここまでで約7分、台詞はありませんでした。  『甲賀屋敷』 1949、約5分:地下の坑道状通路
 屋敷を囲む塀には、灯りをともす小さな塔があります。台座部分は石積みで、左にはやはり石の階段が塀に沿ってついています。その上に上すぼまりの木製の四角錐が立ち、頂きには屋根のついた灯り入れが設けられています。台座の中央には戸口があって、かがんでやっと通れるほどの高さです。左手には門がのぞいています。
 この塔のすぐ向かいには寺があるようです。また敷地のすぐ近く、見下ろすほどの低さで川が流れている。
 
『甲賀屋敷』 1949、約8分:塀、灯籠と台座の階段、抜け道の出口
 再び勝手口から入ると、障子の間があって、壁には小さな窓が開いています。その先の木戸を抜けると、吹き抜けの空間です。屋敷内の位置関係はよくわからないのですが、セット上では、ここが一応の中枢部にあたるようです。奥には中2階への回転する階段があり、その左手はさらに奥へ続く暗がりになっている。このショットでも、中2階の手すりや壁の梁、柱などとそれらの影が交錯しています。 
『甲賀屋敷』 1949、約13分:中二階への回転階段 『甲賀屋敷』 1949、約16分:畳の間
 また別の部屋、右手に床の間のある押入の襖を開くと、中に下からの階段があるようです。部屋を出れば奥への廊下があり、天井には斜めになった縦格子の影らしきものが落ちています。この廊下では左手の柱が、上の方で斜めの支え柱を天井に伸ばしています。 『甲賀屋敷』 1949、約16分:右奥に地下からの階段、左に廊下
 廊下を左へ折れると、襖があってそこでオルゴールが鳴っている。他方、木の引き戸を開け、網戸を開けて階段をおりるところを、下から見上げ、左に曲がればやはりこの部屋の襖の前に出ます。後の台詞からこのオルゴールの間は地下にあることがわかります。とまれここに姫君が幽閉されているのでした。   『甲賀屋敷』 1949、約17分:右奥にまた別の地下への階段
 ところでこの作品では、何度か、角を曲がって廊下を進み、また角を曲がるといった場面がありました。廊下がすごく長いわけではないものの、こうした動きによって空間の屈曲が伝えられるのでしょう。またこの屋敷には、人物たちが坐っていたり寝転がっていたりといった部屋ももとよりあるものの、廊下や階段、中2階などのように、腰を落ち着けるための場所ではない空間の方が目立っていたような気がします。表だっては空き家だという設定によるところもあるのでしょうが、この点もまた、必ずしも宏壮とはいいがたいセットに、入り組んだ印象をもたらすのに資していたのでしょう。
 また、冒頭の木戸で閉ざされた廊下の外観を除けば、たとえば『雨月物語』(1953、監督:溝口健二)におけるような、庭を囲む縁側の長い廊下も、だだっ広い畳敷きの広間も残念ながら本作には登場しません。もとより壁や柱は、地下の石積みを除けば、ほとんどが木製ですし、床も廊下は板張り、部屋の中は畳敷きなのでしょうが、空気の流れのよい和風建築であるはずなのに、一部の小窓以外は外に対して閉ざされています。こちらもまた、セットに独特の雰囲気をもたらす要因となっています。
 
『甲賀屋敷』 1949、約18分:廊下 『甲賀屋敷』 1949、約20分:畳の間
 書庫にまた戻れば、右奥の壁が石積みのもので、その脇に上への階段があります。階段の上には扉があるのですが、これが斜めになっている。落とし戸の態をなしているのでした。とまれ書庫も、地下にあるということでしょうか追補:→「怪奇城の図書室」の頁でも触れました)。  『甲賀屋敷』 1949、約22分:書庫、階段と落とし戸
『甲賀屋敷』 1949、約23分:中二階から 『甲賀屋敷』 1949、約24分:縁側廊下
 また廊下のような空間が登場します。左手は板貼りの壁、右にも壁があるのですが、壁から少しだけ間を開けて柱が立ち、柱と壁を短い水平の梁が結んでいます。突きあたりは石積みの壁で、その左の方では上からなだれ落ちて来た砂らしきものが溜まっています。突きあたりの上は屋外になっており、右側の屋内はオルゴールの間に通じているようです。つまりこの廊下というか濠のような場所は、地面より低い位置にあるのでした。  『甲賀屋敷』 1949、約31分:濠の底
 横に床の間のある押入内の抜け道からは、塀に接した灯り塔の下の出入り口に通じていることがわかります。残念ながら通路の様子はわからない。それとも始めの方で町人風の男が通った坑道のようなところがそれにあたるのでしょうか。

 そうこうしている間にも、二度ほどチャンバラが行なわれます。一度目の際には、人物一人一人を交互にアップでとらえたカットを切り返し、妙に様式化した印象を与えます。ピアノによる西洋風の曲が劇伴しているのも、こうした効果を支えているのでしょう。
 ちなみにここで主人公が初めて登場するのですが、すでに約26分ほど経過しています。そこまでの話運びでは、当時の俳優たちの顔をよく知らないせいもあるのでしょうが、誰が主人公なのか、誰が善玉で誰が悪玉なのかももう一つはっきりせずにきました。この後も人物間の関係や状況がすっかり判然としたとはいいがたく、しかしこれはおそらく意図的なものなのでしょう。
 二度目のチャンバラは、木やすすきで見え隠れするようにして描かれます。ここでも活劇を身体の動きによって演出するという興趣はあまり目指されていないようです。
 また近くの町で祭りが催され、その間を縫って人物たちが行動する場面では、上からの俯瞰を始めとして、次々にカットが切り換えられます。
 
 屋敷内にもどれば、吹き抜けから脇に入った突きあたりの廊下、そこにヒロイン(幽閉の姫君とは別の人物です)は追いつめられるのですが、足もとの床板のどれかを踏むと、歯車が回り、突きあたりの壁が回転して向こう側に取りこまれてしまいます。取り残された人物はこれを「がんどう返しの落とし穴」と述べます。「がんどう返し(強盗返・龕灯返し)」というのは『広辞苑』によると、「劇場で、舞台の大道具を後へ倒し、最初は底になっていた面を垂直に立て、また次の道具を下からせり上げて、場面を転換させること。またその装置」だそうです。勉強になりました(追補: 寺山修司・矢牧健太郎、『新版 遊びの百科全書 5 遊戯装置』(河出文庫 767E)、河出書房新社、1988、pp.208-215:「05-311 舞台がそっくり入れ替わる大仕掛けの装置」も参照)。  『甲賀屋敷』 1949、約1時間11分:がんどう返しの落とし穴
 落ちたヒロインは金網を張った廊下を経て、オルゴールの間との間の壁の前に出ます。少し広めのこの部屋の反対側の隅には、天井への階段か何かをおろすためと思しき紐が垂れています。ただしそれ以外に出口はないようです。  
 手にした小刀で壁を突き崩し、姫君を救いだしたも束の間、姫君付きの婆やが灯りを倒してしまい、屋敷は火に包まれるのでした。姫君と思いあう仲であった主人公によって二人は何とか助けられますが、火の回りを押し留めようとしていた婆やに救いの手は届かずじまいになってしまいます。その後のエピローグを経て、次回に続くことになるのですが、冒頭で述べたように続篇は製作されなかったようなのでした。  『甲賀屋敷』 1949、約1時間20分:炎上する屋敷
Cf., 

 原作である

吉川英治、『鳴門秘帖(一~三) 吉川英治歴史時代文庫 2~4』、講談社、1989

を読む機会がありました。初出は1926-27(大正15/昭和1-昭和2)年連載、単行本は前篇1927、後篇1933(昭和8)年刊とのことです。
 『甲賀屋敷』のエピソードは原作の「上方の巻」に続く二巻目、「江戸の巻」の前半にあたります(上の文庫版では『(一)』に収録)。原作ではこの時点で江戸に到着していなかった主人公である法月弦之丞に関わって、前後につながる要素を組みこんだといった感じでしょうか。
 忍者や忍術は出てこないと上に記しましたが、
 「江戸で甲賀を名乗る家といえば駿河台の墨屋敷、隠密組の宗家といわれる甲賀世阿弥」(一巻、p.25;「上方の巻」、「夜魔昼魔」の章)
ということで、屋敷の主は隠密ではあったようです。

「や? 龕灯返し - 」(一巻、p.305;「鏡の裏」の章)
という台詞は原作にもありました。すぐ前で
「とたんに、壁はクルリと一転して、あっという間にお綱の体は、車返りにはねこまれて姿を消し、…(後略)…」(同上)
と、すぐ後には
「鏡は自然に壁を離れて、くるりと廻る仕掛になっている」(同上)、
がんどう(ヽヽヽヽ)返しと呼ぶ非常口は、武家屋敷の主人の居間近くには、必ずどこかに伏せられてあると聞いたが、…(後略)…」(同上)
と記されています。

「しかし、ここは甲賀組の墨屋敷、おまけに悪智にたけた周馬様がお住みの家だ、どんなカラクリがしてあるか、よく四辺や足もとを見廻してから、手出しをするならするがいいぞ」(一巻、p.313;「悪玉と悪玉」の章)
といった台詞が語られたり、
「真っ暗な、奥の一間へ入って、床脇の壁をギーと押した。壁に蝶番いがついていて開くのである。と、床下へ向って深く、石の段がおちこんでいる」(一巻、p.318;同上)、
おりたその先は屋外へ通じる隠し通路でした。さらに、
「屋敷の地底(ちぞこ)へ建てた隠し部屋」(一巻、p.320;「日蔭の花」の章)
という映画でも再現された設定も見出すことができます。
 もっとも、中二階やいくつもの滑車だか歯車、回転する階段、半地下の書庫などは見られませんでした。
「抜け穴だらけ。まるで化物屋敷」
という台詞も映画のオリジナルです。


 余談になりますが原作の中に、
「白い襖という襖一面、伊藤若冲の描いた乱菊の墨色あざやかに、秋の夜は冷々と冴え更けている」(一巻、p.238;「上方の巻」、「お船歌」の章)
という一文を見かけました。辻惟雄の『奇想の系譜』が1970(昭和45)年刊ということで、昨今の若冲再評価はまだ先のことと見ることが許されるのであれば、『鳴門秘帖』が執筆された頃、どんな風に捉えられていたのか、気になるところです。
 これ以外に気がついた範囲では、
「凄いとみれば、円山応挙の美女の幽精」(一巻、p.326;「江戸の巻」、「日蔭の花」の章)、
「青螺つぶしの砂床には、雨華上人の白椿の軸」(二巻、p.57;「江戸の巻」、「かなしき友禅」の章)
といったくだりがありました。
 前者については、
 辻惟雄監修、『幽霊名画集 全生庵藏・三遊亭円長コレクション』(ちくま学芸文庫 ツ 7-3)、筑摩書房、2008(1995刊本の文庫化)
所収の
 河野元昭、「応挙の幽霊 - 円山四条派を含めて」
などを参照ください。
 「雨華庵」は酒井抱一が1809(文化6)年に転居した先につけた名で、「雨華上人」というのは抱一のことなのでしょう(『酒井抱一展』図録、姫路市立美術館、1983、「酒井抱一略年譜」、p.118。また玉蟲敏子、『都市のなかの絵 酒井抱一の絵事とその違響(エフェクト)』、ブリュッケ、2004、pp.256-258、pp.456-457 なども参照)。



Cf.cf.

 『甲賀屋敷 第一部』に対する第二部は製作されませんでしたが、衣笠貞之助は後に
 『鳴門秘帖』(1957)
を監督しました。主役の法月弦之丞(『甲賀屋敷』では水月弦三郎)は引き続き長谷川一夫が演じましたが、それ以外の配役は変更されています。前作で実質的な主人公だった見返りお綱(『甲賀屋敷』ではお浜)も山田五十鈴から淡路千景に交替しました。本サイトでは『怪談佐賀屋敷』(1953)、『怪猫有馬御殿』(1953)、『怪猫岡崎騒動』(1954)でお馴染みになった杉山昌三九は、双方に出演しているものの、役は別でした。
 そもそもお話自体大幅に変えられていて、囚われのお姫様も登場しません。個人的には原作でもっとも興味深い人物だったのに、あまりな退場をさせられた川長(かわちょう)のお米は、『甲賀屋敷』でも少しだけ出ていましたが、本作では「よね」という名だけ留めた、まったく設定の異なる人物が大きな役割を果たします。
 冒頭で合掌造りの建物が出てきたので、飛騨あたりから始まるのかと思いきや、本作は最初から阿波が舞台となります。当然「抜け穴だらけ。まるで化物屋敷」も見られません。ただ、ずいぶん大きな廃船が冒頭に少し昼間の姿で登場、クライマックスの舞台となったりしました。
 
『鳴門秘帖』 1957、約1時間30分:巨大な廃船、夜 『鳴門秘帖』 1957、約1時間33分:巨大な廃船、夜
 満月が照らす中、弦之丞がよねを運びこむ場面(左上)もさることながら、見返りのお綱が同じ廃船に入っていく場面での、斜めに捉えられた眺めはなかなかかっこうのいいものでした(右上)。
 船倉は二層になっており、その上に甲板、船橋もあって(右)、階段によってつながれた層の重なりがチャンバラの動きを誘導します。
 
『鳴門秘帖』 1957、約1時間33分:巨大な廃船、夜
 これ以外に、ずいぶん大きな閻魔王像のある破れ寺が中盤に出てきました。閻魔王像の背後の壁面には、雲気文というのか飛雲、流雲、瑞雲だかが描かれており、円柱にも装飾が施されています。
 中野照男、『閻魔・十王像 日本の美術 No.313』、至文堂、1992.6
は主に絵画の図像を扱っているのですが、巻末に
 田中義恭、「冥府の彫像の古例」
が収録されていました。
『鳴門秘帖』 1957、約49分:閻魔王像のある破れ寺
 そこに図版が掲載された作例では、頭部の大きさや手にした笏の角度などからして、鎌倉の円応寺のもの(p.85 図①)が近そうにも思えますが、同書掲載の他の6点以外の作例と比べたわけでもないので、定かではありません。なお円応寺の像については、
「体躯は頭部に比べ更に素っ気なく象形されており、再三の修理で大部分が後補されたものであろう。現在の像高 187cm であるが、体軀が小ぶりで均斉に欠いている。当初は 2m を超す堂々たる大像であったと想像される」(同上、p.85、p.87)
とのことで、彩色も落ちているようです。

 また、閻魔王像のあるお堂と別の建物の間から、奥にお堂の入口を見る構図(左下;画面右手が閻魔王像のあるお堂)や、別の場面でも、建物と建物の間を人物が移動するカット(右下)が印象的でした。

 『鳴門秘帖』 1957、約49分:閻魔王像のある破れ寺の手前 『鳴門秘帖』 1957、約1時間1分:建物と建物の間
 2014/12/25 以後、随時修正・追補
(「Cf.」および「Cf. の cf.」は 2022/10/20)

   HOME古城と怪奇映画など甲賀屋敷 1949