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尼僧ヨアンナ
Matka Joanna od aniolów
    1961年、ポーランド 
 監督   イェジー・カヴァレロヴィチ 
 撮影   イェジー・ボイチェク 
編集   Wieslawa Otocka  
 美術   Tadeusz Borowczyk, Roman Mann  
    約1時間48分 
画面比:横×縦    1.37:1
    モノクロ 

ケーブルTVで放映
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 この作品は通例怪奇映画などという範疇には含まれないようですが、主題は悪魔憑き/悪魔祓いです。もっとも、超自然現象を持ちださなくても話の筋は通ります。ただ主な舞台が石造の修道院ですし、印象的なイメージもいくつか見受けられますので、手短かにとりあげることといたしましょう。

 タイトルとクレジットが流れる間、板張りの床がほぼ真上から見下ろされ、そこにうつぶせになった人物が頭を下にして映されます。頭を剃りあげているので聖職者なのでしょう。頭頂が画面の下辺すぐ上に配される。祈りを唱えています。
 彼が起きあがるとカメラは上昇し水平になる。鐘の音が響きます。曇った窓を開くと、向こうの丘の上に修道院がそびえています。下方は横に塀が伸び、その向こうで塀と平行に本棟がたっています。本棟の右に角塔が立ち、その右下に少し低い円塔を伴なっている。修道院の左手には一段高い丘があり、その頂に小規模な建物が見えますが、何かはわかりませんでした。窓と修道院の間には高い木立などはなく、地面にも緑はなさそうで、雪らしき白い溜まりが散らばっています。
 カメラが下降し、窓の下にいるのでしょう、馬車が上から見下ろされる。

 神父(ミエチスワフ・ウォイト)は下の階におります。宿の食堂だか居酒屋になっているようです。薄暗く、人気に対しやや寒々とした感触です。左に暖炉があり、その前に長テーブルが配されています。
 リュートを奏でていた宿の娘アウドシャ(Maria Chwalibóg、すいません、上のスタッフもそうですが勉強不足のためポーランド語の読み方がよくわかっていないので、アルファベットのままにしておきます)は占いも手がける。相客が一人、また尼僧院の門番が神父を迎えに来ます。彼らの会話から、尼僧院に悪魔憑きが生じたこと、今回の神父で5人目だということ、以前ガルニェツ神父が火刑に処されたことなどがわかります。


 神父は修道院に向かう。途中に火刑台跡が残っています。真っ黒です。まわりの景色が白っぽいので、対比が際だたずにいません。宿の使用人カジュークやガルニェツ神父の遺児たちを世話しているという男と会話していると、修道院の外観がより近づいて映されます。少し斜めになったカメラが左から右へ流される。
 塀と本棟の間に前庭があるらしきこと、本棟が左側で手前に折れ曲がっていることなどがわかります。装飾のない簡素な造りです。
 まわりはやはり荒れ地のように見えます。白っぽいので神父の黒い服と強く対比されます。
 のぼり道の先の塀もやはり白い。ベルを鳴らして門の扉が開かれると、カメラは前進します。前庭をはさんで左奥に玄関が見える。三角アーチの下に何重かの半円アーチで囲われています。本棟は2階建てです。
 案内の尼僧は白服でした。二人が左から右へ向かうさまが、かなり上から見下ろされる。女声の讃美歌が響きます。尼僧の白服と神父の黒服がやはり対照的です。


 吹抜のようなかなり天井の高い方形の部屋が、やはりかなり上から見下ろされます。天井は映されず、屋根のある部屋なのかバルコニーのような場所なのかは不明でした。女声の讃美歌は響き続けています。そんなにだだっ広いわけではない。壁は規則正しい石積みです。奥の壁に半円アーチの扉口があり、その右上に二連の半円アーチの窓が開いている。扉の前、やや左寄りに手前へ伸びる長テーブルが配されているのですが。これがいやに黒っぽい。手前右下にも黒っぽい椅子らしきものが見えます。右側の壁にも窓が一つあり、そのさらに手前に三連アーチの窓のあることがすぐにわかるでしょう。
 讃美歌が止み、神父が振り返ると扉の前に尼僧院長ヨアンナ(ルチーナ・ウィンニッカ)がいました。やはり白い服です。手前に進んでくるのがやや上からとらえられる。
 扉と反対側の壁には浅浮彫が施されています。単純化された形態の人物が横に三人並び、枠が縁取っているのですが、三人の頭部は枠にかかっています。
 ヨアンナの白服と神父の黒服がやはり強く対比されています。他方床や壁に落ちる二人の影は薄い。
 面談を終え扉に向かうヨアンナは、笑い声とともに振りかえると、その表情が豹変しています。壁に沿って右から左へ、カメラも引きでそれを追います。ヨアンナの声がエコーしています。扉から出る際、脇の壁に手をつくのですが、壁から手を放すと血の手型が残っているのでした。


 神父が人の声に三連アーチの窓から外を見下ろすと、前庭に尼僧たちが出てきて踊ります。塀の向こうの火刑台が見えている。

 宿の娘が窓から外を見ています。尼僧がこちらへやって来る。マウゴジャータ(アンナ・チェピェレフスカ)です。客の一人が修道院で起こっていることに好奇心を示します。娘のリュートに合わせてマウゴジャータは歌を歌います。
 神父が戻ってきます。自室で暗い鏡の像に向かい、「これからお前と戦わねばならない」という。暗い鏡像は後にもう1度登場することでしょう。
 厩舎ではカジュークともう1人が話しながらいやにくっついて藁に寝ます。そのさまが上から見下ろされ、逆さになった頭部が下方に配される。暖をとるためなのか、同性愛的なものが暗示されているのかはわかりませんでした。


 ヨアンナを先頭に、尼たちが一列になって奥から手前に進むさまが、下から見上げられます。鐘の音が鳴っている。屋外です。中の1人はくるりと回ります。扉から出て左へ進む。鳥の囀りが聞こえてきます。
 正面から薄暗いバシリカがとらえられます。位置や修道院との関係はわかりません。修道院の隣の丘の上にあった建物でしょうか。
 左右に半円アーチが並んでいる。左右とも奥から二つ目のアーチの前に、黒い長椅子の列が設けられている。中央は通路としてあけてあります。手前はからっぽの空間がひろがっている。村人たちが左右のアーチの下に集まっていることがすぐ後にわかります。宿の娘の顔も見える。
 正面奥の壁は、1階に広い半円アーチがうがたれ、2階にはパイプ・オルガンでしょうか、左右から段々低くなる筒状のものが並んでいます。壁の中央・上には薔薇窓が配されています。
 1階の半円アーチ下の扉からヨアンナに率いられた尼僧たちが入ってきます。最初は一列になっていますが、徐々に左右に分かれる。1人だけくるくる回ります。
 扉の反対側、半円形の内陣の前に司祭が4人立っている。男声の讃美歌が響きます。柵に仕切られた奥の祭壇は簡素です。追って神父が左の扉口から入ってきます。侍祭が1人控えている。
 4人の内1人が前に出、侍祭が差しだすバケツにはたきを浸すと、尼僧たちに振りかけます。尼僧たちは悲鳴を上げ逃げ惑う。この場面から悪魔憑きもまたまぎれもない信仰であることが伝わります。マウゴジャータは半円アーチの下にいる宿の客に微笑み、長椅子に坐る。
 壁際のあちこちに尼僧たちがうずくまる中、ヨアンナは1人立っています。奥を向いてのけぞり、そのまま両手を床につけたブリッジ状の体勢で、逆さになって話し出す。散っていた尼僧たちが寄ってきます。この者から出ていけという司祭の声に、「ザパリチカは出た」と答え、司祭が内陣の方に戻りかけると、すかさず「俺はグレシルだ」という。
 ヨアンナは芝居がかった礼の身振りを繰り返しながら奥の方に後退し、またやはり礼の身振りとともに前進してきます。尼僧たちもヨアンナの振舞に呼応しているようです。ヨアンナは床を横に転がりながら奥へ退く。侍祭たちが彼女を連れ戻し、ベンチに縛りつけます。ヨアンナは縄を引きちぎる。尼僧たちは踊りだしかけます。
 ヨアンナは内陣の方に出て懺悔をする。男声の讃美歌が響きます。尼僧たちは皆床にうつぶせになる。カメラがかなり上から見下ろします。奥の内陣を正面からとらえている。尼僧たちは皆白い十字と化しています。長椅子に坐っていたマウゴジャータも加わり、やはり十字にうつぶせます。
 このバシリカでの悪魔祓いの場面は、司祭たちも含めてその動きがあたかも舞踏のようでした。儀礼というのはそういうものなのかもしれません。


 宿の部屋で神父は自らの背に鞭を打ちます。

 鐘の音が響く。手前で出入り口が枠どり、奥の右には二連アーチの窓が見えます。そこに尼僧が現われる。手前へ進んできます。カメラは後退する。左の壁に半円アーチの窓があり、中央の柱で区切られている。尼僧はいったんこの窓に取りつき、また手前へ来る。カメラは後退します。
 右手の扉口から門番が出てきます。画面の手前左右は明るく、奥は薄暗い。尼僧は門番と話してから、手前を左へ、カメラの前を横切りさらに左へ向かう。左の壁にはいくつか窓が開いていますが、進む先は暗がりです。奥で右に曲がる。やっと登場した修道院内の廊下です。こうでなくてはいけない。

 さて、進んだその先でしょうか、半円アーチの扉口に曲線紋様の透かし扉がはまっています。その向こう、突きあたりには半円アーチの壁龕があり、その中に祭壇が納められています。祭壇の手前には1~2段段差がある。その手前の床で神父がうつぶせになっています。
 カメラが前進し、次いで右から背を向けた尼僧が入っていきます。神父が起きあがると、右後ろにヨアンナがいる。司祭たちが入ってきて左に回ります。この部屋は円形になっているようです。ヨアンナは胸をはだけます。尼僧たちが入ってくる。


 扉を開けると洗濯物干し場です。案内してきた尼僧が鳩が入ってくるといいます。天井から吊した何本もの物干し竿に、白い衣がかけられ何列も並んでいる。奥にも扉が見えます。左の壁には大きな半円アーチの窓がある。入ってきた扉は振りかえると白塗りでした。ヨアンナと神父がここで話します。ヨアンナの父は侯爵で、スモンレスクにいるとのことだが不明だという。
 空を鳩の群れが舞います。カメラはその動きを追う。女声讃美歌が響きます。
 上から前庭が見下ろされる。
 ヨアンナが自ら鞭打っています。まだ洗濯物干し場です。この部屋は石積み壁で方形です。洗濯物の列の向こうで神父も己に鞭を打っています。洗濯物の列が皆、少しだけ左右に揺れています。ヨアンナと神父が同じ部屋の離れた位置で自己鞭打ちするというのもたいがい奇妙ですが、それに負けず劣らずなかなか奇妙な眺めです。

 洗濯物干し場の扉を出ると、1~2段おりることになります。扉が画面の左に配され、手前に廊下が伸びている。奥はすぐ突きあたりになり、半円アーチの壁龕が見えます。2人は手前に進む。カメラは後退します。
 2人が右を見ると、回廊の柱越しに前庭を見下ろすことになる。カメラは左から右へ動きます。司祭たち、その後ろに尼僧たちの列が連なっている。女声の讃美歌が響きます。奥には本棟から曲がった棟が左右に伸びており、尼僧たちはその手前で3段ほどのぼり、右に伸びるアーケードに入っていく。
 すがるヨアンナを引きずりながら神父は背を向け回廊を奥へ進む。左はアーケードで、右の壁には半円アーチの扉口が並んでいます。突きあたりの右寄りには二連半円アーチの窓が見える。ヨアンナを突き放した神父は奥を左へ曲がります。


 宿の娘が窓の方を見ている。鐘の音が響きます。窓の外、手前では使用人二人が木の格子を組みたてている。僧院に持っていくのだという。奥から尼僧が進んできます。マウゴジャータです。宿の娘はリュートを奏でだします。

 神父が案内されて入ったのは、やけに幅の広い横板が壁をなす部屋です。奥の机にユダヤのラビが坐っている。ラビは神父と同じミエチスワフ・ウォイトが演じています。聖書でしょうか、前には分厚い本が開かれています。ただしラテン文字でした。
 日本語字幕によると、ラビはあれは悪魔に取り憑かれたのではない、ヨアンナは天使に見放されたのだといいます。悪魔が世界を作ったのだとしたら?とも問いかける。悪魔が取り憑くのは神の意志だ、取り憑かれた者が悪魔を愛した時、神が許されるといいます。このあたりの台詞のニュアンスは原作(の邦訳、Ⅹ章)で確かめた方がいいかもしれません。この挿話からはまた、ポーランドが17世紀中頃以降ルーリア主義のカバラーが根付いた地であり(ショーレム、『サバタイ・ツヴィ伝 上』、第1章Ⅶ)、18世紀中頃にはハシディズムが開花したことが連想されるところです。
 ラビと神父はそれぞれ正面からとらえられ、カットが幾度も切り返される。ラビは神父に、それほど知りたければ悪魔を己の内に入れよという。


 荒れ野を進む神父が、かなり上から見下ろされます。鐘の音が響く。荒れ野は凸凹だらけです。カメラは左から右へ動きます。先に真っ黒な火刑台、次いで修道院が見えてきます。神父は途中で跪きます。その時画面手前で、下から人の背が立ちあがる。
 白い壁に接するようにカメラが右から左へ流れる。僧院の扉に神父が取りつきます。女声の讃美歌が響く。出迎えた尼僧に、屋根裏へ来るようヨアンナに伝えてくれと頼みます。門の扉が閉じられると、そこに男がとりつきます。
 前庭が上から見下ろされる。尼僧は奥のアーケードへ、神父は玄関に向かいます。双方の道に石畳が敷かれているのがわかります。
 2階の回廊から門番が見下ろしている。


 左側の扉から神父が室内に入ってきます。部屋の中央を木の格子が区切り、向こうにも扉がある。神父が祈ってから目をあげると、向こうにヨアンナがいます。二人がそれぞれ正面からとらえられた後、格子の間から差しだされたヨアンナの手に神父はキスする。
 窓から男二人が覗いていました。神父が何かを投げつけると、窓ガラスが割れる。窓の向こうは浅い三角屋根が伸びています。
 格子越しにヨアンナがアップになります。女声の讃美歌が流れる。神父はキスしかけますが、叫びを上げて部屋から飛びだすのでした。
 物音とともに、カメラは上から、半円アーチの扉口の奥の狭い階段を転げ落ちた神父をとらえます。神父は逆さになっている。


 奥が暗がりになった廊下が、正面からとらえられます。「スリン神父様」という声がする。尼僧たちが奥から走りでて、手前で角を左に曲がります。

 遠景に僧院、中景に火刑台のある景色を、奥から手前へ子供二人が走りでてくる。左手前に神父がいました。角度が変わって神父の右後ろには干し草を打つ男が立っています。その背後には木の扉が見える。
 神父は手前を向いています。右手前に出る。悪魔は私のものだといいます。
 カメラは揺れまくります。映っているのは白い荒れ野です。


 冒頭同様、下辺沿いの馬車と二人の男がほぼ真上から見下ろされます。カメラが上向きになると、向こうに僧院が見える。宿の部屋に神父がいます。
 僧院の方から馬に乗った男二人がもう一頭を連れて駆けてきます。宿の前で馬の一頭がぐるぐる駆け回る。
 神父は壁の前で背を向けています。歌声が響いてくる。
 食堂で男女が踊っています。女性はマウゴジャータで、俗人の服装を着ている。前にも歌った曲です。手前から背を向けた神父がおりてきます。
 厩舎では前の使用人二人が、悪魔はヨアンナ様から神父に移ったと話している。藁に寝転びます。やはりぴったりくっついています。上から逆さに映され、寝ます。
 再び暗い鏡に映る神父の像です。「私の悪魔、ここにいろ」という。「ヨアンナは解放された。斧のある場所を憶えている」。斧は前の方で神父が転がっていたのを見つけたのでした。
 カメラが前進します。暗いところです。床に斧がある。それを拾いあげる手が映されます。神父の頭の後ろが奥へ進み、カメラもそれを追います。
 騒ぎ立てる白馬2頭がアップにされます。2頭の頭の位置も近い。


 マウゴジャータが眠っています。男はこっそり抜けだす。もう1人と合流、出発します。その際1人が厩で血の匂いがしたといいます。
 神父が斧を手にしている。「神よ、これで私は悪魔と永遠に」という。
 捨てられたと知ったマウゴジャータは僧院に走ります。前庭を奥のアーケードに向かう。奥が暗がりの廊下を手前に走りぬけ、手前右の半円アーチの奥の狭い階段をのぼる。
 木の格子越しに、向こうの扉が手前に開かれます。反対側にはヨアンナがいました。
 揺れる鐘が下からアップで映されます。ただし音はありません。


 たまたま本作を再見したのが同年の『去年マリエンバートで』の後だったので、比べてみるとこじつけかなという気もしなくはありませんが、共通点がなくはないといえるかもしれません。とはいえ本作では、『去年マリエンバートで』のように時間軸がシャッフルされてはおらず、時間はあくまで一直線に進みます。また悪魔憑きという主題を扱っているにもかかわらず、描かれた世界自体がこの世ではないかのような『去年マリエンバートで』に対し、ここでは神も悪魔も、あるいはその不在もまた、あくまで人間との関係において扱われている。『去年マリエンバートで』ではラスト・シーンを除いて、舞台となるホテル・城館に集まった人々がそこから出ることはなく、また入ってくることも少なくとも本篇中ではありませんでしたが、本作では主人公である神父や司祭たち、何がしたかったのかよくわからない旅人などの出入りがある。
 他方、『去年マリエンバートで』の舞台が城館とそれに接した庭園から一歩も出なかったのと同じように、本作では修道院の囲いの外に出るとはいえ、そこから目に見える宿、そして修道院と宿との間にひろがる荒れ地が映しだされる全てです。『去年マリエンバートで』の城館が玄関の所在すら定かではないのに比べれば、本作での修道院には塀の門、本棟の玄関口がきちんと登場します。ただし一歩中に入れば、本作で登場する部屋は神父が最初にヨアンナと面会した部屋、洗濯物干し場、祭壇のある円形の部屋、そして屋根裏部屋の4つで、それに廊下が加わるわけですが、その位置関係はまったくもってはっきりしません。悪魔祓いの行なわれる教会堂また然り。この点は『去年マリエンバートで』の城館内の各部屋や廊下、階段に通じるところと見なせるのではないでしょうか。
 もとより後者の屋内の少なくとも一部が、過剰なまでのバロックないしロココ様式で装飾されていたのに対し、本作はロマネスクと呼んでいいのでしょうか、修道院の外観にせよ屋内にせよ、いたって簡素でした。それが白と黒の対比と相まって、『去年マリエンバートで』とは異なる形で、本作に抽象化された感触をもたらしていたように思われます。

Cf.,  町山智浩、『トラウマ映画館』、2013、pp.42-51:「4 『エクソシスト』の原点、ルーダンの悪魔祓い 『肉体の悪魔』、『尼僧ヨアンナ』」

原作の邦訳として;
イヴァシュキェヴィッチ、関口時正訳、『尼僧ヨアンナ』(岩波文庫 赤 777-1)、岩波書店1997
原著は
Jarosław Iwaszkiewicz, Matka Joanna od aniolów, 1943/1946
原題は『尼僧長〝天使たちの〟ヨアンナ』の意とのこと(p.259)。
 2015/9/9 以後、随時修正・追補
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