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ミイラの呪い
The Mummy's Curse
    1944年、USA 
 監督   レスリー・グッドウィンズ 
撮影   ヴァージル・ミラー 
編集   フレッド・R・ファイチャンス・Jr. 
 美術   ジョン・B・グッドマン、マーティン・オブズィナ 
 セット装飾   ヴィクター・A・ガンジリン、ラッセル・A・ガウスマン
    約1時間2分 
画面比:横×縦    1.37:1 
    モノクロ

DVD
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 『ミイラの復活』(1940)、『ミイラの墓場』(1942)、『執念のミイラ』(1944)と続いてきたシリーズの第4弾で、最終作となります。物語は前作の25年後となり、もはやかつての事件は伝説と化しています。カリスが沈んだ沼を埋めたてる工事が行なわれているところへ、カリスとアナンカのミイラを引きあげたいと、スクリップス博物館から二人の研究者がやってきます。
『ミイラの呪い』 1944 約11分:丘の上の修道院址とそこへの階段  二人の内一人がアルカムから派遣された神官で、工事作業員の内に潜りこんだ従者とともにアジトに選んだのが、丘の上の修道院址でした。この舞台あるがゆえに、本作品も古城映画の仲間入りをはたしたわけです。月光に照らされた建物は、外観から見ると屋根も抜け落ちてしまっているようで、ぎざぎざした輪郭を示し、またガラスもやはりなくなってしまったらしい窓のアーチがいくつも並んでいます。むしろギリシアの神殿址とでもいった様子です。
 暗くて見づらいのですが、丘には階段が設けられて手前と修道院址をつないでいます。『ミイラの復活』での神殿と外の階段を思いださせずにはおらず、また『執念のミイラ』での捲き上げ塔とあわせると、ミイラものにはなぜか、垂直性の強い斜面が必要だとでも思いたくなるところですが、とはいえ『ミイラ再生』(1932)にも『ミイラの墓場』にも、そんなものは登場していません。  
 修道院址の内部もいくつかの部屋が映しだされ、いかにもな雰囲気をかもしだしてくれます。一つは手前に柩が二つ、カリスとアナンカの分が置かれた広間です。奥の方に半円アーチが二つ、左のものの奥には上への階段がのぞいています。  『ミイラの呪い』 1944 約12分:修道院址の広間、奥から
 修道院址の管理人が闖入して誰何する場面で映るのも、同じ広間だと思われますが、映る角度が異なっています。やはり奥の左右、しかし今度は近づいて二つの半円アーチが並び、右のものには格子がはまっている。その一部が戸口になっていて、その手前では階段が広間の床へとおりています。画面右にカリスの柩が見える。こうしたさまをカメラは斜め下からとらえます。 『ミイラの呪い』 1944 約20分:広間奥の階段
『ミイラの呪い』 1944 約52分:広間入口附近、奥から見て左側の部屋 『ミイラの呪い』 1944 約54分:広間への入口の階段

『ミイラの呪い』 1944 約55分:広間、奥から見て右手の格子、向こうは廊下か?
 同じく格子のはまった半円アーチは別の場面でも出てきて、その戸口を通るカリスをカメラは下から映します。中は小部屋で、角をはさんで壁に垂直線や窓の影が落ちている。  『ミイラの呪い』 1944 約57分:広間奥の階段、踊り場と小部屋
『ミイラの呪い』 1944 約57分:階段踊り場の小部屋から格子越しに広間 『ミイラの呪い』 1944 約57分:階段踊り場の小部屋の格子を崩すカリス
 お話自体は、カリスがすでに掘りだされたか復活した後で、沼地から蘇るアナンカを中心に展開します。泥の中から起きあがった時は動きもぎくしゃくしていて、ふらふらと歩みだすところが太陽のカットと交互に切り換えられながら描かれる。カメラは、後退しながらアナンカの歩みを先導し、ついで併走して、最後に引きになります。後の場面でテントで目ざめた時は、斜めになってアナンカを映す。 『ミイラの呪い』 1944 約22分:アナンカ復活
 前作でのアミーナとしての人格はもはや失なわれたようで、夢遊状態にあってはカリスの名を呼びながらさまよいつつ、意識のある時はカリスの影に怯え、また陽の光を好む。その姿は人間的というより、妖精めいています。  『ミイラの呪い』 1944 約50分:カリス来襲により崩れたテント 
だから愛欲の対象にはならないということなのか、あるいは前作でヒロインとして迎えた結末が娯楽映画としてまずいと見なされたのかどうか、今回は彼女以外に、工事責任者の姪で、博物館員の一人と惹かれあう、もう一人のヒロインが用意されました。今回は最後まで色恋に迷わなかった神官は、こちらのヒロインに惹かれた従者に殺されてしまい、それに怒ったカリスが暴れだして結末を迎えます。その意味では物語を動かすのに寄与しているわけですが、アナンカの浮世離れした、つまり現実の人間から逸脱してしまったあり方に物語の焦点は注がれているようです。

 ミイラものの原型となった『ミイラ再生』で、亡き王女の転生した姿であるヒロインは、ミイラから蘇ったアーダス・ベイによって、王女としての記憶を呼び覚まされます。いったん再会を喜んだ王女ですが、ともに生きるためにはいったんミイラとならなければならないと告げられる。〈死と再生〉の過程にのっとっているという意味で、しごくまっとうな話なのですが、王女は今のまま生きていたいと逃げだそうとします。本作品はある意味で、王女のこの葛藤を展開させたものと見なせるかもしれません。もっとも『ミイラ再生』での王女の振るまいが現世的なのに対し、本篇でのアナンカの揺れ動きは、いささか深読みすれば、すでにあの世に踏みこんでいるかのようです。

 ちなみに恒例行事のように、神官が従者に過去の因縁を語る場面があって、やはり『ミイラ再生』の映像が使い回されているのですが、これを神官は、日本語字幕で「霧の絵巻」となかなかかっこうのいい言い回しで呼んでいました。
 とまれ修道院址で壁の一部が崩れて大団円となるのですが、その後で博物館員がアナンカとカリスのミイラを博物館に戻すなどと、とぼけたことを言います。これはこれで印象的だったりするのでした。これまた深読みすれば、アナンカとカリスの物語は、この後も幾度となくくりかえされるのかもしれません。
 
Cf.,

Jonathan Rigby, American Gothic: Sixty Years of Horror Cinema, 2007, pp.268-269
 
 2014/11/11 以後、随時修正・追補
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