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Lady’s Slipper, no.5, 1996.4, pp.6-7
(特集:私的美術 - 閉じることのエチカをめぐって)

秘められた欲望の花園を求めて

石崎勝基
 拇指の大きさのプルシャは、光輝のように煙がない。
『カタ=ウパニシャッド』四-十三(岩本裕訳)
 今村哲のアトリエでおしゃべりしていた時、「誰かに見せることを考えないで作品を作ることはあるか?」と今村が大野左紀子らに問いかけた。とりあえず「表現というやつは見られてはじめて成立するんだから、見られるということ自体が作品の構造に組みこまれているんじゃないか」といったありきたりのことを答えたのだが、それに対し「じゃあ日記はどうなるんだろう?」と染谷亜里可がいって、思わずつまってしまった憶えがある。そのおりは日記は種類がちがうからということになったのだが、ふりかえれば、見せる見せない、少しずらして公と私の区別なるものも、万古不易だったわけではない。

 作品がプライヴェイトな性格をもつようになったのは、後にふれる一部の例外をのぞき、(馬鹿の一つおぼえで申し訳ないのだが)近代、具体的には中性的な公の場所における展覧会という制度の確立以後であろう(ここで作品というのは、例によって、西欧のいわゆる大芸術が念頭におかれている)。それ以前は、作品は原則として注文に応じて制作され、教会や宮殿なり、家庭内の礼拝のためなり、それがどのような場におかれ、機能するかはあらかじめ定まっていた。その意味では、作品が社会的函数なのは自明の理だったし、プロならぬ作家というのも存在しなかったともいえよう(少なくとも記録に現われない)。
 そこにはっきりした変化が生じるのは、アカデミーの整備にともなっていわゆる官展が組織され、とりわけ十八世紀半ば以降、それが公的な権威として定着してからと見なすことができる(あわせて批評ジャーナリズム)。特定の意味づけを課されていない中性的な空間におかれることで、作品自身も具体的な機能から放たれ、やがて自律性だの自己言及性と呼ばれるであろう性格を帯びることになる。ひるがえって、作品のおかれる場が特定の意味づけを免れた公のものとなった結果、作品自身には逆に、何らかのレヴェルで私的な要素が入りこむ余地が生じた。ロマン主義がもたらした個性信仰の弁明のもと、その時点での社会の共通了解事項、宇宙論的なコードを経ずとも、表現が許容されるわけだ。ここで、公と私は分離することで互いを支えあうと同時に、その支えあいがまさに、互いによる規定を覆い隠しあうような関係を生じさせることになる。作品が見られることを前提にするものでありながら、公/展示に伸介されることで、見られぬままに終わるという可能性も生じうるのだ。

 とはいえ、近代以前に私的と見なしうる表現が皆無というわけではない。先史時代の洞窟壁画のように通例の意味で鑑賞されることはないにせよ、その社会において何らかの機能をもつものをのぞけば、たとえばヨーゼフ・ガントナーがプレフィグラツィオンと呼んだ、スケッチや習作、下絵など完成作以前の領域は、工房内部は別として、基本的には人目にさらすものではなかった。その意味では、日記に近い性格を宿す場合もあっただろう(ただ、ヴァザーリのティツィアーノの晩年作評に見られるような、本来習作の領域に属していたはずの筆致の早さなどを鑑賞する趣味は徐々に形成されていくのだが)。
 また、もとは芸術家の社会的な地位を顕彰するという機能を有していた自画像の領域でも、デューラーの十三歳の時の自画像や、レンブラントの晩年の自画像(たとえば→こちら)の場合、流通経路にのせることは想定されていなかっただろう。自己省察という形で、作者自身が制作者と鑑賞者の双方をかねる、あるいは少なくとも、省察という行為自身が主題となる。
 他方、とりわけ十七世紀のオランダでは、中産市民階級が力をえていく中で、私邸用の作品としての可動的なタブローを供給する市場が確立するのと軌を一にして、フェルメールなどが描いたように、恋文のやりとりのごときプライヴェイトな主題をあつかう風俗画が発展することとなる。

   
 とまれ、イーフー・トゥアンにのっとるなら(1)、プライヴヴァシーという考え方自体、ルネサンス期以降の西欧で徐々に形成され、近代になってはじめて確立したものだった。美術の領域でのその現われようは、三つに分類することができるだろう(編集部大野による)。
 まず、主題として私的な生活を取りあげたもの - 先にあげた風俗画、ドガのたとえば私室で入浴する女性を描いた作品(たとえば→こちらや、そちら)、ヴュイヤールなどのいわゆる〈アンティミスム〉(2)(たとえば→あちら)などがこれにあたる。ある意味ではポルノグラフィーも同断だ。その際、もっとも私的であるはずの〈秘めごと〉を扱いながら、鑑賞者には生理的で機械的な、一律の反応が予想されているように、あるいは十九世紀末に装飾振興運動が起こった時、男性には大芸術、女性に装飾というふりわけが暗黙の内になされていたといった(3)、社会的な枠どりと無縁ではなかったことを忘れるわけにはいくまい。
  1 イーフー・トゥアン、『個人空間の誕生 食卓・家屋・劇場・世界』、阿部一訳、せりか書房、一九九三

2 天野知香、「アンチミテー - 一八九〇年代に於けるヴュイヤールと室内 - 」、『美術史論叢』、七号、一九九一

3 天野知香、「『女性の芸術』 - 一八九〇年代の二つの展覧会と装飾芸術振興運動 - 」、『藝術学研究 明治学院論叢』、五号、一九九五
 次に、郵便夫シュヴァルの夢の宮殿など、いわゆるアウトサイダー・アートの範疇に含まれるもの。ポロックの精神分析用の素描などもここにふくまれるのかもしれない。これらはそもそも美術という制度の外部で、それを意識することなく作られたものだが、事後的に制度の枠内の何らかの位置に回収されることになる。
 そして、画廊や美術館のような公の場ではなく、自宅などの特殊な場所で制作なり作品を公開する場合。このことによって、美術を前提にしながら、美術という制度からの脱出ないし相対化がはかられる。ただその際、選ばれた場所に何らかの特権的な意味がつきまとうことになりがちだ。

   
 以上の範疇とは別に、光田由里が「私性を取り戻すために」(4)で論じようとしたのは、主題面もふくめ、作品の構造から分泌される私性ということであろう。本特集掲載の大野のテクストで論じられるはずの、〈ノイズとしての「私」〉もこの点にかかわる。その際、私性なるものを、ロマン主義以来のオリジナリティーと区別する必要がある。価値としてのオリジナリティーにおいては、個を突きぬけて何らかの普遍性に達することがあらかじめ仮定されている。バルザックの『知られざる傑作』は基本的には、そうした地平の中での挫折の物語であり、〈見せない〉ことにつながったのだった。   4 光田由里、「私性を取り戻すために」、POSI、五号、一九九五
 この点オリジナリティーはつねに、実体としての核を有しているのに対し、私性はノイズの語がしめすように、あくまで何ものかの残滓としてのみ機能する。それは決して実体化なり特権化されてはならず、残滓であり余剰であるかぎりにおいて、おのれが配される地平との関係を、おのれ自身のありかたによってあらわにするようなものとしての作品を成立させうるかもしれないのだ。
 他方、トゥアンがのべたように、プライヴァシーという理念の成立は、視覚優位にもとづく他者に対する距離の開きと歩みをともにしていた。見られる客体としての近代的タブローの実体化も、その現われの一相であろう。しかしコンピューター・ネットワークが発達するにつれ、距離をおいての対象化をこととする視覚の優位が崩れ、他の近接感覚 - 触覚、味覚、嗅覚、聴覚などが役割を新たにするやもしれず、ひいてはプライヴァシーの遍在/消滅も考えられなくはない。その時、近代的タブローの視覚性を一つの軸に展開してきた美術は、どのような姿を帯びるのだろうか?
   
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