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『蟋蟀蟋蟀』、no.10、2001.10.31、pp.12-14
剣に生き・剣に斃れ
決闘荒野の巻 - 影分身縁起


石崎勝基

三人の神々をおつれしました。
四人めのかたは来ると申しませんでした。
ゲーテ『ファウスト』(高橋健二訳)

 
ガラス越しではさわれない

 設楽知昭展「眠ル私ヲ見ル夢」(白土舎、二〇〇一年一~二月)で会場にならんでいた作品は、いずれも額におさめられた油絵で、具象的なイメージを描いてあった。その点、近代というくくりをみたすかぎりで、オーソドックスな展観といってよいのだろう。にもかかわらず、画面を見入る内、何かはぐらかされたかのような、奇妙な感触が生じはしなかっただろうか。
 これは一つに、描かれた図像によるところが小さくあるまい。白木の額で縁どられた、五~六十センチ四方のほぼ正方形の画面のほぼ中央、たとえば、空中から床へ落下しようとする人物だの綱にぶらさがっている人物、ボートに乗って水面を見ている人物や、大きな衝立のようなものを押している二人の人物などが描かれている。背景は、しばしば画面中央あたりに水平線が引かれて壁と床の境をしめす他は、時に壁から柱が出ているだけだ。具体的な状況が説明されることもなく、意味を宙吊りにしたまま沈黙の内で演じられるパントマイムは、形而上絵画を思いださせなくもない。
 ところで、身ぶりなり意味を宙吊りにするべく、ほぼ中央に描かれた人物たちは、画面全体を支配することがないだけの大きさをもって配されている。背景は、温かみを帯びた褐色やグレーをざっと掃いたもので、多少のニュアンスを帯びつつ、ほぼ平坦な色面に留まる。人物たちの身ぶりは、こうした背景と括抗することなく、そこに吸収されてしまうかのごとくだ。人物たちが丸みを宿した形態として処理されている点も、背景にぴったりはまりこむことを助けているのだろう。
 このまとまりのよさは、しかし、はぐらかされたかのような感触を相殺するどころか、むしろその原因の一つというべきなのかもしれない。人物を型どる輪郭は、いかなる変更も許さないといった厳格さをもって刻まれてはおらず、逆に、その場にあってその場にないとでもいえようか、妙な頼りなさとともにある。それでいて画面全体にすんなり溶けこむのだから、人物たちだけでなく、画面全体が足場を奪われてしまうのだ。
 画面に近づいてみれば、支持体は、光を透かす半透明なものでしかない。実際これらの作品は、ポリエステルのフィルムの上に描かれており、そのフィルムを箱状に折って額にはめてある。そのためフィルムと額の背板は接していない。さらに背板の内側は白塗りで、フィルムをとおった光を反射することになる。このような造りもまた、画面に物としての求心的なまとまりを与えながら、同時に、視線を受けとめるというより、その把捉から逃れようとする性格をもたらしているのだろう。五~六〇センチという視界にすっぽり納まる大きさ、特定のヴェクトルを帯びないほぼ正方形の型、そのほぼ中央に余裕を空けて配されたイメージの位置なども、視線をたやすく集中させながら、たやすさゆえ逆に、受け流してしまう。
 こうした特徴がどこから生じたかをとらえるためには、その制作方法を参照するとわかりやすいかもしれない。まず、名古屋港のある倉庫の壁に等身大の人形を置き、ポーズをとらせる。その手前にポリエステルのシートを張り、そこに映った人形の輪郭を忠実になぞることによって、画面の骨格が決定された。人形は一つなので、人物が二人必要な場合は二段階にわけて制作され、シートを裏返すなどしたという。
 かくのごとき手順はただちに、アルベルティによる透視図作成の記述や、その図解ともいえるデューラーの作例を連想させる。人形による構図の模索やそこでのモンタージュ的な操作は、歴史画の構想に際し用いられてきたものだし、フィルムの半透明性や白地による反射といった仕組みは、十五世紀ネーデルラント絵画の技法を、いささか手を抜いて模型化したかのごとくだ。転写という手続きは、写真のメカニズムはもとより、フレスコ画の制作において下絵を壁面に移す時に利用されたり、スーパーリアリズムが画布に映したスライドをなぞったりした。制作途中を記録した写真からは、デュシャンの大ガラスを思い起こすこともできよう。とまれ、できあがった画面では線遠近法的な空間の図式が強調されているわけではないが、距離をめぐる何らかの問題設定を読みとることはできるかもしれない。
 ただその距離は、空間だけに関わるものではなさそうだ。画面は、生きたモデルを前に写したのでも、想像力によるイメージを表わしたわけでもなく、それらをいったん人形によるポーズに置き換えた、という点で間接的な媒介を経ていることになる。しかしシートに映った人形の輪郭を機械的に転写した点では、即物的とも直接的とも見なしうる。写真同様、忠実な写しとしてイコンであると同時に、輪郭を接触しながらなぞるインデックスでもあるわけだ。それが主観性の排除というだけですまないのは、人形自体、作者の自画像として制作されたとのことで、イメージとモデルとの関係における直接性/間接性の布置は、いっそう錯綜せずにいまい。転写の直接性がイメージの間接性を緩和するわけでも、逆に間接性が直接性に穏当な距離感をもたらしもしない。さまざまなレヴェルでの直接性/間接性が、それぞれ解消されることなく関係を結びあっている、とまとめておくことができるだろうか。最近邦訳されたストイキツァの『絵画の自意識』(岡田温司+松原知生訳、ありな書房、二〇〇一)、とりわけ、アトリエで制作する画家を描いた十七世紀の画面においていかに自己言及的な構造が呈示されたかを綴る、第八草が思いだされるところだ。
 そしてこれら直接性と間接性、即物性と媒介性、同化と疎外の複数でのからみあいが、画面の、一見したまとまりのよさと、まとまりがよいにもかかわらず、あるいはむしろそれゆえにというべきか、手もとからすりぬけるかのような感触に呼応しているのだと、さらにまとめてみることはできるかもしれない。複数の直接性、間接性のはぎまに、視線は幾度も落ちこんでしまうのだ。直接性だの間接性といった論のたて方自体が、いささか心許ない足場にしか基づいていないともいえよう。線遠近法にせよ模倣(ミメーシス)にせよ、主体と客体の二項を対峙させ、その上で主体が世界を整序し、対象を支配したり同一化したり、抑圧したり排除したりするとして、ここでは、そうした主体による視線の活動が、たえずはぐらかされずにいない。しかしそんな風にまとめてみたとたん、イメージの言語への翻訳不可能性といった一般的なレヴェルではなく、より個別的かつ即物的な形で、画面はテーゼからすりぬける。そもそも画面自体から、制作方法やその美術史への参照が読みとれるはずもなく、そこにもーつの隙間が生じていたのだ。

挿図:
設楽和昭
『水底ヲ見ル』
油彩、ポリエステルフィルム 
600×700mm 
2001年
Photo:Hiromu Narita


Cf.
(昇)、「設楽知昭『眠ル私ヲ見ル夢岡(美術)」、『中日新聞』、2001.2.1夕刊

原田真千子、「設楽知昭 名古屋(展評)」、『美術手帖』、no.803、2001.4、p.156
 
蜘蛛の巣と蟻地獄が向かいあう

 吉本作次がコオジオグラギャラリーでの個展(二〇〇〇年十一~十二月)で発表した作品は、強い輪郭で田舎の風景や雲、静物などくっきりしたイメージを描きだすというものだった。続く『AFTER REMISEN ♯2 松岡徹+吉本作次』展(名古屋芸術大学アート&デザインセンター、ギャラリーBE & be、二〇〇一年一~二月)では、同系統の作品やドゥローイング類とともに、以前からの暗い色面で埋められた作品、厚塗りのストロークをきかせた作品が出品されていたが、ここでは前者を主に見ていこう。
 その際、目をひく因子として、三つの相を仮にひきだすことができる。まずもっとも目につくのが、イメージを描きだし、画面を分節する線であろう。次に線と線の間を埋める、褐色系の透明な薄塗り。そして最後が、線と色面からなる画面最表層の下に透けてのぞく、ペンティメント風の線である。
 もとよりこれら三つの因子は、相互に干渉しあって一つ一つの画面を作りあげているわけだが、同時に、仮にであれ三つに分類できるという点に、これらの作品の特性の一つが宿されているようにも思われる。とまれ、順にたどってみよう。
 線はとりあえず、描きだされたイメージを伝達することを、第一の任とするものと映る。伝えるべきイメージをできるかぎり明瞭にするべく、線はある太さを与えられ、あまり肥痩の変化をしめすこともない。そのため線は、それを走らせる手なり身体など、外部からの身ぶりに従属しきることなく、その場に現前しようとしている。イメージの明瞭化に応じて、形態は単純化され、同時に線の腰の強さを失なわないようにか、丸みを帯びる。もってイメージは、時に戯画的とも見える、諧謔味をたたえることになる。
 ただ、線のこれらの特性によってイメージが明快さをもって現われるまさにその時、線は、イメージを伝達するという機能には回収しきれない、なかば自律的な性格を獲得してはいないだろうか。速度や動勢によって解消されることのない太さは、その場に定着し、空間を分節し組織していく。厚塗りの作品のストロークが速さを伝えるとすれば、ここでの線はより遅い。これは、筆を操る手が画面と接触しつつその上を動くという意味での、隣接した外部からの干渉以上に、画面とは不連続に、距離をおいて垂直に対峙する目との関係に重きをおいて、画面が成立していることを物語るのだろう。
 それでいてまた、画面と垂直に離れた目からの働きかけに対し、抵抗しようとする因子も欠けてはいない。これが先にふれた、線の走行の丸みである。大ぶりな線は、たえず内側に回りこもうとしており、しかし線の太さがもたらす慣性によってか、その貫徹にはいたらない。これが逆に、画面にとっては過剰な閉じた形態を、可能性のかぎりではらむことになるのだ。この点はまた後にふれることとしよう。
 さて、褐色系の透明な薄塗りは、線の機能を十全に発揮させるべく、面なり色が突出することを抑えると同時に、画面全体を統一する役割をはたしている。同時に薄塗りの透明感は、見る者の視線を下層に送り届けることにもなる。この点で褐色の薄塗りは、線の層とペンティメント風の層を仲介するとともに、画面と対峙する目によってもたらされる垂直のヴェクトルを延長したものと見なしうるだろう。モノトーンヘの還元と線の強調は、中国文化圏の水墨画を連想させなくもないが、褐色やグレーを主とした透明な薄塗りによる積層という点からして、浮彫り状のヴォリュームを表わさないにもかかわらず、十六世紀から十九世紀前半にかけての西欧の明暗法を参照したものと見なすこともできる。
 目で確認できる最下層にあたるペンティメント風の層が、当初からの意図に基づくのかどうか、また最上層の線とどれだけ呼応しているのかは、画面だけからでは定かではない。ただ、最上層の線からずれつつなかば隠れたそれらの線は、最上層の線が成立するための、さまぎまな可能性のパリンプセスト的な母胎という風に見える。その結果、見る者の視線や、先に仮定した描く者の視線のヴェクトルとは逆に、最下層から上層に向かって生成するヴェクトルが、時間の幅を伴って湧きあがることだろう。もっともこのヴェクトルは、最上層の線の網の目によって歯止めをかけられる。それゆえ最終的には、最上層を界面として、手前に目の位置する層、奥にべンティメント風の層とが向かいあうという、三層からなる空間が、作品の領域として把握されることになる。
 このように重なりあい、なかば透過しあう層状の空間の内に、ペンティメント風のうごめきや、最上層の太い線の網の目、そして同じ線の求心的な丸まりがはらむ過剰さは包みこまれる。ところで、名古屋芸術大学アート&デザインセンターでの二人展に出品された厚塗りのストロークに重点をおいた作品でも、ストロークは、丸みを帯びて地から乖離しようとしていた。そこでは地はそれ以上後退することのない終点であって、ストロークはその手前に位置する。その時ストロークの求心的な丸まりは、地に対しまさに過剰なものとして、切断されかねない。とはいえ、こうした過剰な求心性が上下の層の内に配されるという点では、薄塗りの作品も厚塗りの作品も、基本的な構造を同じくしていると見なすことができるだろう(たとえば『子どもの情景展』〔三重県立美術館、一九九六年四~五月〕に出品されたストローク主体の作品では、画布の上に印刷物がコラージュされ、その上から油彩が施されており、やはり積層構造をしめしていた)。そしてこの構造に、表現が発現する契機があるといえるかもしれない。
 薄塗りの作品においては、過剰な求心性が半透明な積層の内にとりあえずくるみこまれ、厚塗りの作品ではそれが生な形で露出する。こうした点で、薄塗りの作品の方が、まとまりのよさでまさっているように思われる。ただ、ストロークと地との異和に、まとまりのよさに回収しきれぬ可能性を見出す、という視点も想定できなくはない。いずれにせよ過剰さと層との関係に表現の契機があるとすれば、それがいかなる形で呈示されていくかは、様式の如何によらず、今後の展開を待つべきだろう。
挿図:
吉本作次
『供物』
Oil on Canvas
727×727mm 
2000年

Cf.
(昇)、「吉本作次・山口智也展(美術)」、『中日新聞』、2000.11.20夕刊

『AFTER REMISEN #2 松岡徹+吉本作次』図録、名古屋芸術大学アート&デザインセンター、2001

原沢暁子、「吉本作次 名古屋(展評)」、『美術手帖』、no.800、2001.2、p.138
 
いしぎきかつもと
(馬鈴薯愛好家)
 
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