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Lady’s Slipper, no.5, 1996.4, pp.16-19
愛と憎しみのアート・キャバレー第六回(繚乱篇)
荒れ唇、
皮むきゃひりひり
むかねばごわごわ


●岡田修二展 GALLERY MOCA 1995年5月9日~20日
●今村哲 STUDIO EXHIBITION 1995年11月23日~12月17日
●福島正訓展 ウエストベスギャラリーコヅカ 1995年7月17日~22日
●林孝彦展 ギャルリーユマニテ名古屋 1995年12月4日~22日
●1NAZAWA現在・未来展3 イメージの森 稲沢市萩須記念美術館 1995年10月28日~11月26日


石崎勝基


時間系のうえをザワザワとうごめいている葉脈は、
いまではもうほとんどひげ根のうえを覆いつくしていて、
さらにその数は増えてくる一方のようなのだ。
山田正紀、『宝石泥棒Ⅱ』

 
日の丸転じて水玉に - 岡田修二と今村哲の場合

 白い、というか透明な正方形の中央に大きく、紋章のような、虫の頭のような、ドイツ語の鬚文字のような、あるいは何かの機械の部品のようなシルエットがヴェイルを透かしてでもいるのか、浮かびあがるとも消えいくとも受けとれる、そんなパネルが規則正しく二段三段に並べられている。イメージの輪郭ははっきりしたものだ。しかしそれらは色のないシルエットであり、さらに周囲にまといつき、上に重なるガーゼか修正用テープ状のしみゆえ、パネルの表面の向こう側に位置するように見える。同時に、輪郭の明確さは、形が呼びおこす既視感とあいまって、見る者がそのイメージを、ヴェイルを突きぬけてつかみだし、おのれの側へ引きよせようとすることを誘いかけずにはいない。観者の視線のはたらきを一つの因子として組みこんだ上での、イメージの後退と出現との揺れが主題となっているのだろう。
 他方この揺れは、後退なり出現なりのどちらかに重点をおくことなく、平均すればパネルの表面と一致するのだろうが、しかし決して、物として固定することもない。後退であれ出現であれ、そのヴェクトルはパネルと垂直に生じ、観者の目にたどりつく。この垂直性を支えるのは半透明でありモノクロームであることだが、そのため各画面は、あまり重さだの重力を感じさせない。だから一見、見る者の定まった位置を要求してもおかしくないヴェクトルの垂直性と矛盾するはずの、パネルを複数に増殖させることが可能となったのだ。
挿図:
岡田修二
『遅延・束縛・停止』
1995年
195×325cm
顕微鏡写真、フイルム、スコッチテープ、透明水彩・紙


Cf.
『岡田修二 絵画 - 見ることへの問い 滋賀の現代作家展』図録、滋賀県立近代美術館、2003、pp.23-36:「2 〈ノートリアスの日記〉/〈遅延・束縛・停止〉シリーズ」
 
 かつて藤枝晃雄は、〈日の丸構図〉なるものについて語ったことが幾度かある。抽象の成立と展開を、絵というものが画布なり紙なり、平らな面の上で描かれるものであるということを意識せざるをえなくなっていく過程と密接に結びついていると見なす時、非再現的な形を取りあげながら、構図は昔ながらの静物画と変わりないような作品を批判したのだった。他方、分析的キュビスムやポロック、ロスコなどの作品では、画面は平面に近づきながら、平面そのものとは一致しきらぬイリュージョンが残り、そこに何らかの緊張感が生まれたわけだが、ポストペインタリー・アブストラクションからミニマル・アートに至るにつれ、平面性の強調が即物的な物体性を確認せざるをえなくなった時点で、表現の不活性化にいきついてしまったと見なされた。この時、外在的な因子を導入するのではなく、絵なら絵自身の内側から、表現の再建を企てようとする際、たとえば、図と地を分離させることなく、平面から内在的に空間なりイメージを生成させようとする方法が考えられる。もちろん前号でふれたように、こうした問題の立て方自体が誤りだとする見解も出されている。それはともかく、空間なりイメージの内在的生成という場合、生成した空間やイメージは、基本的にもとの平面と連続するものと見なされる。これとは逆に、図と地を意識的に対立させることで、図はもはや地によって支えられず、地自体も何かに支えられてはいないという、たがいの根拠のなさをあばくような亀裂そのものを、物としての平面とは一致しない表現の胚子として逆転させるという方法も立てられなくはない。もとより、方法や形式は質を保証するものではないことはおくにしても、これもまた図と地の二分法に基づく点では変わりなく、さらに、一つの方法に対し別の方法の有効性をあげつらうことは、前号で引いた岡崎乾二郎の批判に耐ええないどころか、単なるスタイルの交替としてしか美術の動きを見ないということ以上ではあるまい。  
 それはさておき、冒頭で見た岡田修二の作品は、図と地の分裂を、画面と垂直に発現するイリュージョンヘ転じようとした作品と見なすことができるだろう。ところで、構図だけとるならば、今村哲の作品もほとんど同じことばで記述できてしまう。にもかかわらず、それぞれが見る者に与える感触はまったく異なっている。これは具体的には、材質や色の用い方によるところが大きい。岡田の場合、透明感とモノクロームによって、イリュージョンの微妙な揺れに焦点があてられているのに対し、今村においては、顔料をワックスで溶いた絵具が、作品を、ある密度と柔らかさをもった厚みのあるものと感じさせることになる。色も、図と地それぞれの組みあわせによって効果は変わるにせよ、いずれ直截に目に訴えかけるのではなく、むしろ内側に潜りこむ。その結果、中央の形は、化石のように厚みのある画面の中に埋もれるのだ。岡田の作品が、観者との距離を前提とする視覚的イリュージョンを核とするならば、今村のそれでは、層の厚みの中で、図と地が隣あって近接する、体内感覚だか触覚的な因子が混入している。岡田の重さの欠如とはことなるが、今村の作品も、その厚みゆえ、観者に対し比較的独立したものとなろうとする一方で、ワックスの半透明さと柔らかさが、重力に完全に支配されることから免れさせることになる。
  
挿図:
今村哲
1995年


Cf.
廣江泰孝、「今村哲 Review : CHŪBU」、『美術手帖』、no.721、1996.3, p.179

「interview 今村哲」、Lady’s Slipper, no.5, 1996.4, p.5:特集「私的美術 - 閉じることのエチカをめぐって」
 
雨降って水玉はじける - 福島正訓と林孝彦の場合

 画面中央に大きく単一の形を配するという点では、福島正訓の作品も同様だ。しかしその印象はまた、相似るとはいいがたい。何よりもまず、色と質感の華やかさ、きらびやかさが目に入ってくることだろう。これは単純に、画面が、金や銀を用いた既成の刺繍によって作られていることによる。くらげだの十字架などを連想させる形の部分は、型を用いてくりぬいたものらしく、地に対しては穴をうがつこととなっている。作品によっては、絵具を加えたものもある。
 既成の刺繍をコラージュするということは、それが画面に加えられる以前から独立してもっていた力を、画面に持ちこむことを意味する。即物的な強さはえられるかもしれないが、作品の統合性はかえって弱めてしまう可能性もあろのだ。ところがこの場合、刺繍という装飾を用いることで、装飾と装飾に覆われた本体が別のものであることをあらわにし、統合的な全体ではなく、複数の要素がたまたま集合したものであるかぎりでの存在感を獲得しえているように思われる。この存在感を保証するためにパネルはある程度の厚みをもたねばならなかったが、厚みはつまるところ、表面の装飾と本体の乖離を、そして覆われた本体の空虚さを意識させずにいまい。その結果、作品はただ快く綺麗なものとしてのみ成立し、それ以上の何も要求しない。中央の形のとぼけた丸みも、軽快な表情にくみしている。
挿図:
福島正訓
1995年


Cf.
福島正訓、「アーティストのほろにがい告白 藝術バカ一代 連載 3」、『Love & Art』、no.2, 1995.9
 「装飾(Parerga 付加物)と呼ばれているもの - 換言すれば、対象の完全な表象に本来の構成要素として内的に属するのではなくて、単なる付加物として外的にのみ属し」云々というよく引かれるカントの一節(1)からもうかがえるように、西欧においては、装飾はしばしば非本質的なつけたしと適され、デザインや工芸ともども、絵画や彫刻などの高級芸術より下位にあるものと見なされたし、後者に〈装飾的〉なる形容をあてはめるのは、多くの場合貶めるニュアンスを帯びていた。充分な資料が手もとにないのできちんとのべることはできないが、一九七〇年代にフェミニズムと交差しつつ起こったパターン・アンド・デコレイション運動は、そうしたヒエラルキアに対する異議申し立てをも兼ねていたらしい。
 とまれ、大芸術の側からの抽象と装飾の峻別を絶対視しないならば、これも紋切り型に堕する危険はあるにせよ、後者に、つけたしであるがゆえに本体との間に開くすきまを顕在化させ、もってタブロー成立の要件である枠どりに対する自在な流動や、基体の表面を相対化する機能をもたせうる可能性は認めることができるかもしれない。
1. カント、篠田英雄訳、『判断力批判』(上)、岩波文庫、1964、110頁。  
 林孝彦の今回の作品でも、装飾性が大きなモメントをしめている。沖縄で集めてきた古い布をコラージュしたというそれらは、布自体がもともともっていた文様に加え、コラージュの配列の仕方も装飾的なパターンにのっとり、さらに、裏からものを押しつけて模様を浮きださせたり、孔をあけて紐をとおしたりして、それが裏のない平面ではなく、表裏もあれば脇もある物体であること、ゆえに増殖することも縮減することも可能であると感じさせることになる。
 とはいえ、福島の作品の軽快な華やかさに比べると、うってかわった沈欝さが支配的だ。これは、素材自体の痛みや古さにあわせ、それをさらに物として扱う操作を課したためである。模様は素材の上につけたされたのではなく、物質の中からひきだされたのだ。にもかかわらず、求心的な枠どりの中におかれた形ではなく、表面を覆っていく文様は、色の力と相まって、規則性ゆえの強さにより物としての劣化に抗し、そこから浮かびだそうとする。古びた布が宿す表情が訴えかける比重がやや大きいにせよ、ここでは模様の浮上によって、布はそれ自体で自足するのではなく、何かを覆うべきものであって、けだし、覆われるそれとは別の存在でしかない皮膜であることを物語るだろう。

  
挿図:
林孝彦
“D-15,Aug.95”
1995年
182.5×242.0cm
ドローイング、コラージュ・パネル


Cf.
『林孝彦展 NEW WORKS』パンフレット、ギャルリーユマニテ東京、ギャルリーユマニテ名古屋、1995
 
まだ森になんかいくんだ - 『イメージの森』展の場合

 展覧会の企画というのはやっかいなもので、これとわかるテーマが見てとれなければ単なる総花展だといわれ、テーマが表に出すぎると、作品を単なる例に貶める権力の発露だと叩かれることになる。もちろんこれに質や新鮮さの問題もからんで、そうしたバランスをとるのはきわめて難しい。さて、岩田勝宏が企画した『イメージの森』展は、「『遠近法』的視点の動揺」(同展カタログ第一巻、五頁)のもとにおける六人の作家の仕事を集めたもので、〈遠近法〉の語には、アルベルティ以来の図法としてのそれから、思考の枠どりというニーチェ的な意味までのひろがりがこめられているようだが、期せずして本稿のここまでで見てきたような〈表面〉の問題に対する、しかし決して一つの傾向に回収されないさまぎまな応答をしめしてくれた点で、好感のもてるものだったといえよう。もとより、会場の広さの制限に対する人数の多さや、その中での部屋割りの配分などに異論をあげることもできようが、たとえば、六人中一人世代的に離れている草間彌生の存在にしても、違和感を感じさせるものではなかった。
Cf.
『1NAZAWA現在・未来展3 イメージの森』図録、稲沢市萩須記念美術館、1995:Vol.1(資料集)、Vol.2(出品作品集)

 遠近法が視点と距離にかかわるものであるなら、視線はその先で何かの表面にぶつかることになる。線遠近法においてはこの表面が透明な窓と見なされ、近世以前、あるいは近代以後においては平面性が強調されると一般にのべられるわけだが、そうした分類を鵜呑みにしない時、奥行きなり平面性の一歩手前、すなわち表面、そして、表面と目との間のへだたりが問題となることもあるだろう。
 箱の中をのぞきこめば、内側にはりめぐらせた鏡が無限に延長する光景を映しだす草間の作品では、さらに、あるモティーフのくりかえしによって増殖した表面が、手前のみならず、裏や内部にまでひろがっていく。のぞき孔の向かいに映る見るものの目は、ふだんならおのれと対象、外と内、表と裏などを区分し、整理するはずの視線が、そうした方位や距離を逆に擾乱に陥れることもあるのだと物語っている。
挿図:
草間彌生
『鏡の部屋 - 愛は永遠に(No.2)』
1964年
170×75×75cm
ミクストメディア(内部);
『イメージの森』展図録 Vol.2、p.8/図8
 
 設楽知昭のたどたどしい筆致でなぞられた、つながりぐあいもよくわからない、しかし何かの生きものの展開図めいた画面を見ていると、描き手と画面が安定した距離をおいて、自在に筆をふるっていくという制作のイメージが崩されはしないだろうか。手と筆は画面にまっすぐ下ろされるどころか、角度もままならず、だから速度をあげるべくもなく、手と画面の距離が変動する中、巨象をなでるしかないかのようだ。メウスの輪のように、目と相対していたはずの表面は、それをなぞっていく内にいつのまにか、裏側をたどっていることだろう。   挿図:
設楽知昭
『絵・ヒト』 1995年
162×130cm
テンペラ・綿布;
『イメージの森』展図録 Vol.2、p.11/図11
 
 設楽の作品が、平面と称されるものが、さまぎまな方位から交わる力にさらされたかりそめの境界面でしかないことを伝えるとすれば、大野左紀子の彫刻は、それが足をしっかり地面につけ、背筋をのばして立つものなどでは毛頭ないことを物語る。皆同じ顔立ちで、内側のからだを感じさせないずんぐりしたコートは、大きさが数種類あることでかえって、大きさはもとより、形にも何の意味もないことを読みとらせずにいない。宮川淳をなぞるなら、芯のない表面とでもいえようか。一九九四年の個展では、文字どおり遠近法的に配置されることで、視点を固定させようとする圧力を感じさせたのが、今回は二つの円に並べられ、さほど息苦しくはない。ただこれは、観念性が自由さへ展開したのではなく、観念性も自由さも互換的でしかないということなのだろう。 挿図:
大野左紀子
『お片付けの片付け方』 1995年
ミクストメディア;
『イメージの森』展図録 Vol.2、p.5/図5
 
 太郎千恵蔵の作品では、先に見た福島の場合同様、既成の装飾的な刺繍が大きな比重で用いられているが、必ずしも成功しているとはいえまい。しかしこの不成功には、留意すべき点がある。福島の作品では、中央の形がうがたれた状態になるため、周囲の刺繍に抵触せず、全体の統合性を損なうことなく一種の華やかさを生みだしていた。これに対し太郎の場谷、刺繍とその下から透ける漫画などによる既成のイメージ、また同じ刺繍でも色のちがう各面は、不協和なまま放りだされている。この不協和が作品のまとまりをそいでいると感じさせるわけだが、他方、調和やまとまりを質的成功と等号で結ぶのは、先号で見たように、必ずしも自明のものではない。わけても装飾が、表面と本体との乖離をこととするのならば、簡単に割り切ることもできなさそうだ。 挿図:
太郎千恵蔵
“Abstract Nude Ⅲ” 
1994年 
144×263cm
アクリル絵具、紙、布、木;
『イメージの森』展図録 Vol.2、p.7/図2
 
 これに対し廣田緑のインスタレーションは、装飾どうしの関係、装飾と空間の関係が、古典的ともいえよう調和を獲得している。色は華やかだが、細かなパーツの連鎖からなるため、必要以上に甲高くならず、枝と枝の間に吊りさげられた布などが横に連鎖していくことで、固定されてしまわない軽快な可動性が生じる。装飾的なバーツはそのすきまゆえ、決して空間を覆いつくしてしまうにはいたらず、空間のすきは装飾をひきたてるという相補的なバランスを、古典的と呼べるだろうか。もって、強迫的にならないかぎりで、空間が祝祭化されるのである。あえて問題というなら、独立した小部屋を与えられることで、装飾による空間の変容が、予定調和的なまとまりに終始してしまった点をあげることができるかもしれない。 挿図:
廣田緑
“DUNIA MIMPI”
1995年
ミグストメディア(部分);
『イメージの森』展図録 Vol.2、p.14/図13
 
 同じことは平林薫の場合にもあてはまる。今回のインスタレーションはきわめて完成度の高いもので、それは、全体がほぼ自のモノトーンに統一されたため、重力の支配から逃れようとする浮揚感をえたことによるところが大きい。しかし完成度の高い分、別の小部屋に分けられたこととあいまって、他の作家の作品から切り離された感がある。これはもとより、主題性を強く読みとらせる平林の作品自体の性格から発したものでもあって、その点では、右手の壁につけられた棚の上の文字が、立体的なヴォリュームを与えられていることも、他の作品の表面性と対照的だった。
 とはいえ、記号としての文字は、つねに外部の何かに対応することを思い起こすなら、ここでも、それ自体で自足するのではなく、別の本体との関係において成立する界面のあり方の一変奏を見出せなくはない。作者は言霊にふれているが、古来さまざまな地域で語られてきた文字の神秘学に応じて、ここでの文字も、あらかじめ定められた意味に縛られたものという以上に、むしろさまぎまな意味を生成させていく種子と見なすこともできよう。
 しかし、無理に一つの理屈に全ての作品を押しこめようというのではない。ただこの展覧会において、ある共通項、すなわち、視覚と距離にもとづく対象化のしくみである遠近法、およびその裏返しの形である平面性の強調がリアリティを喪失した状況下での、それぞれの対処がさまぎまな方へ向かうさまを感じとれたことをもって、一つの収穫と見なしたいまでだった。
挿図:
平林薫
右側:『わたし、あなた(生命の樹、知識の樹)』
1993年
160×170×13cm
ミクストメディア
左側:『神の戸、Ⅱ』
1995年
183×277×13cm
ミクストメディア;
『イメージの森』展図録 Vol.2、p.13/図17, 16, 19
 
(三重県立美術館学芸員)  
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