展覧会が開かれているというので、ピルの一室に足をふみいれてみても、絵や彫刻はおろか、いわゆるインスタレーションとしての空間の演出も見あたらない。部屋はからっぼのまま、昼間で晴れていれば窓から光がさしこんでいるだろう。何これときびすをかえすもよし、何もなくて気持ちがいいと、しばらくベンチに腰をかけていく気になるかもしれない。部屋の以前の状態を知っていれば、中央に以前はなかったはずの角柱がたっており、床が刷毛跡を残しつつ、さほど落差のない白とグレーの市松模様に塗りかえられたことに気づきもしようが、仮に会期後もそのまま残されるのなら、改装ということですんでしまったはずだ。
ここでは、作品が作品でなくともいいという、境界があらわにされているといえようか。案内状を手に展覧会を見にいく、いいかえて、そこに作品があるはずとすでに知っているという前提を思いおこすなら、展覧会、作品、そして美術といった制度が、ずらしこむなり反転されようとしていると考えて、まちがいではあるまい。たとえ作品があるとすでに知っていたとしても、いやおうなく「もし知らなかったらどうだったろう?」と自問せずにはいられないのだ。あるいは、知っていることも、その場に面することではぎとられていくような仕掛け。これは具体的には、空間がからっぼであることによってもたらされた。その点、イヴ・クラインの『空虚』展(一九五八)やハイレッド・センターの『大パノラマ』展(一九六四)と比較することができる。また、天井の梁を床の上にくりかえしたり、壁の塗装を上下反転させるなど、既存の建築空間を、あくまで建築と連続したかたちで観念的に対象化するという、一九八九年以来の栗本の作業とつなぐなら、ここでは建築の一部をモティーフとするのではなく、空間全体のありかたが、きわめて抽象化されたレヴエルで主題にされたと見なせよう。
ただし、この場に現実にたちあった時の印象は、反芸術的な観念性を読みとらせつつも、もっとさりげない感が強い。それは単純にいえば、風とおしのよさに由来している。時間によって窓からの光は変化し、その光はさらに、白い壁や市松の床にはねかえる。反射は垂直におりかえすのではなく、ゆるやかな角度をなし、もって連鎖していくだろう。光の散乱は壁や床の白っぽさとあいまって、空間がからっぽであることを実感させる。戸口からの出入りも自由だ。焦点をなすものが何もないので、内から外、外から内へ、たえざる交通が可能となる。こうした風とおしのよさは、同じく建築、いいかえて枠組みと一体化した空間そのものを主題としながら、徹底的な密封によって死を想起させた、ジャン=ピエール・レイノーの白タイル張りの部屋や近藤勝波のスタジオ(九三年十一月公開、豊田)と対比できよう。
たとえば部屋の四すみとまんなかでは、確実に明るさ、ひいては空間の密度が変化する。中央の柱も、物として孤立するのではなく、この密度の変化、さらにはそれをうけとめる空間に対する座標軸として機能するだろう。部屋の大きさが人間の尺度をこえているだけに、手が届かない分のへだたりは確保される。このへだたりには、焦点となる物がないのだから、さまざまな方向への展開可能性が宿されている。
部屋がからっぼなら、壁に金縁の額絵をかけることもできようし、テーブルをもちこんで会議だかパーティーを開こう。空虚ゆえ、現在・現実にはないが、可能な何かの幻影をうけいれることができる。逆に可能態の多重的仮現をうけいれるためには、空虚でなければならない。
しかしこの部屋は、亡霊の舞踏場として特権化されることからもすりぬけるだろう。膝をそろえ、じつと凝視して幻が明滅するのを待つ必要など強いられず、むしろ、目のすみを何かがかすめるのに、あるいは耳のすみの響きに気づけばよい。また、制度論的な視点からすれば、中央の柱はない方が徹底するのではないかと問うてみて、否というのではなく、然り、しかしあってもいいと答えることもできるはずだ。二項のどちらかに回収されるのではなく、なくともいい/あってもいいの境界線上を跳びはねるのである。
栗本のこれまでの作業は、先にふれたように建築空間に対する観念的な操作を基軸としたものであるため、つねに、トリックで終わる危険がつきまとう。だからこそ、観念的な次元にとどまるのではなく、作者のいう〈気配〉をたちのぼらせるべく展開されてきた。この〈気配〉は具体的には、操作を加えられた床や壁にはさまれた中空に発生するだろう。その点筆者の実見した範囲内では、一九九〇年の"the
wall"が、もっとも成功していたように思われる。そこでは光と浮揚感にみちた空間が成立し、訪れた人も虚像としか感じられなくなる。また九二年の"Naked
wall"(→こちらを参照)は、部屋の内側にとどまらず、内と外との関係に対し操作を施していた。
九三年五月の"the loft”では、屋根裏部屋という出発点をえることで、前提となった空間と加えられた操作が区別しがたいほどの統合性がもたらされた。天井の低い、比較的手狭な部屋で、斜め天井が床にくりかえされる。斜めになった床と壁の境に近づくと、のばせば天井に手が届くだろう。この時まず、床の端に立った時と中央に立った時で、床が連続しているため、空間が伸縮するかのような可塑性が生じる。さらに、床が斜めで、部屋の断面が六角形となるので、重力のはたらきが不安定になり、空間全体が回転するかのような喚起力が発生するのだ。重力が全方向にはたらくといってもいい。部屋の手狭さと統合性はまた、そこに胎内の隠喩を読みとることを許すだろう。
七〜八月の"the column"はある意味で、"the loft"における空間の統合性を、作品としてのありかたが既存の空間に吸収されるまでに高めることで成立したといえるかもしれない。その因子となったのは、柱という、垂直にのびるモティーフだろう。"the
loft"もふくめ、八九年の"the ceiling"以来の仕事は、上と下、天と地をひっくりかえしたり併置したりすることが多かった。これに対し"the
column"では、天地を逆転させた時ほど操作の痕跡は読みとりやすくはなくなり、その分日常的な生活空間に接近する。それがかえって、制度論的な観念性や、「ふだん気づかないものごとに気づかせる」云々の認識論的な機能をふくみつつ、それらを正面きって主張するというより、軽く流してしまうようなさりげなさを獲得させたのだろう。もとより、作品が作品でなくともいいといいうるとすれば、制作という観点からみるかぎり、ほとんど展開しえないのではないかという、ぎりぎりの作業であるほかはあるまい。しかしだからこそ、内と外、それらの境界が保たれつつ、自在にいききできるような空間が成立したのである。そして部屋の中で明滅した幻影は、部屋の空間そのもの、さらに部屋の外にひろがる世界をも幻にしてしまう。
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