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『版の思考・版の手法 2004』展図録、
現代版画NAGOYA版の思考・版の手法2004展実行委員会、
2004.11.30-12.5(愛知県美術館ギャラリー)
 
版の裏の散歩者

石崎勝基
 

 一九九〇年前後、版画に焦点を当てる一連の展覧会が開かれたことがあった*。これらの展覧会は、ジャンルとしての版画がもはやそれだけで自足しえなくなったという認識に立ち、いわゆる現代美術の領域とつきあわせることで、一方で版画固有のあり方を再考しようとしつつ、同時に、版画と他のジャンル、とりわけ写真との交差を大きな軸としていた。
 それから十数年、美術そのものの相対性が自明のものと化した中で、版画もまた、数ある技法の一つという以上の権利は請求できなくなっている。ジャンルや技法といった上位概念によっては何も保証されえない、ある意味であたりまえの状況において、しかし、それでも個々の作品は制作されつづける。そしてその際、他の諸技術に囲繞されるかぎりでの版画の固有性を不問に付すわけにいかないという点は、いまだ変わっていないはずだ。
 視覚情報を流通させる手段として成立した版画は、当初から他技術との交配に垣根が低かった。近世においては素描や彫刻、近代以降なら写真、コラージュ、そして画像のデジタル処理などと、親縁性とズレとの双方を抱えつつ版画は展開してきた。加えて版画の特性として指摘される間接性と複数性、さらに転写や反転といった特徴は、版画においては一点の作品が成立するに際して、つねにいくつかの他者が内包されずにいないことを物語っている。他者の介在とはいいかえれば、制作過程において、他者なり異物どうし、あるいは作者や最終的な表現との間に、不連続な距離が開くことを意味する。そしてこの距離は、時間に応じ空間に応じさまざまに伸縮する。この距離の伸縮のありようが、個々の作品の表情、そして作品と外部との関係を規定すると考えることができるかもしれない。
 今回の出品者十名の作風を見渡すなら、決して一くくりにはできないにせよ、実際に写真なりデジタル技術を用いるかいなかとは別に、写真的な視覚が浸透しているように思われる。細かな部分まで均一に焦点があわされることで精緻なイメージを現われさせつつ、そのイメージは、いわゆる現実の存在とは異なり重量感や求心性が稀薄で、精緻であるがゆえの浮揚感を漂わせている。しかしそれはまた、たとえばシュルレアリスムのように現実を垂直に超え出ようとするよりは、この現実といわば隣りあう、あるいは斜めに位置するようなイリュージョンとでもいえるだろうか。こうしたイリュージョンが現実に対してとる関係に、先述の距離の伸縮の諸相を読みとれるかもしれない。
 しかし以上は、抽象化された理屈にすぎまい。理屈からはみだして個々の作品がどんな表情をしめすのか、この点は具体的な展示の現場に待つこととしよう。

*『版から/版へ』(京都市美術館、1989.11)、『写真による現代版画』(滋賀県立近代美術館、1990.1)、『トリアス 第三部 拡“大”する版』(横浜市民ギャラリー、1990.11)、『観念の刻印』(栃木県立美術館、1990.11)、『マニエラの交叉点』(町田市立国際版画美術館、1991.4)など

 
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