藤島武二《カンピドリオのあたり(右幅)》1919

藤島武二 (1867-1943)
《カンピドリオのあたり(右幅)》
1919(大正8)年
油彩・キャンヴァス
188.0×94.4cm
大阪市立近代美術館建設準備室

FUJISHIMA Takeji
Around Campidoglio (right wing)
1919
Oil on canvas
188.0×94.4cm
Osaka City Museum of Modern Art

Cf., 『近代洋画の巨匠 藤島武二展 生誕120年記念』図録、京都市美術館、1987、cat.no.65

『アサヒグラフ別冊 美術特集 日本編65 藤島武二』、朝日新聞社、1990.11、図41、p.90(作品解説:東俊郎)

『藤島武二展』図録、ブリヂストン美術館、石橋美術館、2002、pp.64-65 / cat.no.66。

『藤島武二・岡田三郎助展』図録、そごう美術館、三重県立美術館、ひろしま美術館、2011、pp.68-69 / cat.no.F-32。


 この作品については、
『三重県立美術館ニュース 2011/09/23 第138号』(メールマガジン;まぐまぐのサイト)中の
「カルトクイズ 第133回 回答」でも触れたことがあります。


追補 「2019年4月15日より無料バックナンバーの公開を停止しております」とのことでリンク切れなので、以下に転載しておきましょう。この記事のネタである上掲の『藤島武二・岡田三郎助展』については→こちらを参照 [ < 三重県立美術館のサイト ];

三重県立美術館 カルトクイズ 第133回  回答

前回の問題はこちら ⇒

福田繁雄大回顧展が日曜日に終幕、撤収作業と入れ替わりに次の展示作業が現在まっさいいちゅうですが、いよいよ明日から藤島武二・岡田三郎助展が開幕となります。
 さて、第133号に問題、134号に答えを掲載したカルトクイズ第129回と同じような問いですが、福田展、現在も開催中の第2期常設展示、そして藤島岡田展をとおして関連づけられなくもない作品があります。これはどの作品でしょうか?

答え ⇒ ポスター ; 岡田三郎助《むらさきのしらべ》、《窓》、《丸善インキポスター》
      階段 ; 藤島武二《カンピドリオのあたり》右幅(1919年)

第129回とこれは、まったく同じ答えなのでした。

 《むらさきのしらべ》(1909/明治42年)は、油絵を原画にしたもので、長原孝太郎《第9回白馬会展ポスター》(1904/明治37年)に比べてもポスターらしい興趣に富むとはいいがたいかもしれませんが、三越の宣伝のために用いられ、後の橋口五葉(1911/明治44年)や杉浦非水(1914/大正3年)の先駆けをなしたという点で、日本のポスター史に重要な位置を占めています(たとえば中井幸一、『日本広告表現技術史』、玄光社、1991、pp.134-137、139-145など参照)。

 また本展には、藤島武二による装幀本や岡田が蒐集した工芸品も出品されており、当時の画家たちと図案・工芸との関係を考えるための興味深い材料を提供してくれています。

 他方、ソトや福田繁雄の階段は立体でしたが、階段というモティーフは西洋絵画史においてはしばしば〈マリアの宮詣で〉という主題などに伴って、とりわけ線遠近法が確立したルネサンス以降、興味深い作例を残してきました。そんな中この画面は、幾何学的な骨組みを特色とする階段を、色彩表現によって描きだそうとしたという点で、特異な例となっているのではないでしょうか。

 画面を前にすれば、階段部分は、明るい紫がかった褐色をざっと引いたその上から、明るい緑を、間を置いて横に塗っていくことによって描かれています。階段の上の方に登ると白が光のあたった部分を表わし、さらにその上は暗緑色の緑による影に沈む。踊り場の下方では蹴込みに褐色の強い筆致が縦に加えられる。ともあれ階段を表わすのに、同系色の明暗対比ですむところを、紫がかった褐色と明るい緑の帯の交替に置き換えようとしているわけで、これはあまり類例がないような気がします。

 もっとも階段の右端部分や下方を見れば、段々の輪郭が暗い色の線でおさえられており、色面だけで画面を作りあげているわけではもうとうなく、むしろ、色彩表現と幾何学的な構成とのせめぎあいこそが、この作品の興味深い核心といえるでしょう。

 たとえば、左手の斜めになった建物の壁は、異様なほど斜めに傾いています。対するに階段をはさんだ右側の壁は、えらく真っ平らに迫りだしています(この壁の上の建物はまた、斜めになっているのですが)。左に斜め、右に正面向きという構成は、対になる左幅でも採用されていますが、正面向きの壁が奥にひっこんでいる左幅が比較的自然に見えるのに対し、右幅では前に出てきているため、斜めになった部分との対比が強調されずにいません。
 右の壁では明るい茶色、やや暗い茶色、明るい緑の短い斜めの筆致がリズミカルに置かれ、対するに左の壁は下方では暗青色、上半では明るい茶色や緑を中心に、長い縦の筆致で荒々しく描かれています。これは階段が順々に奥へ後退するのを、両側から支える役割をはたすと同時に、拮抗しあってもいるのでしょう。

 また、緑、明るい茶色、紫がかった茶色が反響しあう主要部分と対比される、奥の白っぽい建物(ヴェロネーゼが連想されます)と空のあざやかな青も、画面を息づかせるのに重要な役割をはたしています。

 主題はまったく異なりますが、縞状に配された色彩、斜線を軸にした構成、そして筆触が織りなす画面づくりという点で、《うつつ》(1913年)と比べることもできるかもしれません。

 斜め構図ではありませんが、《大川端残雪》(1917年頃)にもご注目ください。上下を陸ではさんだ水面を色のひろがりとして表わすという構図は、セザンヌの《レスタックから見たマルセイユ湾》(1886年頃、シカゴ美術研究所)を連想させます(セザンヌは斜線を活用し、藤島のこの画面は上下の縁に平行な帯状の構図なのですが)。
 それはともかく、二つの陸部分で、雪の白と暗褐色の輪郭線が強い筆致で、絵具を厚くすくって描かれているのに対し(与謝蕪村の《夜色楼台図》を思いださせたりもします)、空と水面は対照的に、きわめて薄塗りで描かれています。その分、陸は画面中に占める面積が小さく、空と水面は広い。これは面積のバランスをとるだけでなく、陸の雪景の存在感を鋭く感じさせると同時に、空と水面の茫漠たるひろがりを透明な色彩で表わすことにも寄与しているのでしょう。
 空は右端では青が、左方では赤みが微妙に混ざりつつ、右上がりに掃かれて空気の動きを感じさせる一方、水面はややくすんだ明るい緑が、水平方向に明暗のむらを宿しつつひろがっており、そのため空よりは重さが感じられる。左の舟と左端の岸辺の建物(?)の青が、アクセントとなっています。《カンピドリオのあたり》右幅における空の青が担う役割と比べてみてください。



 なお、別の作品についてですが、三重県立美術館のサイト中の所蔵品頁より藤島についての旧稿;

藤島武二、《浜辺》、1898(明治31)年(1988.10.15)


藤島武二、《朝鮮風景》、1913(大正2)年(1990.2.25)

 また→こちら(藤島武二《大王岬に打ち寄せる怒濤》(三重版)(1932)の頁)、またそちら(同広島版の頁)も参照
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