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Lady's Slipper, no.3, 1995.7.9, pp.12-15

植民地主義観光客の西方見聞録
愛と憎しみのアート・キャバレー 第四回(流謫篇)

石崎勝基
Comentario sobre Europa 1994, 1994.12.20〜'95.2.15, Palau Scala, Valencia
Cocido y crudo, 1994.12.14〜'95.3.6, Museo National Centro de Arte Reina Sofia, Madrid
Robert Irwin, 1995.2.7〜4.10, Museo National Centro de Arte Reina Sofia, Madrid
Melotti, 1994.12.16〜'95.1.29, IVAM Centre Julio Gonzalez, Valencia
Mark di Suvero, 1994.12.16〜'95.3.19, IVAM Centre Julio Gonzalez, Valencia
Miquel Barceló 1984-1994, 1995.2.2〜4.23, IVAM Centre del Carme, Valencia
Susana Solano, 1995.1.27〜3, Galeria Luis Adelantado, Valencia
南方火爲赤色□□□□□
 『五行大義』十四の一

荒野の幻影城


 スペインに飛行機でいくことがあるとして、窓側の席にすわれて天気が晴れていたならしめたものです。窓からの眺めに一見の価値があることは保証します。まず、土が赤い。くわえて、その土がずいぶん堅い感じがするのです。堅さの分、川などが走っていると、彫りは深く鋭くなる。あれがピレネーなのでしょう、北から出発して、頭に雪をかぶった山なみをこえると、ずっとそんな景色が続きます。高い山などの起伏はそんなに大きくないのですが、逆に、地面全体がせりあがってくるようで、それがぎしぎしときしみそうな堅さと鋭いエッジで迫ってくるさまは、なかなかすごいものです。
 たとえばタピエスをはじめとするスペインのアンフォルメルを思いうかべると、しばしば真っ黒けで、きつい表情をたたえたそれらの作品は、ある木枠があったとして、そこにすんなり入る以上の土や泥をぎゅうぎゅうと押しこめ、こてで表面をあらっぽく何度かたたいた後、こての角か尻で傷をつけたらできたもの、という風にたとえることができるかもしれません。この場合、単に土や泥をつめこんだだけではなくて、あらかじめ定まった枠があるというところが味噌で、この枠に抑えられるから土や泥がますますうなりをあげるわけです。それはともかく、こうしたスペイン・アンフォルメルの性格は、先ほど見たような風土から生まれたんだといわれたら、思わず納得してしまいそうな気がします。作品をそれが生まれた環境や条件、つまり作者だの文化だの時代、地域に結びつけて説明するというのは、あまりやりたくないんですが。
 というのも、ああいった風土は別にスペインにしかないというものでもないでしょうし、それ以上に、今の説明の仕方の背景には、エル・グレコや後期のゴヤなど、やはりしばしば色がなく、表情のきつい作風とつなげて、スペイン美術の特徴をまとめてしまおうという下心がのぞいています。スペイン:闘牛、フラメンコ、情熱の国=日本:フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ。ちょうど日本美術の特徴を装飾的、工芸的、表面的でまとめるのと同じようなもので、そうした部分がないとはいわないまでも、それで全部ひっくくろうとするのは、やはり乱暴というものでしょう。
 とまれスペインはバレンシアに二ヶ月半もいて、一番印象に残ったのが飛行機からの眺めだったといったら、はたかれるでしょうか。もちろん地面に降りてからだってそうした景色に会うことはできます。街中から郊外に出れば、巨大な山城のように見える岩山だの、岩山のように見える山城だのを見かけることもあるでしょう。思わず『荒野の…』と題して、マカロニ・ウェスタンを撮影したくなるというものです。少し脇道にそれれば、廃屋か、見捨てられた小さな村に出くわすかもしれません。やはり赤みを帯びた石を積みあげて作られ、天井はすでに落ちていても大きなアーチが残っていたりするそれらの家は、しばしば山の斜面にへばりつくようにかたまっているせいもあって、山の隆起から自然に生まれてきたかのようです。晴れ渡った空の下であっても、怪奇映画を撮りたくなろうものでしょう。知人に写真を見せると、「スコットランドでやはり廃墟をいくつか訪れたことがあるけれど、石組みがもっと規則的だった。でもこのでたらめさには味がある」とのことでした。ただし、うっかり寄りかかったりすると、がらがらと崩れることもあるので注意しましょう。



Argelita 1995/03/12(1_14)
Cierto pueblo abandonado
さすらいの回廊学

  さて、風景に感激してばかりで、美術のことなんか忘れていたわけではありません。二月のマドリーでは、毎年ARCOという大規模なアート・フェアーが開かれます。もっともアート・フェアーなるものについては、あまりしゃべりようもないのですが。ただ、街中いたるところにポスターがはってあり、土砂降りの日曜日、入場券を買うのに傘をさして十分ほど並ばなきゃいけなかった点をとらえて、かの地ではいわゆる現代美術が根づいているといえるのかどうか。また、最初にふれたような、素材の物質性にしゃべらせようとする、スペインの作家の絵がまだまだ目につきました。これはかつてのアンフォルメル期だけでなく、後でふれますが、一九八〇年代になってから登場した動きでもあります。とはいえそうした作品が見られたのは、売りものを出さなきゃいけないフェアーという性格によるところがあるのかもしれません。別の場所では今風の企画も催されていました。
 一つはバレンシアのパラウ・スカラで開かれていた『ヨーロッパをめぐる註釈 1994』展で、もう一つはマドリーのレイナ・ソフィア国立美術館での『調理ずみとなまもの
Cocido y crudo』展、いずれもいわゆるコンセプチュアルな傾向の作家が選ばれています。ロラン・エギイの企画になる前者は、規模はさほど大きくありませんが、ボルタンスキー、レベッカ・ホーン、ナム・ジュン・パイク、パラディーノ、ハイム・スタインバック他、有名どころが顔をそろえていました。もっともざっとまわった後の印象は、これがヨーロッパじゃヨーロッパが泣くぜといった感じで、回転ドアのように鏡を交差させたピストレットの作品が多少面白かったぐらいでしょうか。
 ダン・キャメロンの企画による後者には、より若い世代の作家が選ばれていて、ごぞんじ宮島達男や森村泰昌、徐冰といった顔ぶれも見受けられます。ほとんどの作家がいわゆるインスタレーションの形式で、社会的な、あるいは文化上の制度などが主題として扱われていました。前者に比べれば楽しめましたが、これは、作品がもう一つでもそれを展示する建物の空間がしっかりしていればそれなりにさまになったりするという、何を今さらといわれそうな要因によるところが大きいようです。ただ、いざ作品のできなるものをもちだすなら、主題だの意図は露骨なぐらいにわかっても、それを目で見ていい作品と思えるものはなかなかなかったといわざるをえません。何らかの社会的なテーマを前面に出したとして、主題が形式以上に声高にしゃべってしまう時、その主題が批判しようとしたはずの支配なり抑圧の構造が、形式に対する主題の支配ないし抑圧としてくりかえされてしまい、しかもそれがあらかじめ向きの定まった倫理を建て前にするだけにいっそう息苦しく感じられるという、これも今さらながらの罠にしばしば陥っているようなのです(ただし、形式、つまり目で見えるその見えようとよしあし、すなわち質とは別ものですが)。展示室の壁に本棚と体操用の梯子を並べることで、もともとの部屋の空間と、インスタレーションが見分けがたいほど一つになっていたスヴェトラナ・コピスティアンスキーの作品、使い古した扉や窓が暗示する空間の方向を、やはり展示室の空間と一致させ、さらに家具が宿している時間の堆積が重ねあわされたドリス・サルセドの、感傷的といえなくもない作品あたりが説得力があったかなあといったところでしょう。たまたま見かけたある展評は、さんざんけなした後、「問題は、ここには芸術作品がきわめて少ないということなのだ」と、どこかで聞いたようなセリフで結んでいました(
Rosa Olivares,‘El mayor espectaculo del mundo’, Lápiz, no.108, 1995, p.50. ちなみに同展評によると、この展覧会の唯一の功績は、レイナ・ソフィア国立美術館がはじめて、評価の定まった作家ではなく、同時代の動きを企画としてとりあげたことにあるとのことで、向こうでもそんなものかと、安心してもしようがないのですが)。
 もともと病院として設計された古い建物を再利用した同じレイナ・ソフィア国立美術館で同時期開かれていたロバート・アーウィン展におけるインスタレーションでは、どっしりした建築の空間がいっそううまくいかされていました。舞台は五〇メートルはありそうな、中庭をめぐる一階の回廊、この回廊の幅を三等分するように半透明な幕をかけたもので、だから三本の細長い道が横にならぶことになります。中庭側の窓のある位置では幕にも窓が開けられ、光がさす時にはもともとの壁まで届くわけです。ちょうど真ん中の位置には、回廊にそった展示室につづく開口部があり、展示室を横切った突きあたりは少し奥まっていて、そこに薄紫の鏡がしかけてありました。
 回廊ということは本来それ自体が目的ではなくて、どこかへ導くための空間なわけです。それが幕のせいでぼんやりした光にみたされるように感じられる。写真は撮れなかったのですが、天井高も五メートルはありそうな、そんな空間がずっとのびている中をうろうろしていると、この世ではないどこかに辿りついてしまいそうな気になってきます。ただし回廊自体はあくまで途中であって、どこかに着いてしまったわけではない。だからいっそう、いきそうな、という感じのまま放りだされるわけです。幻想映画を撮るのにもってこいというほかはありません。この場合、建物がもともともっている空間をさえぎるような斜線などが使われず、壁に平行で垂直な要素だけを用いたので、空間が空間としていかせたのでしょう。


Doris Salcedo,
“La Casa Viuda X”,
1994
傷だらけの降霊会

 バレンシアにはIVAMという現代美術館があって、いろいろな展覧会を同時に何本もやっていたりするのですが、たとえば一月には、ジェルマーノ・チェラントの企画でファウスト・メロッティという人の回顧展が開かれていました。この人はもう亡くなっていて、フォンタナとほぼ同世代のイタリアの彫刻家です。デ・キリコなど形而上絵画の気分に近くて、白い粘土で作った家の模型のような作品や、ふにゃふにゃした針金のおもちゃのような作品が多いのですが、これがなかなか雰囲気がある。ジョゼフ・コーネルなんかとも比べられそうですが、もっと頼りない感じです。これは粘土だの針金といった素材の柔らかさが、作品全体にしみとおっているからでしょう。この柔らかさ、頼りなさは、一種のノスタルジーにもつながっています。そんなのが好きだといったら、センティメンタルなのねといわれそうですし、そういわれてしまえば、かつての少女漫画や今でいうシンフォニック・ロックのもと愛好家としてはぐっとつまるほかありません。でも、ちょうど同時期同じIVAMの別の展示室で開かれていたマーク・ディ・スヴェロの回顧展と比べれば、やっぱりあっちの方がいいやと思ってしまうのでした。
 ディ・スヴェロの作品は、たしかによくまとまっているし、迫力もあれば爽快感のようなものもあじわわせてくれるのですが、この爽快感というやつが、すかっとさわやかはいさようなら。廃材だの曲線も使われてはいますが、基本は骨太の直線で、しかもそれが水平垂直ではなく、斜めにおかれます。ごつい斜線にのっかって、すこーんと向こうに抜けることができて気持ちはいいのですが、抜けてしまえば終わりともいえるでしょう。メロッティのふにゃふにゃした分、その場でよどんでしまう感じをヨーロッパ的、ディ・スヴェロの健康優良さをアメリカ的と思わずいってしまいたくなりますが、しかしこれも偏見というものでしょうからやめておきます。アメリカにだってポオだのラヴクラフトはいるんだから。


Fausto Melotti,
“La balancoire aux violettes”,
1963


Mark di Suvero,
“Are Years What?
For Marianne Moore”,
1967
泥まみれの決闘

 IVAMにはメロッティ展やディ・スヴェロ展が開かれていたフリオ・ゴンサーレス・センターの他に、修道院の建物を再利用した会場があって、そちらではブラジルのシルド・メイレレスというコンセプチュアルな傾向の作家の個展と、スペインのミケル・バルセローの回顧展が開かれていました。ここではバルセローの話をしましょう。
 最初にふれたように、タピエスだのサウラといった連中が出てきたアンフォルメル期は、たしかに戦後スペイン美術の一つのピークだったと見なせますが、もちろんそれ以後美術の分野での活動がまったく下火になってしまったわけではありません。ポップ・アートだのコンセプチュアル・アートにあたる活動、ロペス・ガルシアらのレアリスムなど、いろいろな動きがありました。ただ、国際的な業界で再び大きな注目を集めたのは、一九八〇年代、いわゆるニュー・ペインティングなり新表現主義の波に乗るようにして登場した若手の画家たちでした。シシリアやブロトとともに、バルセローはその代表格の一人です。
 一九八〇年代前半の彼の作品は、自画像など私的なイメージを軸に、霊感や創作の過程を表わすらしい主題と、それに応じたダイナミックな構図と多彩な色によって、典型的な新表現主義に属すると、とりあえずいってよいでしょう。ただその場合でも、華やかな色が使われながら、決してけばけばしい感じは与えません。これは、しばしばコラージュを交えた、土壁のように厚い塗りの質感によって色の輝きがおさえられるためでしょう。しかもこうした質感は、ティントレットを連想させる対角線構図によって(
Enrique Juncosa,‘De Rerum Natura’,Catálogo de la exposición, p.11-12)、空間の密度の濃さを感じさせる流動感を画面全体にもたらしています。
 八〇年代後半になると、構図の動きや色の多さは削られ、とりわけ白のモノトーンで、石ころがばらつく地面を見おろした画面などが描かれるようになります。その表情は沈んだ静かなものです。ただその白は、空間のふくらみとつややかさのような感じをはらんでいます。彼の作品はつねに、薄塗りによるひろがりと厚塗りの盛上げとの落差や交渉によって形作られるようなのです。この関係がうまくいかないと、失敗してしまうのですが。
 九〇年代に入ってからは、色や動きが復活し、面白い作品もないわけではないのですが、とりわけ近年の支持体をたわませたような作品は、成功しているとはいえないようです。


Miquel Barceló,
“La traversia del desert”,
1988
悲しみの国境線

 今回の回顧展がバルセローの最良の作品を集めているかどうかはわかりませんが、その点をおいても、今から見ると八〇年代のスペインでは、絵以上に彫刻が面白かったようです。その代表格の一人、スサナ・ソラーノの個展がバレンシアで開かれていて、これは実際とても魅力的でした(挿図は別の作品)。
 一見してそれは、どこかの工事現場の囲いのように映るかもしれません。トロッコみたいなのもある。形は四角が基本で、そっけないものなのですが、幾何学的抽象とかミニマル・アートといった中性的な感じではなくて、つねに何らかの表情をたたえているのです。これはスペイン戦後彫刻の基礎を築いた作家の一人ホルヘ・オテイサの作品などにも共通する点なのですが、オテイサの硬質さとちがってソラーノの場合、薄い鉄板や金網がへなへなしていて、視線をはじきかえしてしまわないことによるのでしょう(今回の個展では、蝋や写真も用いられていました)。それでいて、メロッティなんかに比べると、へなへながもたらす表情というのはけっこうきつい感じです。これは今度は、四角のそっけなさが素材のへなへなをひきもどして、その場にとどめてしまうわけです。四角とへなへなのだましあいは、結局、形でも材料でもない何かをそこに宿らせます。といってそれは、囲いや金網に区切られる空間ともいいきれない。空間はもちろんあるんだけど、ただひろがっているんじゃなくて、形のそっけなさや材料の金属なのにへなへなしているといった性格に染められているのです。
 この染まりようは、形や材質、空間を別々のものとしてではなく、たがいに関連しあって何らかの機能をはたすものとして意識させる。しかも染まってるんだから、それは目で見てどうこうというより、囲うとか密封するとか、何らかの、何なら社会的といってもいい、しかし特定はできない意味というか意味のはたらき方を読みこみたくなってしまうのでした。


Susana Solano,
“No te pases, con la escalera
de emergencia”,
1989.
追記;この時のスペイン行については、こちらも参照→
20世紀後半のスペイン美術とバレンシアの作家たちをめぐる覚書− スペインの城をさがそうU』、1994年度三重県職員バレンシア州政府派遣事業報告書、1996.11 (三重県立美術館のサイト)

また、→バレンシア近郊の廃屋など(1985)おまけ
  
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