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天花寺又一郎展展評二篇 - 追悼に代えて

 2019年9月16日、天花寺又一郎(以下敬称略)が亡くなったと元の同僚が報せてくれました。1944年生まれ、享年75歳。
 最後に会ったのはおそらく2018年2月2日、 三重県立美術館県民ギャラリーでの個展の際で、その折りにはいたって元気と見えました。この個展は回顧展的な性格のものだったのですが、知らせを受ける少し前に10月の個展の案内状が届いた時は、変わらず頑張っているんだとかと思っていただけに、いたく驚いたものです。不慮の事故とのことでした。
 個展の会場で会うくらいではありましたが、最近何か面白い本は読んだかといった話を何度かした憶えがあります。また自転車で走っている時、自動車から呼びかけられたことが少なくとも二~三度ありました。
 作品について書く機会があったのは二度だけですが、思い起こすための手がかりくらいにはなりはしないものかと、下に再録して追悼に代えたく思います。

 2019/11/3
天花寺又一郎個展 C&D、vol.23 no.87、1990/7/1、pp.7-8
天花寺又一郎展(美術) 『朝日新聞』名古屋版、1991/10/12(夕)
C&D、vol.23 no.87、1990/7/1、pp.7-8
「美術批評」(木方幹人と共同担当)より

天花寺又一郎個展

『天花寺又一郎個展』、三重画廊、津、1990/4/3-4/8

 一見して、画面を作りなす要素の数がずいぶん多い、というのがとりあえずの印象だろうか。青、あるいは明るい褐色の線が、自在に走り回る。線の下には、明度を異にした形態がそこここに散在し、白地も地塗りのままではなく、その下にあった線だか面だかをいったん埋めている。これを混乱と呼ぶか、ノイズの多さと見なすか。制作行為を平面の構造と一致させ、もって客体としての全一性を表現の強度となすべく、平面の構造に抵触する要素を排除していった、カラーフィールド・ペインティングからミニマル・アートにいたる系譜の理念からすれば、収拾のつけようもない錯乱と見なされざるをえまい。
 たとえば線 - その走り方、カーヴの度合い、まっすぐのびる距離などに、画面の縁や角、対角線と関連づけようとする意図は認めがたい。その分、斜めに走るときも、奥行きへの後退を感じさせることはなく、画面の平面性に応じてはいる。しかし、一方向に進んでいた線が、急に折れて、くるくると回ることはしばしばで、ときに籠状をなす。ある線をなぞるように、何度も重なることもある。ただ、それらは決して形として閉じはしない。ためにかえって、平面の枠からはみでんとする、線ひく手の力の充溢を読みとらせるだろう。
 しばしばこれらの線の下にあると見えるいくつかの形態も、ときに線から移行するものもあるにせよ、その多くは、線の走行と関連づけることはできない。マティエールの稠密さゆえ、形態であると同時に色面でもあるそれらは、互いどうしないし線を秩序づけるどころか、弧のふくらみがぶつかりあうことで、むしろ斥力を働かせているように見えるのである。
 そしてこの斥力こそが、一見雑然とした画面に、表現としての芯をもたらすものにほかなるまい。斥力が力として働くために、線なり色面なりが、それなりの独立性を保っていなければならないわけだ。かくして、たとえば晩年のモネにおいて、連続する色面が、画面の外に自然にひろがっていこうとしたのとは異なり、ここでは、各要素の独自性と斥力との緊張のうちに、拡散というよりは、拡散以前の、膨張せんとする渾沌の胎動が現出することになる。
 拡散を斥力の働きたらしめているのが、平面上での組織化ではないとすれば、それに与っているのは何だろうか。天花寺が好んで用いる青は、それでなくとも、消え去り後退することでおのれを主張する色である。そのため青の安易な使用は、色としての特性と物質としての定着のはざまで、作品の実在感を失なうか、工芸化してしまうことが少なくない。対するにここでは、まず、ある太さをもって独立を保ちつつ、線の縁がにじむかのような、水性とも見える絵具が調合されている。このにじみは、地に対してかえって、浮き出るかのような、さらには発光するかのような効果をもたらしている。気ままに動くと見える線は、地への垂直のヴェクトルによって定位されているのだ。動きの自在さと地への垂直性とは、本来矛盾するものであろう。この矛盾のため、線は、おのれの運動にも図としての地への関係にも保証されぬまま、保証がないことの強さを獲得する。
 色面も、鈍く稠密な質感をもって定着し、ゆえに逆に、その縁は雲のように伸縮している。色材全般に、顔料の粒子が露出した、岩絵具風の処理が認められる。
 さらに、下層に色を塗りこめた白は、上に線や面をのせるだけの地にとどまらず、いわんや、全体を虚なり空なりに溶かしこんでしまう〈間〉などではない。下層の色をつぶしたという履歴を経たそれは、自身ひとつの実在として、線や面と抗しあうのである。
 とすれば、斥力を表現として成立せしめているのは、マティエールの一律ならぬ多様さと、重層性であろう。平面上で求心的にまとめられるのではなく、あるいは平面上に奥行きのイリュージョンをもたらすのでもなく、絵具の重なりの奥にある中心を軸とすることで、まさにその中心から、形以前であるがゆえの可能態にみちて、湧きいでひろがりゆかんとする。
 一九八七年のコオジ・オグラ・ギャラリーでの個展への出品作は、地と線や面との関係が、斥力が働くほどには截然と分離していなかった。他方、今回の作品中、規模の小さなものでは、線の細さのため、画面がやや整理されてしまっているきらいがある。これまで記述しようとしてきた数点の大作においても、線や面と地の白との緊張はきわめて微妙な地点にあろうし、また、線の走行や面の型どりは一歩踏みはずせば、妙に物言いたげになってしまいかねない。しかし、とりあえずここにおいて、一義的な理念に還元すべくもなく、かといって、弛緩した過多にもおぼれぬ、豊饒な渾沌が立ち現われているということができよう。
(石崎勝基 三重県立美術館学芸員)


挿図:天花寺又一郎 《Yocho 1990(予兆)》 oi1 on canvas 175×262.5cm


『朝日新聞』名古屋版、1991/10/12(夕)
天花寺又一郎展(美術)

『天花寺又一郎』展、鳥羽水族館・新館マリンアートギャラリー、鳥羽、1991/10/4-11/1

 ややいびつな、青い線の大きな輪が数しれず、画面をみたす『ブルー』(一九八八年)。やはり青の線が、画面を埋めつくそうと走りまわる『線』(一九八八年)。これらの作品は、爆発的というのではないが、しかし、安定しておさまるともいいがたい、奇妙なエネルギーの胎動を感じさせる。
 これは、まず、輪なり線の布置が、構図の予定調和的なまとまりに回収されることがないためだ。特に『線』でば、線の交差が避けられているせいもあり、枠の存在を意識させることでかえって、落ちつくぺくもない過剰さが生じる。これに、輪・線の太さもあって、輪の連鎖や線の軌跡は、遊離した層として浮きあがるだろう。
 その時問題になるのは、地との垂直の関係である。輪や線のあいまにのぞく地は、銀を帯びたグレーで、輪・線の層と区別されている。他方、地と上層が完全に分裂してしまうことから救うのは、マティエールの変化だ。地と線はともに、砂粒を混ぜてある。さらに、線の青は、水分を帯びてにじみだすかのように見える。これが輪や線を、浮遊するとも溶けいるともつかぬ、宙吊りの状態にとどめるのである。
 先にあげた二点、および『予兆』(一九八九年)では、横への過剰、垂直への浮遊と定着の緊張が、潜在的な動きを秘めつつ、静謐で緊密な画面を作りだしている。ただ他の作品には、やや弛緩してしまっているものも認められる。

(石崎勝基 三重県立美術館学芸員)

挿図:天花寺又一郎 《ブルー》 1988

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