C&D、vol.23 no.87、1990/7/1、pp.7-8 「美術批評」(木方幹人と共同担当)より
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天花寺又一郎個展
『天花寺又一郎個展』、三重画廊、津、1990/4/3-4/8
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一見して、画面を作りなす要素の数がずいぶん多い、というのがとりあえずの印象だろうか。青、あるいは明るい褐色の線が、自在に走り回る。線の下には、明度を異にした形態がそこここに散在し、白地も地塗りのままではなく、その下にあった線だか面だかをいったん埋めている。これを混乱と呼ぶか、ノイズの多さと見なすか。制作行為を平面の構造と一致させ、もって客体としての全一性を表現の強度となすべく、平面の構造に抵触する要素を排除していった、カラーフィールド・ペインティングからミニマル・アートにいたる系譜の理念からすれば、収拾のつけようもない錯乱と見なされざるをえまい。
たとえば線 - その走り方、カーヴの度合い、まっすぐのびる距離などに、画面の縁や角、対角線と関連づけようとする意図は認めがたい。その分、斜めに走るときも、奥行きへの後退を感じさせることはなく、画面の平面性に応じてはいる。しかし、一方向に進んでいた線が、急に折れて、くるくると回ることはしばしばで、ときに籠状をなす。ある線をなぞるように、何度も重なることもある。ただ、それらは決して形として閉じはしない。ためにかえって、平面の枠からはみでんとする、線ひく手の力の充溢を読みとらせるだろう。
しばしばこれらの線の下にあると見えるいくつかの形態も、ときに線から移行するものもあるにせよ、その多くは、線の走行と関連づけることはできない。マティエールの稠密さゆえ、形態であると同時に色面でもあるそれらは、互いどうしないし線を秩序づけるどころか、弧のふくらみがぶつかりあうことで、むしろ斥力を働かせているように見えるのである。
そしてこの斥力こそが、一見雑然とした画面に、表現としての芯をもたらすものにほかなるまい。斥力が力として働くために、線なり色面なりが、それなりの独立性を保っていなければならないわけだ。かくして、たとえば晩年のモネにおいて、連続する色面が、画面の外に自然にひろがっていこうとしたのとは異なり、ここでは、各要素の独自性と斥力との緊張のうちに、拡散というよりは、拡散以前の、膨張せんとする渾沌の胎動が現出することになる。
拡散を斥力の働きたらしめているのが、平面上での組織化ではないとすれば、それに与っているのは何だろうか。天花寺が好んで用いる青は、それでなくとも、消え去り後退することでおのれを主張する色である。そのため青の安易な使用は、色としての特性と物質としての定着のはざまで、作品の実在感を失なうか、工芸化してしまうことが少なくない。対するにここでは、まず、ある太さをもって独立を保ちつつ、線の縁がにじむかのような、水性とも見える絵具が調合されている。このにじみは、地に対してかえって、浮き出るかのような、さらには発光するかのような効果をもたらしている。気ままに動くと見える線は、地への垂直のヴェクトルによって定位されているのだ。動きの自在さと地への垂直性とは、本来矛盾するものであろう。この矛盾のため、線は、おのれの運動にも図としての地への関係にも保証されぬまま、保証がないことの強さを獲得する。
色面も、鈍く稠密な質感をもって定着し、ゆえに逆に、その縁は雲のように伸縮している。色材全般に、顔料の粒子が露出した、岩絵具風の処理が認められる。
さらに、下層に色を塗りこめた白は、上に線や面をのせるだけの地にとどまらず、いわんや、全体を虚なり空なりに溶かしこんでしまう〈間〉などではない。下層の色をつぶしたという履歴を経たそれは、自身ひとつの実在として、線や面と抗しあうのである。
とすれば、斥力を表現として成立せしめているのは、マティエールの一律ならぬ多様さと、重層性であろう。平面上で求心的にまとめられるのではなく、あるいは平面上に奥行きのイリュージョンをもたらすのでもなく、絵具の重なりの奥にある中心を軸とすることで、まさにその中心から、形以前であるがゆえの可能態にみちて、湧きいでひろがりゆかんとする。
一九八七年のコオジ・オグラ・ギャラリーでの個展への出品作は、地と線や面との関係が、斥力が働くほどには截然と分離していなかった。他方、今回の作品中、規模の小さなものでは、線の細さのため、画面がやや整理されてしまっているきらいがある。これまで記述しようとしてきた数点の大作においても、線や面と地の白との緊張はきわめて微妙な地点にあろうし、また、線の走行や面の型どりは一歩踏みはずせば、妙に物言いたげになってしまいかねない。しかし、とりあえずここにおいて、一義的な理念に還元すべくもなく、かといって、弛緩した過多にもおぼれぬ、豊饒な渾沌が立ち現われているということができよう。 (石崎勝基 三重県立美術館学芸員)
挿図:天花寺又一郎 《Yocho 1990(予兆)》 oi1 on canvas 175×262.5cm
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『朝日新聞』名古屋版、1991/10/12(夕)
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天花寺又一郎展(美術)
『天花寺又一郎』展、鳥羽水族館・新館マリンアートギャラリー、鳥羽、1991/10/4-11/1
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ややいびつな、青い線の大きな輪が数しれず、画面をみたす『ブルー』(一九八八年)。やはり青の線が、画面を埋めつくそうと走りまわる『線』(一九八八年)。これらの作品は、爆発的というのではないが、しかし、安定しておさまるともいいがたい、奇妙なエネルギーの胎動を感じさせる。
これは、まず、輪なり線の布置が、構図の予定調和的なまとまりに回収されることがないためだ。特に『線』でば、線の交差が避けられているせいもあり、枠の存在を意識させることでかえって、落ちつくぺくもない過剰さが生じる。これに、輪・線の太さもあって、輪の連鎖や線の軌跡は、遊離した層として浮きあがるだろう。
その時問題になるのは、地との垂直の関係である。輪や線のあいまにのぞく地は、銀を帯びたグレーで、輪・線の層と区別されている。他方、地と上層が完全に分裂してしまうことから救うのは、マティエールの変化だ。地と線はともに、砂粒を混ぜてある。さらに、線の青は、水分を帯びてにじみだすかのように見える。これが輪や線を、浮遊するとも溶けいるともつかぬ、宙吊りの状態にとどめるのである。
先にあげた二点、および『予兆』(一九八九年)では、横への過剰、垂直への浮遊と定着の緊張が、潜在的な動きを秘めつつ、静謐で緊密な画面を作りだしている。ただ他の作品には、やや弛緩してしまっているものも認められる。
(石崎勝基 三重県立美術館学芸員)
挿図:天花寺又一郎 《ブルー》 1988
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