C&D、no.81、1989.1.1、pp.8-10 |
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(美術批評) 石崎勝基(三重県立美術館・学芸員) |
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説明を逃れる奇妙さ (1988年)五月二三日から二八日までウエストべス・ギャラリーで開かれた Art of youth 展第二部に出品された椿原章代の作品を見て思い浮かんだのは、〈モビィ・ディック〉のイメージだった。 |
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窓をめぐる思考 六月十三日から二五日まで Stegosaurs Studio で開かれた栗本百合子の recent drawings 展では、壁の形・大きさに合わせた紙がじかにピン止めされ、数色のパスによるストロークが画面を埋める上を、ストロークに用いられた各色の正方形が画面の中央を通る軸に沿って規則的に配されている。パスの粉状のマティエールと明るいトーンによって全体が調和させられつつ、各色ごとにまとめられたストロークはほぼオール・オーヴァ一に走り、視るものの目 − 身体をストロークの動きによりそわせつつ、紙の表面に沿って空間を展開していく。ストロークが重ねられた部分、縁などでまったく均一になりきってはいない弧を描くストローク、色と色の関係などが、画面を完全に二次元的にしてしまわず、紙に沿う限りでの相重なる層をなす浅い奥行きを生み出している。各色の正方形は、画面の縁に拡散しょうとするストロークの動きをおのれの求心性でもってとどめ、またストロークの層全体の上にいささかの異和とともに置かれることで、もう一段層を重ねると同時に、その重層性をおさえる役割を果たしている。 ここで得られるイリュージョン、すなわち、支持体や絵具の物質としての属性を越えて画面にもたらされるものはいわゆる空間のみにとどまらず、先に触れた重層性、ストロークの運動、特に手の運動を循環させる弧を描く軌跡などによって、描くこと・作ることの時間を内包したものとなっている。描くことの直接性とそれを多層化しょうとする操作とが調和して、平面に即する限りでの時空のひろがりが得られる点で、絵画固有のありかたが展開されているといえよう。その空間の性格はまったく異なるにせよ、平面である支持体に何らかのイリュージョンをもたらそうとする点で、ルネサンス以来の絵画の〈窓〉としての特性はここでも失われていない。 同じ Stegosaurus Studio で九月十二日から二四日まで開かれた栗本の the window 展では、作品の様相は一変していた。縦長のパネルに筆致をまったく残さず、ほぼ明るいグレーの変化だけで、パネルの表面と描かれる窓の枠とを一致させ、その向こうに見える景観が描かれる。景観には、窓−表面と平行なやはり窓のある壁を描いたものと、線遠近法に従って奥行きに後退する建物の屋根の連なりを描いたものの二種類がある。描くことの痕跡を一切奪われることでそこには観念のみが残り、作品はその観念を作動させるための装置と化す。描かれているのは、窓であるにしても、そこにあるのは窓をめぐる思考なのである。窓とその向こうという奥行きの段階も、窓が画面と一致させられているため、見るものに自然に感じとられるのではなく、絵の外にある表象と照合されることで了解される。 いずれにせよ観念の装置と化した作品は、作ることで時間をはらませようとすることなく、観念が具体的な時間を越えようとするまさにそのことによって、具体的な時間に縛られた事物になってしまうように思われる。作品はともかく、観念性は作ることの営なみにおいて一回的たらざるを得まい。 Stegosaurus Studio のあるヤマト生命ビルは、前回のドローイング展において、絵画が平面の限界にとどまるその固有性をまっとうしようとする時、建築の堅固な性格が作品のありかたとよく緊張することを示していた。the window 展では建築空間が、作品がパネルの事物としてのありかたに封じこめられることを強調して、逆に観念自体に存在感を与え ているのである。建築の強さゆえに、観念の運動を受け止め受け入れることができるのであろう。パネルに厚みがあり、その形が縦長であるため、画面は壁に沿わずそこから独立して可動することができる。作品の手のあとを消したデザイソ的な性格 − デザイン、 |
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「形式」からはみ出るもの 最近何度か聞いたことばに、「絵画や彫刻というジャンルの境界を取り払い」云々というものがある。これを今さらというべきではなく、作り手それぞれが作る営なみの中で必然的に抱くようになった問題と受けとめなければならないのだろう。しかしそれとともに、絵画なり彫刻なりの形式 − 絵画にあっては二次元の物体である画面とイリュージョンの関係、彫刻にあっては三次元の物体がもつ求心性と表面そしてイメージとの関係 − をまっとうすることでなしうることがあり、またその中でこそそこからはみ出るものがはっきりするはずである。椿原のウエストべスでの作品、栗本の六月の作品が考えさせるのが前者であり、椿原のNAFでの作品、栗本の九月の作品が陪示するのが後者であろう。 |
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Cf., | p.8 に椿原章代の作品(1987年6月 ラヴコレクションギャラリー) p.9 に椿原章代の作品(1988年5月 ウェストべスギャラリー)および椿原章代の作品(1988年9月 ギャラリーNAF)(キャプションは入れ替わっています) p.10 に栗本百合子「UNTITLED」(1988年6月 ステゴザウルススタジオ) 栗本百合子「THE WINDOWS」(1988年9月 ステゴザウルススタジオ) それぞれの挿図が掲載 栗本のこれ以前の作品は実際に見てはいないのですが、資料として; 「栗本百合子展」、『美術手帖』、no.475、1981.1、p.246(展覧会スケジュールのページ。作家のコメント掲載) 中村英樹、「展評 名古屋」、『美術手帖』、no.478、1981.3、p.224 図18、pp.228-229 三頭谷鷹史、「展評 名古屋」、『美術手帖』、no.488、1981.11、p.254 図22、p.255 三頭谷鷹史、「展評 名古屋」、『美術手帖』、no.508、1983.3、pp.196-200 中、p.198 の上図 また 対談 国島征二・栗本百合子、「ネクストへ 中間点としての画廊」、REAR、no.30、2013.8.30:「特集 名古屋の画廊史」、pp.46-53 |
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