エル・グレコ《聖パウロと聖ペテロ》1587-92

エル・グレコ(ドメニコス・テオトコプロス)(1541-1614)
《聖パウロと聖ペテロ》
1587-92年
油彩・キャンヴァス
121.5×105cm
エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルク


El Greco (Domenicos Theotocopoulos)
St. Paul and St. Ptetr
1587-92
Oil on canvas
121.5x105cm

The State Hermitage Museum, Saint Petersburg

Cf., 『エルミタージュ美術館展 16-19世紀スペイン絵画』図録、東武美術館、茨城県近代美術館、三重県立美術館、1996、pp.56-57 / cat.no.4

 画面には手前を向く二人の男性が大きく描かれている。二人はほぼ同じ頭の高さで横にならび、しかもそれぞれ、頭からマントまで上向きの三角形をなしていて、どっしりと地面に足をつけた安定感を感じさせずにはいないはずだ。
 にもかかわらず、画面をじっとながめる内に、現実の地盤に根ざした落ちつきとはとても呼びがたい、何かしら不安定な感じにひたされはしないだろうか。
 これはまず、二人の男の目の表情によってもたらされる。黒めがちな大きな目は、何かをしっかり見つめるとはいいきれない、ゆらぎをはらんでいる。細面の頭部の小ささも、そうした印象を強めている。二人は、痩せぎすな肉体をこえた何かを宿す存在なのだ。
 そして脱色されたかのようなくすんだ色調。しかし画面を薄闇に沈める全体の調子の中から、二人のマントは、独自の生命にうちふるえてでもいるのか、柔らかく流動し、明滅している。それはあたかも、男たちの貧弱な肉体におさまりきらない、魂のエネルギーを表わすかのごとくである。
 最後に、中央下寄りで相重なる三つの手。微妙に明るさを変化させたこれらの手は、二人を結びつけるという以上の、謎めいた過剰さをたたえている。
 「エル・グレコ」とは、ギリシャ人を意味する普通名詞である。このあだ名どおりドメニコス・テオトコプロスはクレタ島の出身で、イタリア滞在をへて、一五七七年スペインのトレドに落ちついた。人物のどっしりした描写はミケランジェロの、闇にひたされた明暗法はヴェネツィア派のティントレットの感化をうかがわせる。
 ギリシャ出身でイタリア美術の影響を受けたこの画家が表現する世界は、しかし、歴史の不思議というべきか、まぎれもなく当時のスペイン文化の精神に呼応したものであり、それどころか、スペイン美術を代表する作家の一人でさえあるのだ。闇の中で明滅する光と流動的な筆致は、対抗宗教改革の時代における神秘主義的な精神の最良の表現となっている。

(県立美術館学芸員・石崎勝基)
『朝日新聞』(三重版)、1996.10.30、「スペインの光と影 エルミタージュ美術館展から 2」

『エルミタージュ美術館展 16-19世紀スペイン絵画』(1996/10/29~12/15)より
こちらを参照 [ < 三重県立美術館のサイト
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